「みちしるべ No176」2005年5月号より

目次(文書内リンク)
 「障害者自立支援法」を考えるみんなのフォーラム参加報告  井上 奈美子 
 シンポジウム「震災と障害者」報告(2)  田元 美紀 
 サンゴの話  大堀 正寿 
 僕の歩んだ足跡  貞岡 信太郎 
 「特別支援教育」検討委員会への意見  井上 芳史 
 編集後記  有光 勲 

「障害者自立支援法」を考えるみんなのフォーラム参加報告              井上 奈美子
 5月12日、日比谷野外音楽堂で開催された『障害者自立支援法』を考えるみんなのフォーラムに正岡氏と共に参加しました。
 12日朝の飛行機に乗り日比谷に向かいました。少し遅れて野外音楽堂に着くと、人・人・人で大混雑、何処(どこ)にどう行けば良いのか?ボランティアの青年も頼りなく、やっとの思いで会場へ到着です。その日の東京の天候は冬に逆戻りしたのではないかと思うほど寒さが厳しく、震えながら皆の訴えを聞きました。
 当日の参加者は当初の目標を大きく上回り
6600名の参加者でした。午前中は「聞いてください私たちの声」地方から・団体からそれぞれの意見発表が行われました。
 知的通所施設長は、利用者から食費を徴収することについて、食事も大切な教育である。福祉、ウェルファーはグッドフーズだと理解している。それに費用負担をつけるとは何事か。しっかり考えていこう。
 盲人福祉協会の代表は、移動介護について、問題は4つ、予算、応益負担、全国支給量の安定、障害者の皆さんや事業主体が守られること。障害者のためになる法律に、この法案では9割以上の人が応益負担の枠に入る。負担率を変えて欲しい。全国統一的に支給量を維持して欲しい。
 障高連の松本氏は、今までの自分の経験から自立支援法の疑問点を2つ。「就労支援」とあるが、法案が通ったら障害者雇用が増えるのか?そうは思えない。「儲け第一」の日本の会社、経済の仕組みを変えなければ実現しない。作業所で貰(もら)う給料よりも高い利用料と給食代まで払って作業所に行きたくない。霞ヶ関で働く公務員は給料よりも高い利用料を国に払うのか?(このくだりでは会場から大きな拍手が沸き起こりました。)
 全視協の梅尾朱美さんは、愛知で4月に開催された集会「私たちの声を聞いて、暮らしを見てください。」に755名が集った。障害者の実態が明らかになり、自立支援法が障害者の自立を阻むと言うことが見えてきた。
 グループホーム・福祉ホームからは、自立支援法では、障害程度別にグループホームとケアホームに分けるとしている。何処に住むかは障害者自身が決めること。障害程度によって住む場所を変える案に反対。
 全国精神障害者地域生活支援協議会から、自立支援法では精神障害の障害認定をされなければサービスを受けられない。身体11%、知的12%、精神46%が非該当になる。立っていられるかどうかではない。幻覚や幻聴が日に何度も起こる精神障害者の生活のしづらさはこれでは見えてこない。調子の良い時と悪い時では別人のような認定結果が出る。その人らしく生きる為のサービスなら、その時々に必要なサービスを安心して選べる法律が必要。
 他にも沢山の意見発表がありました。以上、簡単ですが意見発表の報告です。午後からはこの意見発表を踏まえて「どうすべき、これからの障害者支援」と題して、有識者のシンポジュウムが開催されました。
 このシンポジュウムに参加して、障害種別を超えこれ程多くの障害者団体が集まりこのフォーラムが開催されたことにとても感動しました。それと同時に、十分に検討をしないままに障害者支援法を通そうとしている国に対して大きな憤りを感じました。
 障害が有っても無くても平等に生活をしていきたい、そんなささやかな願いも叶えられず、なおかつ高額な利用負担を強いるこの法案を廃案にすべきだと感じました。

シンポジウム「震災と障害者」報告(2)             田元 美紀
[第2部 パネルディスカッション(続)]         
  * 正岡 光雄先生(「高知県視力障害者の
 生活と権利を守る会」副会長)
 1938年中国北東部に生まれたが、戦争に負けて引き上げた。戦争中の苦労は大変だった。逃げる姿は災害時と似ていた。
 最初に災害に遭ったのは1946年12月21日。盲学校の寄宿舎で目覚めたら皆が金切り声を上げていた。床が動き、壁土が落ちている。それが南海地震だった。その後何度となく余震があり、その度に怖くなった。電車が塩に浸かったとか、そんな話を聞いた。
 1967年7月、結婚直前に台風に遭い、豪雨で家が浸水した。その日にはデートで高松に行っていて、夜8時に最終電車に乗っていたが、乗務員が「降りて下さい」と言った。代替の交通手段が用意され、高知に着いたのが朝7時だった。家の中は悪臭が漂い、畳もだめになった。散々な目に遭った。
 1998年の水害について、皆で集まってアンケートや聞き取り調査をした。
 先日、大阪で会があり、神戸の人たちに集まってもらい、話を聞いた。災害についての勉強はしなければと思う。

* 武市 幸子さん(「高知県難病団体連絡
協議会」理事)
 難病とは、病気を抱えていて常に医療を必要としている状態のことをいう。震災が起こって電気やガスや水が止まれば、まず医療機関が麻痺する。人工透析もできなくなる。
 武市さんは電動車椅子の使用者だが、電気がないと生活できない。ライフラインが止まると生活できなくなる。阪神大震災の時、自分の薬がのめず、発作で困ったという例を聞いた。
 日頃からいつどこで何があってもいいように、必要なものを1週間分は確保するように。呼吸器官障害の人も予備の酸素ボンベを家に置いておく。自分がかかる医療機関がどういう防災マニュアルを作っているのか、困った時にどういう対応をするのか、知るべきである。
 自分で立ち上がる力をつけ、行政にSOSを発しなければ、誰も助けに来ないと思う。

* 中屋 圭二さん(「高知市身体障害者
   連合会」会長)
 中屋さんの団体が学習会を開いた。障害のある人にとっては、自助の部分が難しい。何らかの助けがあれば命をつなぐことができるのだが、わずかの手助けで逃げられる可能性は大きくない。日頃から地域で「私が住んでいる」というメッセージを発するようにしたい。人のつながりが良好であれば、安心していられるのでは。
 プライバシーの問題で、障害のある人がどこでどう暮らしているのかを、地域の人も知らないという状況である。社会活動に関わろうとする姿勢が大切である。
 避難所にたどり着いたとしても、生活が制限されることもある。集団で生活するのが身体的に困難な人も、自立している人もいる。
 障害のある人が地域で安心して暮らせるように活動する団体があることは、一歩前進といえる。

* 補足部分
「災害で道が悪くなったりすると、普段平気で歩ける所でも歩けなくなる。多くの視覚障害者はマッサージをしているが、避難所に行くと営業はできない。災害はいろいろな面で生活を侵してくる」
「体の悪い人も知恵を持ってほしい。炊き出しをすることも立派な働きである。自分の家族が流されていても助けられないのが、災害の恐ろしさである。被害者を少なくすることが大事」
 「病院でレントゲンの機械を2階に上げる、そんなことにお金を使うべきだ。ちょっとしたことで、自宅が停電でも隣に行ける。目先のことも大事だが、そこにあるヒントを改善するのが大事だと思う」
 「在宅で人工呼吸器、在宅酸素の人も
1000人を超えている。そういう方についての知識も頭に入れての救済が必要」
「プライバシーの問題で公表しない人がいるが、命を守ってもらうには公表することが大事ではないか」

 この他にもたくさんの発言がなされた。大変熱のこもった有意義なシンポジウムだった。災害時要支援者〈障害者・高齢者・子ども(特に乳幼児)・妊産婦・外国人〉の防災についての講演会などの企画は、今後とも継続的に行ってほしいと思う。

  [防災ハンドブックについて]
* 「IZA いざ ―― 障害者のための防災ハンドブック」
 視覚・聴覚・肢体・知的発達・精神、それぞれの障害のある人がどのように災害に備えるべきかを分かりやすく説明している。巻末には障害者手帳に入る程度のサイズの防災カードが付いている。点字版・音声版もあるが、発行されたのが1999年3月と、相当古くなっているので、最新版が発行されるのが望ましい。内部障害のある人の防災についても触れてほしい。また、各種外国語・エスペラントにも訳され、外国人が障害者に対して理解を深められるようになったら、と思う。

* 「地震に自信を」
 日本語、英語、韓国・朝鮮語、中国語(北京語)、ポルトガル語の5ヶ国語で書かれている。日本語の漢字には振り仮名が付いている。絵も豊富に入っているので、文字を読めない人にも分かる。巻末には各国語で書かれた防災カードがあり、切り取って使うことができる。点字版・音声版も作られるべきハンドブックである。防災に関する専門用語をそれぞれの言語で何と言うのか学ぶことができる。もちろん、他の外国語やエスペラントにも訳されると更によい。

*「10ヶ国語防災カード」
 横浜市国際交流協会が発行した。「地震に自信を」の5ヶ国語の他、タガログ語、スペイン語、ベトナム語、タイ語、カンボジア語にも訳されている。79の文をそれぞれA4サイズのシートにまとめられるようにしている。文字が大きいので弱視の方にも読める。協会の許可を得れば、点訳・音訳もできる(営利を目的とする場合を除く)。協会のホームページ
http://www.yoke.city.yokohama.jp/
からプリントアウトして取り出せる。
 新潟県中越地震が起こったとき、被災地には約7,000人の外国人がいたが、このシートが大変役に立った。

  *「南海地震に備えちょき」
 県の危機管理課がまとめた啓発用の小冊子である。じしんまん、つなみまん、トラフ博士など、やなせたかしさんの描いた防災キャラクターを使って、分かりやすく解説している。4コマ漫画も所々に付いている。16項目のチェックリストが設けられていて、家庭で点検できるようになっている。点字版・音声版を作ることに関して、視覚障害者団体・「ルーモ」・「たびびと」が危機管理課に問い合わせた。また、知的発達障害者のことを配慮した分かりやすい小冊子を作ることも要求した。

サンゴの話               大堀 正寿
 サンゴというと、ほとんどの人が沖縄の海に生息している造礁サンゴを思い浮かべるのではないでしょうか?高知の土産店で売られているサンゴは、これとは違う宝石サンゴと呼ばれています。
 宝石サンゴはアカ、モモ、シロなどの種類があり、水深200mぐらいの所に生息しています。
 木の枝と同じような形をしているので、サンゴ業界の人は「原木」と言っています。何でできているかというと、成分は主としてカルシウムで、硬さは人間の歯と同じくらいです。だから、サンゴを彫刻する職人は、歯科医が使う道具と同じ道具を使っています。
 1年間に数ミリしか成長せず、宝石にする大きさになるまでには、何十年、何百年もの歳月が必要なのです。
 昔は、舟から網を投げて海底に沈め、潮の流れにまかせて、網にサンゴをからませて引揚げました。現在では、潜水艇による採取が行われるようになりました。その分、着実に採取できるようになったのですが、環境保護が叫ばれる今日では、サンゴの採取をひかえるようなことも言われていて、深刻な問題になっているのです。
 ほんの少しでしたけれども、「サンゴ」をより身近なモノとして、理解してもらえたら嬉しいです。

僕の歩んだ足跡              貞岡 信太郎
     (昭和39年3月、専攻科卒業)
 国立療養所の「つくし病棟」に就職をしたのは、梅の花が、ふくいくと香る昭和43年のすでに春遠からじのころでした。
 次第に入所をしてくる重症心身障害者の患者数が増えるにしたがって、ドクターの指示による僕の仕事である訓練{リラクゼーション・間接可動域訓練・機能訓練・その他}もますます忙しくなっていきました。
 そんなある日のことですが、ものすごく緊張の強い16歳の男の子が入院してきました。ドクターの診察の結果「訓練は年齢も高いし、緊張も非常に強すぎるので訓練は到底、無理だ
な〜。」とのことでしたが、「僕はどうしても座れるようになりたいのです。」
 そんな彼はドクターが診察に来るたびごとに「先生どうか訓練をさせて下さい。どうかお願いします」。そんな彼の強い熱意に遂にドクターも根負けをしてしまって「それじゃ〜、リラクゼーションをしてその緊張をほぐしてもらうかね・・・。」との指示を僕にだしてきました。
 当初は右膝を折り曲げて紐でくくってたびたび襲ってくる強い緊張を押さえ込むために苦労をしていたようですし身体のどの部分もまったく動かすことの出来ない寝たきりでしたが、僕はこの紐を取り払って彼を腹這いにさして両方の股関節と膝関節を折り曲げてから彼の背中に僕の身体をあずけて緊張を柔らげる目的でボール、ポジションをとらせました。このようなリラクゼーションは毎日二人で懸命に頑張りました。
 彼の前向きな努力の甲斐もあって徐々に緊張のコントロールが自分で出来るようになりました。そしてその年のお正月の外泊の時にお婆ちゃんの後ろでそーと起き上がって座ると同時に、「お婆ちゃん・・・。」と声をかけたとたんに、家内全員が驚きと同時に喜びの喊声(かんせい)が上がったそうです。その後彼は床を引っかくようにしながら、自由にどこへでも出かけていきます。
 このような素晴らしい結果を出すことができたのは、決して僕の力だけではなく、本人のやる気の勝利だったように想われます。
 「先生、僕は座れた」の作文を腹這いの状態で口に加えた鉛筆で書いてくれました。訓練のしすぎのために激しい腰痛に悩まされたことや自分の意思で足や腰を伸ばしたり曲げたり出来るようになった、喜び等が原稿用紙3枚にわたって書かれています。僕は今でも宝物として彼の写真とともに大切に保管をしています。
 次はB君という11歳の男の子のことですが、彼は上半身はまるっきり動かないけれど足だけが器用に使える子でした。
 この彼と数人の患者さんに余暇を利用して将棋を教えました。そんな中で彼は将棋の運び方が鋭くて教えた僕が弱い為に、何時(いつ)のまにか編みだしたばかりの新手の駒運びに大汗をかきながら、たじたじとしながら「ここで負けたら僕の面子にかかわる」とばかりに踏ん張っていると、このB君は澄んだ黒い瞳をキラキラさせながらしかも口元の周りに笑みを浮かべて「先生、はいどうぞ」の連発です。
 そんな危機をなんとかすり抜けてのち今度は僕の激しい逆襲に転じると、彼の顔からは汗がほとばしりでて、「うーん、うーん」とうなりながら必死に踏ん張っていますが僕の「王手!」の容赦の無い詰めに彼は急に全身の緊張が抜けてしまって「あっ、しもうた。おしっこが出
た〜・・・・」
 僕は叱ることもできずに、まず服や下着を着替えをさせてから、床を拭いたり等と大忙しでした。僕と彼は心の底からお互いに親子のようなつながりと親しみを持っていました。
 そんな可愛い彼は1年後ほどたったある日に原因不明の、ものすごい緊張の為にあっという間にこの世を去ってしまいました。
 亡くなる前の数日間には看護師さんやお母さんがいくら宥(なだ)めたり空かしたりしても全然食事がノドを通らないために、僕にお声がかかり、何時ものように彼のベッドにあがり僕の膝の中に彼の身体を包み込むように座らせて、「B君、しんどいやろうね〜。けんどね〜、少しだけでも食べてみてや。そしたらヒョットしてこの緊張がやわらぐかもしれんきに・・・。」
 その時の彼はニッコリとしながら半分ほどもごはんを食べてくれました。
 しかしその後2日目の夕刻、あの晴れやかな僕を信じきったB君の姿を再びとして見ることはありませんでした。
 「大変やったね〜B君。今度生まれかえって来る時には是非健やかな君とまた会えて心の通い合った親子か兄弟、あるいは良き友達として過ごしたいものだね〜。」
 その後、お父さんが来られた折に「うちの子が正月に帰ってきた時に・・・。{お父さん、僕と100円の賭け将棋をしようや。}と言うので、{よっしゃ〜、お前には負けんぞ。}しかし何回やってもわしが負けてしもうてあの子には
3000円もとられてしまいました。先生に教えていただいたとのことで、あんなに誇らしい顔をかつて見たことがありませんでした。本当にありがとうございました。Bの大好きだった先生とはどんな方だろうかな、是非お会いしたくて足摺岬からやってまいりました。」
 力を落としたお父さんの姿を見ながら彼の話を聞いているとB君を重ね合わせた時にお互いの目には止め処も無くハラハラと涙が流れ落ちました。
 あれから20数年以上になりますが時々黒い大きな瞳をキラキラとキラつかせたB君の顔が一面の笑みを浮かべながら僕の目の前を通り過ぎていきます。そんな時には「B君またね〜。きっと何処かで会おうね。」と心の中でそっと呟きます。
 僕は35年勤めた「つくし」病棟を2年前に去りましたが、未だにあの方達と和やかに談笑をしながら訓練をしている夢を諸つ中見ます。
 これからの将来は、僕たちも含めて障害者には生活しにくい世の中になりつつありますが、お互いにせめて想いをぶちまけてストレスのないようにしたいものです。
 このたび、会員になりました新人ですが、手をつないでお導き下さるようにお願いします。

「特別支援教育」検討委員会への意見               井上 芳史
 現在、盲・ろう・養護学校の今後のあり方について検討しています。「守る会」は検討委員会に対し次の事項を意見として出しましたのでご紹介します。
          2005年6月16日
          高知県視力障害者の
          生活と権利を守る会
           会長 片岡 慈仲
  [「高知県における特別支援教育の在り方に関する検討委員会」に関する意見]
 意見を述べる前に検討委員会にお願いがあります。
 多くの視覚障害者は、まだパソコン操作が不十分で「検討委員会」のホームページを閲覧することが出来る者は数少なく、このようなパブリックコメントでは視覚障害者の意見を反映することは出来ません。県の広報などで視覚障害者に「特別支援教育」に関する意見を募集していることの情報提供をしてほしいと思います。
 次に「高知県におけるこれからの特別支援教育」であって長期的な展望を持った現実的な在り方を考えてほしいと思います。そのためには意見募集の期間があまりにも短すぎます。多くの県民・保護者・障害者などの意見を聞き、より良い「特別支援教育」を実現してほしいと思います。公聴会を開き多くの県民の意見が反映され、理解の得られた「特別支援教育」を実現してほしいと思います。
 最後に、盲学校には「ルミエールサロン」という他県にはないすばらしいコーナーがあります。しかし、職業自立している視覚障害者には仕事を休んで見学に行くことはなかなか出来ません。「ルミエールサロン」のような常設展示場を障害者福祉センターなどの障害者が多く利用する施設にも設置してほしいと思います。

  [意見]
1.盲学校は高知県内に1ヶ所の、視覚障害者のための唯一の教育機関であり、今後も視覚障害児・者の教育のために充実発展させてください。
 2.盲学校卒業生は450人余りおり、多くの者は、あはき業で職業自立しています。視覚障害者にとってもすばらしい仕事であり、あはき業を維持・発展させていくために盲学校における職業教育を充実してください。
 3.糖尿病などで、今後中途視覚障害者が増えていくと思われます。そのためにも「センター的機能」を人的配置も含めて充実させ、相談活動を行なってください。
 4.中途視覚障害者の生活自立を目的とした教育コースを設置し、点字や歩行、料理、パソコンなど教育の機会を保障してください。
 5.「開かれた学校作り」の主旨を生かし、卒業生など視覚障害者が集まり、運動やパソコン、あはき技術の向上など研修の出来る場として施設・設備を利用させてください。


  会員の皆様へ
         青学部  半田 繁清
 今年も嫌な梅雨の時期となり、昨年の水害が思い起こされる今日この頃ですが、会員の皆様にはおかわりございませんか。
 さて、去る5月10日に土佐山田町の寺村葬儀社において、父の告別式の際には生活と権利を守る会のほうからご丁寧に弔電をいただき
ありがとうございました。
 父も病には勝てず、また治療の効果もなく家族の見守る中、79歳の生涯を閉じました。遺(のこ)された私たち家族は助け合い、頑張っていく所存です。暖かく見守って下さい。
 本来なら会員の皆さんの前でお礼を述べるのが本当かと思いますが、まだ五十日も済んでおらず取り込み中でありますので書面にてお礼の挨拶とさせていただきます。本当にありがとうございました。

編集後記                有光 勲
 以前には「みちしるべ」の記事の中に川柳コーナーがあり、多くの方々にご協力いただきました。新年号ではその前の年に投句して下さった作品の中から川柳大賞1名、佳作2名を専門の方に選んでいただき、軽少ながらも賞品を差し上げておりました。ところが、段々このコーナーへの参加者が減り、ついにひとまず休載ということになってしまいました。ご希望があれば、また復活したいと思います。とりあえずはお題は何でもかまいませんので、お気軽に編集部まで川柳をお寄せ下さい。その都度掲載することにします。また、短歌や俳句、詩などでも結構ですので、ふるってお寄せ下さい。
 また、「うまいもの案内」として、おいしいお店の紹介コーナーもありますので、皆さんがお気に入りの居酒屋や食堂などを紹介して下さい。
 年金について詳しいことが知りたいという声もありますので、次号に掲載する予定です。この件に関する情報をお持ちの方は、編集部までお知らせ下さい。



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