「みちしるべ No175」2005年3月号より

目次(ページ内リンク)
 こんな風に変わります  正岡 光雄 
 福祉とは何か  徳田 恵 
 無資格者問題に関する請願書 県議会で採択される!!  田所 次男 
 シンポジウム「震災と障害者」報告(1)  田元 美紀 
 第26回テレビ高知健康マラソン大会に参加して  片岡 忠興 
 編集後記  片岡 慈仲 



こんな風に変わります               正岡 光雄
  [改革のグランドデザイン案 ――
   障害者自立支援法]
 措置制度から支援費になって3年が来ようとしております。やっと新制度に慣れた頃でしょうか。この支援費がまた新たな制度に変わろうとしています。
 昨年10月、「改革のグランドデザイン案」というハイカラな福祉ビジョンが厚生労働省から出されました。とても難しい文章で何が書いてあるか困って、ああでもない、こうでもないと議論しているうちに、今年2月その理念を生かした法律「障害者自立支援法」が同省から出され、自民・公明両与党が今国会で通過させようとしています。
 その内容はどのようなものでしょうか。

  [応能負担から応益負担へ]
 その最も重要な変化はこれまで応能負担といって所得に応じた利用者負担だったのを、応益負担といって利用の量に応じて負担額が増えていくものに変えようとしております。つまり、利用によってかかる費用の1割を利用者が負担することになるのです。
 「ああ、介護保険になるのか」と皆さんはお考えになることでしょう。原理は介護保険と同じになります。もともと厚労省は介護保険に支援費制度を統合しようと考えておりました。ところが、それだと財源が不足する。もともと介護保険も赤字になろうとしていますので、丁度障害者の分を含めることによって財源がもっと要るようになるから、そこで20歳から保険料をもらって何とかつじつまを合わせようとしましたが、日経連を中心とする財界(企業)が反対しましたので、その案は引っ込めました。財界が反対した理由は、企業負担が増す(つまり、労働者と会社が半々に負担するようになっているので、企業負担が増える)から反対したのです。
 しかしながら、必ず将来は「統合」しようと思っている厚労省は1割負担という同じような内容の法律にしておいて、近いうちにすんなり統合が可能なように設定したのです。
 支援費制度では9割が無料で福祉を利用できていましたが、今後は生活保護世帯の者以外漏れなく負担するようになります。ガイドヘルパーやホームヘルパーの利用には、必ず負担が必要となります。それも利用量に応じて負担するわけですから、重い障害ほど負担が増えることになります。但し、ここに上限を設けますから、10万、20万円もの負担にはなりません。今のところ4万円程度の上限が見込まれています。
 また、評判の悪い扶養義務者の負担、つまり子どもと同居している場合にはその所得に応じて負担してもらう件は、なくなります。その代わり、これからは一緒に住んでいる家族みんなの所得からも負担してもらうことになります。まあ言ってみれば、ぺてんですね。
 負担の少ない人として低所得者1(2級年金受給者)、低所得者2(1級年金受給者)とがあり、1級年金を受給する者は2級年金を受給する者に比べて負担は重くなります。
厚労省では、このように障害者への負担が増えることに対して、介護保険等他の制度もそのような負担になっているのだから、公平に障害者も負担しなければならないと言っています。
障害者施設に入っている人には、「ホテルコスト」といって食事代を出してもらうわけですが、今までは780円程度(材料費相当)でしたが、今後は水や電気(光熱水費)及び作る人の賃金(人件費)も徴収するため、食事代はだいぶアップになりそうです。
また、厚生医療や育成医療等、国の福祉医療として利用者負担が非常に少なくなっていましたが、これも負担が急に増えそうです。そうすると、それに連動して福祉医療(障害者の医療)が県単独事業ですから、これもこのままでは済まなくなる可能性も強くなります。
このようなことを説明する資料も既に出始めていますから、一度読んでみて下さい。また学習会などがありましたら、ぜひ出かけて話を聞いて下さい。それから、今、障高連を中心に県や各市町村に対し、このような障害者の急激な負担増に対し国に慎重に導入して下さいという意見書も出されています。皆さん、お住まいの市町村議会でどんな論議がされようとしているか議員さんにも聞いて、障害者への負担があまり重くならないようにお願いして下さい。


福祉とは何か                徳田 恵
 私は皆さんのおかげでめでたく県立盲学校専攻科を卒業しました。共に勉強した同級生も仕事のために就職先へ旅立っていきました。その中に1人、神戸の盲人ホームに就職した人がいます。就職できたことはとてもめでたいことなのですが、反面、正直言って私はとても羨ましく、妬ましく思いました。
と言うのは、私も彼女のように都道府県管轄のホームに就職したかったからです。自分の病気や「透析」という内部障害のことを考えると、民間会社での理療の仕事はかなり困難と思われます。無理をすれば、3年前の時のように死ぬ寸前までいくおそれがあります。しかし、盲人ホームのような都道府県管轄の職場なら、体調を考えながら仕事をすることができ、無理を押し通さなければならないことはないでしょう。甘い考えかもしれませんが、私はそう思ったのです。そして、心配性の母もそういう職場なら少しは安心して旅立ちを許してくれるかなと思ったのです。
ところが、その神戸の盲人ホーム曰く、「透析の人は引き受けられません」と断られてしまったのです。確かに、透析のような内部障害は厄介な障害です。ほぼ毎日の通院と治療、食事療法、具合が悪い時の看護やケアなど、自分自身も苦しいし、人にも迷惑をかけたり手をかけさせてしまいます。引き受ける側としては多分に厄介に思われるかもしれません。
しかし、私だって好きでこういう重複を負ったのではありません。体に障害を負っても心は普通の人間なのですから、普通に仕事をしてみたいし、普通の生活をしてみたい、遊びたい、時には苦しい思いや寂しい思いをし、そのほかいろいろなことを経験したり感じてみたい。
視覚障害だけでなくそれに内部障害やその他の重複障害が重なると、確かに人の手が必要となります。いろいろなことを制限しなければならないことも事実です。しかし、そういうハンディを持つ者を助けてこそ、福祉ではないでしょうか。障害のある者を助け社会の一員として役立てるよう、働きかけるのが福祉だと思うのですが・・・。それを推進する者たちが障害がある者を拒み、自立のための援助を与えてくれないのが不思議でなりません。
最近、点字ブロックや手話や道路の段差など、福祉関係のコマーシャルが増えている反面、入所施設のある職場や視力障害者センターの老人ホームなどの入居や入所を拒否し、家族だけで面倒を見るように忠告するといったことも多々あります。障害者のための施設が障害者を拒否するのが福祉なのでしょうか。一体政府や都道府県の考える「福祉」とは何でしょうか。
「障害のある人や老人に優しく」と言っている政府の方たちが一体どこまで分かってくれてそう言っているのか、一度尋ねてみたいものです。


無資格者問題に関する請願書 県議会で採択される!!               田所 次男
 「守る会」・県鍼灸マッサージ師会・県視力障害者協会の3団体は、共同して無資格者問題に取り組んでおりますが、国への意見書を県議会と高知市議会で通過させた後、今度はもっと実行力のある請願書の採択に向けて取り組んできました。そして去る3月17日、「あん摩マッサージ指圧師・はり師・きゅう師等に関する法律及び関係法令に基づいた適正な取扱いを求める請願書」がついに採択されました。
 その経過を簡単に報告します。
 2月3日、3団体は「無資格・違法行為者取締まり徹底強化推進」の要請交渉を県医療対策課・高知市保健所地域保健課・県警地域環境課に対して行いました。参加者は3団体から10名でしたが、県会議員、西森潮三氏に同席していただきました。
 元気堂の「マッサージ」と明記された領収書について保健所の山本氏は「領収書にマッサージと記載があってもあはき法に規定するマッサージ行為を行ったという判断はできない」「元気堂の代表者を呼んで業務内容などの聞き取り調査を行い、あはき法1条に触れる行為をしないように、また領収書には一般人が誤解しないよう気をつけるよう指導した」
 この回答に対し、「領収書にマッサージと書いてあるのになぜマッサージ行為と認められないのか?」と強い反論が起こり、西森議員からも厳しい忠告が行われました。
 無資格者の実態調査について県医療対策課から「タウンページを使って調査したが、無資格営業は発見できなかった」
 開業届証明許可書については「申請があれば発行する。これを店内に掲げることにより、有資格者か無資格者かの区別がはっきりするので、この方法を啓発周知させていきたい」
 この後直ちに県警本部に移動し、同じく要請しました。
 地域環境課の竹本会長は「県内での逮捕・検挙の事例はない。詳しい資料を提供していただければ、法に触れると判断されるものについては厳しく対処したい」という答えでした。
 2月15日、3団体で県議会に請願書を提出。紹介議員を西森潮三氏にお願いするとともに、また県議会7会派全てに同意を働きかけてほしい旨をお願いしました。
 3月4日、西森議員が県議会で無資格者問題と本県においてあはきの保険利用が極端に難しいを取り上げて質問されましたので、3月代から10名がこれを傍聴しました。
 このような経過の後(のち)、3月17日、県議会最終日に私たちの切実な請願書が全会一致で採択されました。
 これで保健所や警察も実効ある行動を取らねばならなくなったわけですから、私たちは無資格者の具体的な事例を行政当局に訴えて法に基づく厳正な処置を要求していきたいと思います。また、広く県民に対して無資格者に治療を受けることの危険性を知らせていくことが必要だと思います。


シンポジウム「震災と障害者」報告(1)               田元 美紀
 地震をテーマにしたバリアフリー映画会(2月5日)の余韻が冷めやらぬ13日、シンポジウム「震災と障害者」が、こうち男女共同参画センター「ソーレ」で開かれた。

[第1部 講演]
  *関田 学俊さん(高知市防災対策課)
 最初、スクリーンでスマトラ沖地震の映像が映し出された。魚を捕りに行って津波に巻き込まれた。叫び声を上げている。建物の中に水が入り、物を押し流している。
 次に阪神大震災の映像。机が動いている。テレビも飛ぶように動いている。火災も起こっている。1月17日には428人の生存者がいたが、3日後になると、救済される人は少なくなる。救助には最初の3日間が大切である。
1946年の南海地震の写真が映し出された。堤防が切れて水没している(五台山からの写真)。昭和南海地震から次回までの標準的な期間は約90年。予想される規模はM8.4(東南海地震と同時発生した場合、M8.5)。
 津波が発生してから16分で足摺から室戸、27分で高知市に到着する。津波は何回も繰り返される。高い所へ逃げたら、少なくとも6時間は動かないこと。
 まず、自宅での耐震対策が必要。ガラスが飛散しないようにする。寝室や乳幼児のいる部屋には家具を置かない。高い家具を硬い物に固定する。耐震診断を受ける。持ち出し品として、食料と飲料水、救急用品、笛などを袋に入れておくべきだが、持って動けなければならない。
 地域ボランティアなど、地域と密着した防災が必要。知識と意識を高め、各団体との連携ができる体制を作ることである。
 薊野でモデル的に取り組まれている。自分で避難できない人への対応など、防災アンケートの集計に基づいて、どうネットワーク作りをするかを考えている。別の地区でも、支援センターと行政で地域を支えている。
 
  *福永 年久さん(「被災地障害者
   センター」代表)
 今年1月、NHK「きらっといきる」で、
福永さんの活動が紹介された。初め、そのビデオが上映された。
 1995年1月17日、大きな地震が起き、爆発音がした。熱帯魚の水槽が爆発し、ガラスの破片と水が飛んできた。大声で「助けてくれ〜」と叫び続けたが、一向に近所の人の声はしなかった。近くに住んでいた学生介護者が助けに来てくれた。地震があったことを知らされた。
 「皆の家を1件ずつ廻ろう」と思い立ち、西宮の中心部に出ることにした。西宮北口駅では高速道路が真っ二つに割れているのが見えた。周辺の商店もほぼ全壊していた。
 1人の自立障害者の仲間の家に着いたが、本人のいる形跡がなかったので、あと12人の家を廻ることにした。作業所に足を運んだ職員と偶然出会い、「メンバー13人皆元気か」と聞いたが、3人が行方不明。西宮警察署に行くと行方不明だった2人の仲間と会えたが、あとの1人は台所のみずやの下敷きになり、遺体で見つかった。
 避難所では、全く障害者が生活できない状態だった。福永さんが避難していた場所には障害者用トイレがあるが、もう使えない状態だった。
 これまでの30年間、障害者が今まで地域活動に根付かない運動ばかりしていたことに気づいた。まず始めに炊き出しをし、その後も義援金を集め、復興活動を展開させた。その経験を全国へ伝えていった。
 どんな人でもネットワークがあれば福永さんたちのような活動ができる。災害に強い高知県を作っていこう。

[第2部 パネルディスカッション]
  *関田 学俊さん
 名簿作りだが、プライバシーがあるので悪用されると困る。同意を得たら何を出してもいいとは言えない。苦労している。
 最もいいのは普段から付き合いがあること。都市化の問題点も出てきて、ネットワークがなくなってきている。もう一度作り直さねばならない。普段からあるつながりを大切にしないと、防災だけでの解決は難しい。

  *中岡 久幸さん(つきのせ自主防災部会)
 東石立町、石立町の2つの町内会がある。台風のために浸かる。どうしたらよいか分からない。そこで防災組織を立ち上げた。
 この防災部会でも障害者の問題に取り組んでいる。できるだけ認識を共通にすることが大事である。自分で自分を守るということが大きなウェイトを占めている。
 健康な人は7割は自分で守れるが、体の弱い人の場合は5%も守れない。この部会は小さい意見も取り上げる。皆さんの町内でもお互いが障害者になったり、体が弱くなったりするのだから、共通の立場になることを意識し、ぜひそういう立場で防災を考えてほしい。
                  続く               


第26回テレビ高知健康マラソン大会に参加して               片岡 忠興
 3月13日、春野陸上競技場スタート、そして14km走って同じ所にゴールするというコースで行われた。
 北は青森から南は九州まで20都道府県、総勢2088人のランナーが集まった。
 8時15分から受付。私は4026番のゼッケンをもらい、胸と背中につけた。同時にタイムチップを靴の紐に結び、9時のスタートを待った。
 当日は真冬並の寒さで、ランニングに半パンのランナーたちはこの南国土佐で震え上がった。
 スタート10分前にはスタートラインのあるトラックへ全員集合。400mのトラックとはいえ、2000余名が並べば狭く感じた。私は中ほどより少し前の方に陣取った。何しろこの人数、1度入れば身動きできないほどで、変な威圧感を受けた。そうこうする間にも、スタート時間は刻一刻と迫ってきた。
 スターターの春野町長の合図で全員スタート。とはいっても、最初のうちは前がつかえて足踏み状態。400のトラックを1周するうちに、何とか流れによりロードに出た。すぐに急な下りが約500m続き、左折して長浜バイパスに出た。
 この日の体調は少し風邪気味の上、練習不足も手伝って、調子はイマイチ。まあ、無事完走が目的で来たので、急がずあわてず自分のペースを保つよう心がけた。
 6.7km地点が最初の給水点。コップの水を取り、少し喉を潤した。しかし、依然として調子は出ず、しんどかった。何とか歩かないよう頑張り、やっとの思いで10kmの給水点に辿(たど)り着いた。
 ここでは堂々と立ち止まり、コップの水を一気に飲み干した。この位水がうまけりゃあビールはいりません!
 少し調子も出、高知競馬場の前を抜け、横浜ニュータウンに出た。ここからゴールまでは2km少々。
 しかし、ここからが大変。このコース最大の難所、500mの坂が立ちはだかっている。スタート直後一気に駆け下りた下(くだ)りが、帰りは逆に上りに。疲労度もピークに達してからのこの上り。ここでは歩く人が続出。よく分かります。私もここでは数回味わったので、坂を多く取り入れて練習しており、少し自信はあった。最後の給水点から調子も出、この坂は大丈夫だった。
 歩く人たちを尻目に一気に駆け上がり、ゴールのあるトラックへ帰ってきた。
 スタートの時はたくさんの人でよく分からなかったが、陸連の公認を受けた400のトラックを、拍手を浴びながら、まるでスター気分でコースを回り、ゴールした。
 その瞬間、「やったー!!」という満足感で、しんどかったことは忘れて「またやるぞっ」という気持ちになった。
 まだ正式な記録は来ていないが、1位の男性が47分、最終が2時間半少々だったようだ。私の目標は1時間30分台だったが、ゴールの時計を見ると少しそれを切っていたのでよかった。着順の方は2088中の1000番当たりを狙っている。 


編集後記               片岡 慈仲
 桜の花が満開となりましたが、皆様はいかがお過ごしですか。
 最近、報告記事が多く、少し内容が硬くなっておりましたので、今回は片岡忠興さんや徳田恵さんに記事の依頼をしたところ、快く応じて下さり、本当にありがとうございました。
 今後も皆様の近況や、日頃感じている疑問や不満、要望など、あるいは川柳や詩など何でも結構ですから、編集部までどんどんお送り下さい。皆様に親しまれる「みちしるべ」を目指していきたいと思っております。



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