「みちしるべ No187」2006年9月号

目次(ページ内リンク)
 埼玉大会報告  畠山 俊恵 
 女性部埼玉大会分科会報告 井上 奈美子 
 女性の労働と権利の分科会に参加して  津野 一美 
 加古小夜子さんの講演を聞いて  片岡 幸子 
 「全視協全国委員会」報告  井上 芳史 
 女性部「防災」についての学習会に参加して  田元 美紀 
 ちょっと一人旅でイタリアへ  片岡 慈仲 
 携帯電話の使い方について無料で指導が受けられます  有光 勲 
 スカイプ簡単発信ソフトの紹介  中平 晃 
 編集後記  有光 勲 

埼玉大会報告
             畠山 俊恵
  8月19、20の両日、埼玉県飯能市で「第14回全視協女性部大会」が開かれました。
 高知からは、片岡、井上、津野、畠山の女性部4名と、全視協会長の正岡先生が参加しました。分科会を中心に報告します。 
 私は「生活」の分科会に参加しました。  参加者12名。
 最初に2004年の10月23日に起きた「中越地震」で家が一部損壊(壁やタイルが剥げ落ちた)という大きな被害を受けた、 新潟県十日町市在住の池田幸子(全盲)さんの体験発表がありました。
 池田さんは6人家族(ご主人・池田さん 自身の両親・小学5年と2年の2人のお子さん)。地震が起きた時、家族5人は家の2階にいたが、ご主人は仕事で隣の市にいた。  地震直後はご主人と連絡が取れず、とても 心配したが、しばらくたってから無事でいる ことが分かった。
 「立って歩けないほどの揺れ、繰り返し 起きる余震、もう地球が壊れてしまうのではないかと思った」と話す池田さん。実際に 大きな地震を体験した人の話だけに、壮絶な様子が伝わってきました。
 避難所だった中学校の体育館では、だれかの手を借りなければ1歩も動くことができない、それがとてもつらかった。やっぱり 家にいたいと思い帰っていた時、最初の 地震よりももっと強い余震が起きた。  
「避難所には行きたくない」という自分の我がままを通して、もし家族に何かあったら 
大変だと思い、避難所に戻った。
 その後、知り合いの紹介で福祉施設に移って3週間、そこは部屋の入口やトイレなどに 点字表示があったので、とても生活しやすくて嬉しかった。こんな所が避難所だったら障害者も余分な気を遣わずにいられると思った。ところが、「家族6人分の宿泊費を払って貰いたい」と言われた。これから家の修繕にも費用がかかるし、とてもそんな余裕はないと困っていた時、宗教の人たちも一緒に なっていろいろ県に交渉してくれた。その おかげで、食費も宿泊費も県が負担してくれることになった。「同じ障害を持つ仲間の                        ありがたさを改めて感じました」と静かに話されました。
 高知でも、私たちがいつも利用している福祉施設を2次避難所として使わせて貰えるよう、要望していったらいいのではないかと思いました。
 続いて、同じく池田さんから豪雪の話がありました。
 新潟県十日町市は最初に雪祭りが行われたという、とても雪深い所。今年は3mくらい積もった。屋根の雪下ろしができない池田 さんの家では、屋根の上で雪を解かす装置 (雪が降り始めたらスイッチを入れる)を 付けている。その装置には一冬で20万円 くらいの灯油代がかかった(補助金は出ない)。雪下ろし(1回2万円)についても、市町村によって補助金が出る所、出ない所、様々である。南国高知では想像もつかない 雪国の大変さを知りました。
 その後、防災グッズをいろいろ見せて貰いました。携帯トイレ(管の先をペットボトルに差し込んでおいて用を足す)。携帯浄水器(マヨネーズのような容器の先に水を漉す フィルターが付いている。魚が生きていられるくらいの水が飲み水になる)。充電タマゴ(手巻き式充電器にラジオ、ライト、緊急サイレン、携帯電話の充電端子などが付いて いる)。私も帰りに新宿の「東急ハンズ」で充電タマゴを買いました。
 そのほかにも、いろいろグッズを見せて 貰いましたが、いくらグッズを買っても、使い方が分からなかったら意味がない。買ったら必ず開けて1度試して見ること。使い方を点字で書いて貼り付けておいたらいい」と                   担当の橋本さんが言っていました。
 その後、私も7年前に高知で起きた水害の体験や、先日行なった防災の学習会で学んだ 南海地震のことなどを話しました。
 阪神大震災の時、避難所で実際にあったと いうびっくりするような話も聞きました。避難所生活が長引くとみんながいらいらして くる。心がすさんできて障害者への配慮も 何もなくなってくる。本人が知らない間に「あの人の分も一緒に貰っていきます」と 言ってお弁当を持っていった人が、ちゃっかり家族が多い自分たちの物にしていたとか…。「そんな時、『私は貰っていません』とはっきり言える勇気、ぼーっとしていないで賢くなって耳を欹てる(そばだてる)ことも                     大切なことではないだろうか」との指摘が ありました。
 2日目の全体会では、各地域のゴミ問題に ついて、かなり長い時間その話で盛り上がりました。ゴミの種類によって袋が分かれて いると視覚障害者には分かりにくいので、 「袋は1種類、曜日によって出す物を分ける」。この要望をしていったほうがいいのではないかという意見が多かった。
 自立支援法の問題では、聞き取り調査や 
医師の意見書のことなど、いろいろ意見が出た中で、「106項目を聞き取り調査する こと自体が本来あっていいのだろうかと思う。その日によっていろいろ条件も違うし、一つ一つができる、できないで人間は生きて                     いるわけではない。そのことを私たちは厚労省に明確に跳ね返していく、理論的な根拠と いうものを明らかにしていくことが大切で ある。もっと角度を変えて問題提起していかなければ、ほんとに私たちが望んでいる制度を作っていくことはできないのではないか」という加古小夜子(記念講演の講師)さんの 意見がとても印象的でした。
 就労の問題では、一般企業で電話交換手として29年間勤務しているという大阪の 女性から「年齢とともに記憶力、理解力も 衰えてきて、社会の流れになかなかついて いけない。退職を考えたこともあるが、自分ができる範囲で精一杯頑張ることが視覚障害者への理解へ、また、それが障害者運動へと広がっていく一つの方法ではないかと 思う」という意見。
 今回、重点目標の中に入っていなかった中途視覚障害者の問題について、「中失者は増えているので、その人たちの話をいろいろ 聞いて、今後もその問題に取り組んでいかなければ会員拡大につながらないのではないか」という貴重な意見も出ました。
 埼玉大会が行われた飯能市吾野という所はとても遠い所で、いささか疲れました。  FOMAの電波も届かないような所、自然がいっぱいのそんなホテルで、3日間も携帯に触ることなく、美味しい料理をいただいて、みんなとお喋りして…。いろいろ交流できたことはとてもよかったと思います。

女性部埼玉大会分科会報告
             井上奈美子
 8月19・20日に開催された女性部大会に参加しました。私の参加した分科会の報告だけ簡単にさせていただきます。

  第T分科会、在宅福祉
 在宅福祉、自立支援法を学ぶと言う事で会は始まりました。
   
アンケート調査、結果報告。
 総数148名16組織。男性の解答が
36%、年齢は50代60代が中心。利用者の殆どが全盲、使用文字も点字又はテープという事であった。ニーズに応えているかに対しては、「まあまあ」が60%。「いいえ」と解答のあった分については整理しきれていない。ガイドヘルプについては、殆どの人が「時間が足りない」。地域で独自の軽減策が取られているかについては、「何らかの策がとられている」が1/3。自己負担が発生して利用時間が変わったか、「変わらない」が76%。
 以上のような結果から、本当にホームヘルプ、ガイドヘルプは必要であり、料金がかかろうと使わざるをえないと実感した。詳しくは報告書があります。
  
白沢氏の講演の内容
 厚生労働省の最新の動きと今後どうするのかを中心に話を進めたい。障害者自立支援法は、昨年10月31日に成立し、11月7日交付され、今年4月1日から一部実施(負担制度)された。10月1日から本格的に実施される法律である。

  @厚生労働省がどのように受け止めているのか?
 厚生労働省との懇談で実施後どのような評価をされているのかを聞いた。
 一つ目は負担制度の問題について、幾つもの減免措置を講じているので、負担増や増し
てサービスを断念するとか、利用を少し減らす等、そんな事が本当に有るのか。ちゃんと減免制度を受けていないのではないか。
 二つ目は、4月から負担制度だけでなく、施設経営経費、サービス提供事業所に入るお金も大幅に引き下げされている。小さな法人であれば通所の施設で2千万〜3千万の収入減、大きな法人では2億〜3億の収入減で経営が成り立たない。この問題についてどうかとの答弁は、それはやり方の問題で、経営が下手なのではないか、という事であった。
 厚生労働省は『これではもうやって行けない』等の下からの声に対し、9月11日締め切りで、障害者自立支援法に対するパブリックコメントを急遽呼びかけた。順調に進んでいればこのような必要は無い。現状を知っているとしか思えない。
 このように実は問題があるのに、問題があると認めない。私たちはこのような現状認識
を改めさせなければならない。そのような意味では、女性部が取り組んだアンケート等、
更なる分析評価を進め、リアルな実態と何故このような問題が起こって居るのか、整理を
する必要が有り、どのように活用していくのか考えなければならない。誤った現状認識を
改めさせて行くには、生の声、実態を突きつけて行く事が大事ではないかと思う。

  A自治体の状況はどうか?
 白沢氏が開催しているセミナー「障害者自立支援法の施行後の実態と課題」には多くの
行政担当者の参加があり、行政側も悩みつつ、どう乗り越えて行くのか模索しているのではないか。行政の側にも二面性があり、国の言うことは聞かなければ、しかしこのままで
は大変な事になる。どちらの比重を大きくさせていくのかの決断である。
 国は減免制度を出来るだけするな、国の基準通りにと、言っている。しかし、わが町で
は減免を行う等、横浜市では、非課税世帯は0円と、今一番進んだ減免措置を行なっている。大阪府と大阪府下の市町村は、3年後に介護保険との統合であるなら、今何かをする必要は無いので、絶対に減免はやらないとまで言っていた。しかし大阪の吹田市が減免をすることになり、周りの市も減免をすると決定を出す市が増えてきた。
 介護保険との統合を踏まえ、何処の自治体も、減免措置は3年と期限付きで行っている
ところが多く見られる。減免措置を行う自治体が増えて来たと言うのは、ある意味では一
歩前進とも言えるのではないか。これをさらに、サービス利用等のところまで広げる働きかけがこれから必要だと思う。

  B自立支援法施行までの流れ
この作業を円滑に進めるには、自治体がサービス提供する基準をきちんと持っていなければいけない。障害程度区分の認定=支給決定ではない。介護の状況、住環境、何よりも本人の利用の意向が勘案され始めて支給決定がされる。その後、受給者証の交付を受け、10月1日までにサービス提供事業所との契約までを済まさなければならない。しかし現状では、支給決定すら終わっていない自治体が殆どで、10月1日からスタート出来るのか。
 支給決定は、居宅介護、ホームヘルパー等のサービスを受けるには、区分1以上。作業所、通所授産は、区分3以上。グループホームは、区分4以上。このようにサービスごとに利用者像が決まっている。今までのサービスが受けられない区分になった人に対しては、5年間は経過措置で、今までのサービスがそのまま受けられるようにしたと厚生労働省は言うが、その後サービスを受けられる保障は何も無い。
 障害程度区分、支給決定でどのように判定されるかで受けられるサービスが決まる。利用者側から言えば、如何に実態に合った認定をされるかが重要になる。
 障害者手帳が1種1級だから障害程度区分が重くなると言う事は有り得ない。106項目の中に視覚障害に関する記述は非常に少ない。たとえば、「電話を掛ける」の項目で、番号を押して貰えれば掛けられる。これはABCの中のBの一部介助と判定される。第一段階の判定はコンピューターで行う為、一部介助のBになると判定が微妙になり、軽い程度区分が出る可能性が高くなる。調査結果をどのように反映させるかが鍵、曖昧な解答が厳しい判定を生む、出来なければ出来ないとはっきり伝える事が大切である。

  C地域生活支援事業
 市町村のメニュー事業で、必須項目以外は実施してもしなくても構わない。項目として
は、コミュニケーション支援(手話通訳)、移動介護(ガイドヘルパー)、日常生活用具等が含まれる。支援費制度より予算枠も市町村のみの事業となる為大幅に下回り、従来と同じサービスが受けられるのか。このように大事な事業が市町村に押し付けられている。今市町村ではこの地域生活支援事業の実施要綱を期限までに作らなければいけないという、膨大な作業を強いられている。当初、厚生労働省は条例でしろと言っていたが、どの市町村も議会に掛ける時間も無い事が分かると、地域生活支援事業、要綱又は規定で構わないと言っている。今後私たちは、この事業案が作られる前に様々な要望を出し進めて行く必要が有るのではないか。

  D基盤整備、地域格差
 支援費制度の時も基盤整備は国の責任か、市町村の責任かのやり取りがあったが、自立
支援法では市町村がやると決まった。それに伴い障害者福祉計画、これは障害者自立支援
法に基づく計画。これは平成18年度中に作り、数値目標(メニュー事業も含め)を明確に作ることが義務付けられている。またそれとは別に障害者基本計画これは障害者基本法に基づいて市町村が計画を作る。これは平成19年全ての市町村で策定を義務付けられる。国はこの2つの計画作成にあたっては整合性を持たせる事だけを記述している。自治体によってはこの2つの計画を同時に作ってしまう所も出てくるかも知れないので、障害者福祉計画についてはあくまでも私たちの要望に合った計画を作らせる必要が有る。
  まとめ
 もう実施されたからお終(しま)いではなく、これからの課題が沢山ある。そのことを念頭に置いて、国へ向けての働きかけを頑張って行きましょう。
 
 以上が白沢氏の講演の内容です。

女性の労働と権利の分科会に参加して
             津野 一美
 助言者は都立の中央図書館(一般の図書館)で視覚障害者のサービスに当たっておられる田中さん、参加者は12名、職種は自営業、ヘルスキーパー、病院勤務、電話交換士、理療科教員と、それぞれの場で活躍されている方達ですが、数年で定年を迎えるという方達がほとんどでした。
 視覚障害女性が働き続けてゆく上で抱えている悩みや課題、また、これから働きたいと思っている人達の不安や願い等を出し合い、各地域でのサポート体制を学び合い、今後の就労支援に役立てたいという思いで、自己紹介を兼ね、意見を出し合いました。
 ヘルスキーパーの就労体制は、給料はあまり問題ないが、勤務時間が長かったり、1年契約で身分保障がない等。
 病院勤務者については、カルテの整理や治療経過等の記録のサポート面で困っている。また、お年寄りの患者さんにぶつかって骨折する等、移動中の事故があり、全盲の方の雇用が難しい等。
 電話交換士も、機械化されてやめても後の雇用はない等。
 後輩に仕事を引き継いでゆく為には、仕事に対し誇りと研究心を持ちながら、国に対してはヒューマンアシスタント制度の充実や、あはきに携わる人達の雇用と支援等を要求していかなければならない。
 また、助言者の方からは視覚障害者の実態
(2006年厚生労働省調査)の資料をいただき、それによると18歳以上の在宅視覚障害者数は301,000人、そのうち70歳以上51.5%、50〜59歳15.6%、65〜69歳12.3%。就業率は23.9%。
 高齢化、就業率の低下等、特に私達女性にとっては厳しい状況になってきています。

加古小夜子さんの講演を聞いて
             片岡 幸子
 私も今回の女性部大会に出席しましたが、 その記念講演の感想を書かせていただきます。
 講師は加古小夜子さん。といってもご存知 ない方も多いかもしれませんね。彼女は  神奈川県の全視協で活躍していた、かの有名な故池谷(いけがや)さんのお姉さまです。  私がまだ全視協に入って間もない頃、婦人部大会で東京に行った時、池谷さんが壇上で大きな盲導犬を連れて私たちにお話された ことを思い出します。私は犬が大嫌いで、 あの大きな盲導犬のそばにはとても近寄れないと思うと同時に、池谷さんの堂々としたオーラの輝きに圧倒されたものでした。
 加古さんは1940年に生まれて、中学を卒業しNECに入社し、退職されるまでの ことを「女性としての生き方」という演題で いろいろなエピソードを交えながら、人と して、女性として成長してこられた過程を 話されました。
 加古さんのお父さまは沢山の弟子を持つ腕の立つ左官でしたが、また、飲む、撃つ、買うというほうも盛んで、加古さんはお母さまの後ろ姿 ―― 弟子たちの賄の忙しさ、女性として、母親としての悔しさ・悲しさ ―― そういったものを見て、お母さまを喜ばせるために一生懸命勉強した結果、NECに入社できたそうです。
 加古さんはお母さまを通して女性の苦しみを目の当たりに見て、それが彼女の活動の 
大きなばねとなりました。また、青春の真っ直中に安保闘争に出会い、屋台骨を育てて 貰ったとも言っておられました。
 最初は隠れるようにやっていた労働運動にだんだん堂々と関わるようになり、特に 会社の女性蔑視の態度には厳しく抗議し、 女性の地位向上に力を尽しました。課長であろうと、部長であろうと、間違ったことには堂々と反論し、正しいことを主張してきたそうです。それができたのは仕事をきちんと こなしてきたことと、自分の心の中に強い 信念が育っていたからでしょう。
 加古さんのお話は胸のすくようないいお話でしたが、特に私の印象に残ったことが あります。
 加古さんは20年ほど別居されていたそうです。「最近簡単に別れる人が多いけれども、1度別居すると相手の欠点ばかりでなく長所がお互いに見えてきて、結婚記念日や 誕生日などに、年に数回プレゼント交換をしたり、子どもを介して食事を共にしたりして、 1年間の帳尻を合わせていた」と話されて いました。また、「社会では嫌な人とは距離をおいていればいいけれども、夫と向き合って暮らすのは非常に難しいですね」とも言っておられました。
 加古さんは背筋がピンとして、立ち居振る舞いの非常に美しい方でした。偶然、宿泊部屋が同じになり、お茶を入れていただく機会がありましたが、その所作が大変美しく感じられました。
 加古さんは強くてしなやかではっきりと した、非常に爽やかな方です。加古さんは 私にいっぱい元気を下さった、私の憧れの 人です。

「全視協全国委員会」報告
 9月9日から10日にかけて25組織中、2組織の欠席の中、全国委員会が行なわれました。また、11日には50名の参加で「手をつなごう要請行動」が行なわれました。
 正岡会長から「自立支援法など社会保障は後退しているが、国民の団結により阻止している点もあります。」と開会挨拶がありました。
 1.平和運動:全国委員会の前に「視覚障害者9条の会」結成の集いが26名の呼びかけ人により85名の参加者で大成功に終わりました。特に、日盲連会長の笹川氏が発言した時には驚きました。平和憲法を守るためにこの「9条の会」に多くの視覚障害者に結集してほしいと訴えがありました。大阪でも160名の参加で結成しています。
 2.街づくり:札幌や仙台の地下鉄の駅に可動柵が、長年の要求によって敷設される事になったことや名古屋エスコートゾーンは線ブロックにとても似ており分かりやすいと、報告がありました。
 3.社会保障:金沢市では年間所得が
150万円を超えると医療助成や福祉タクシーの対象から除外されることになった。名古屋では支援費制度で業者と契約していたのに、一方的に業者から契約を破棄され裁判を起こした。全国の仲間の支援をお願いしたいと訴えがありました。
 4.情報保障:金融機関での代筆については職員による代筆と立会人を配置してもらう運動が原則であることを確認しました。
 5.老人医療:国は医療費負担が増大すると財政が破綻してしまうと言っていますが、欧米に比べ国の負担が低いことや患者の窓口負担割合は高いことが経済開発協力機構の調査で分かっています。ところが、@高齢者の自己負担の2〜3割化、A75才以上の独立した医療保険制度の導入、B医療療養病床に入院する高齢者の食費・居住費の自己負担、C長期入院療養病床の廃止、D混合診療(保険の中に組み込まれない医療)の拡大などを国は実施しようとしています。
 6.柔道整復師による不正保険請求:柔整の施術にかかわる療養費の支給対象疾患は急性・亜急性の骨折、脱臼、打撲、捻挫及び筋・腱の断裂であるにもかかわらず肩こりや筋肉疲労の施術に対し保険請求をしていることが明らかになってきたと執行部から報告がありました。
 7.会員・点字民報拡大と全視協財政:この問題に会全体の半分程時間をかけて討議しました。拡大月刊を設けていたが会員の減少に歯止めがきかないが、点民は大会後
約30部拡大した。会員・点民の拡大を進めないと全視協の健全な財政活動が行なえない。執行部から全視協の会員内外を問わず後援会(1口5千円)を立ち上げる案が提起されましたが、議案書での詳細な説明、上納金の値上げも含めて次回に検討することになりました。点民のフロッピー版読者に対しメール版の配信と夫婦で同じ文字を使用している場合、希望者には1部の発送の2点が承認されました。高知でも上記希望者は点民担当者の生田さんに連絡してください。
 8.第28回兵庫大会:07年6月1日〜2日に代議員総会、2日〜3日に活動交流集会が行なわれます。近くで開催されますので大勢の仲間で参加しましょう。
 9.手つな要請行動:私は雇用・就労問題に参加しました。厚労省の担当者からは「各地の職安とマニュアルを活用して進めていきたい」と人事のような説明でした。参加者から病院が電子カルテに移行し、画面読み上げソフトでは読むことが出来ず来年の3月には解雇されるおそれがある、厚労省から「電子カルテ導入に伴い視覚障害者に配慮をするように」という文書を出してほしいと訴えましたが、それについては何も反応はありませんでした。
 次回の全国委員会は07年2月17日〜18日、手つな要請行動は19日と決定されました。

女性部「防災」についての学習会に参加して
              田元 美紀
 8月6日、高知市障害者福祉センターで、女性部の学習会が行われた。テーマは「防災」についてで、防災対策課の瀬良さんを講師として迎えた。
 地震、洪水、豪雪などといった異常な自然現象が起こっても、それだけでは「災害」とはいわない。死傷者が出たり、建造物が破壊されたりなどの被害が出て、初めて「災害」という。
 高知市は昔から水害に悩まされてきた。高知という地名は、鏡川と江ノ口川の内に域を築いたのに由来する(河内→高知)。高知市は標高が低く、0m地帯が5%を占める。
 地震の起こる仕組みについて。地球上には
10数枚のプレートが存在していて、思い思いに動いている。高知県はユーラシアプレートの上に存在している。プレートが引っ張られてひずみが蓄積していき、戻る力によって跳ね上がり、大きな揺れ、津波を引き起こす原因となる。
 南海地震は100〜150年ごとに発生しているが、安政の南海地震と昭和の南海地震の間は92年と短く、M(マグニチュード)が小さかったので、まだエネルギーが残っているとも考えられる。だから、次の南海地震は100年を待たずに今世紀前半に発生すると推測される。
 それでは、地震から身を守るにはどうしたらよいか。揺れが来た時、まずは落ち着くことが大切である。
部屋の中にいた場合、大きなテーブルなどの下に隠れて、落下物から身を守る。テーブルが動かないように、テーブルの脚を持つ。調理中だったら火を消すのだが、火元から離れていたら、揺れが収まってから消しに行くように。
エレベーターの中にいた場合には、近くの階にすぐ下りる。地震が起こった場合にはエレベーターを使用しない。
外にいた場合には、頭をカバーして安全な場所に逃げる。ブロック塀、歩道橋、橋からは速やかに離れる。山にいた場合、崖崩れのおそれがあるので、崖の上や下から速やかに離れる。
揺れてから30分以内に大津波が来る可能性がある。揺れが収まったら、警報を待たずに走って高台へ逃げ、最低でも避難後6時間は待機する。
津波は周期が長く、水の壁が迫ってくる感じ。速さはジェット機並みで、深くなればなるほど速くなる。高さも想像を超える。種崎では8.1m、桂浜では7.8mと予想されている。
 津波は引き潮があってから襲ってくるというイメージがあるが、実際には引き潮がなくても襲ってくる。また、繰り返し襲ってくる(第1波よりも第2波が大きい)。
 地震・津波には火災が付き物である。延焼のおそれがある時には広い公園などへ避難する。
 南海地震が起これば、余震が1年以上続くことも考えられる。
 山津波も起こり得る。地震で崩れ落ちた土砂によって川が堰き止められ、川が耐えられなくなって決壊し、山側から大量の水が流れ込んでくる。
 地震に関する情報は、テレビ、ラジオ、市町村の広報から入手する。安否の確認のための「災害用伝言ダイヤル」がある。
 自分の家で生活できなくなった場合、避難所での生活が始まる。避難所には男女、年齢を問わず、さまざまな人が来る。避難所ではルールが必要である。新潟県中越地震があった時、車で避難生活をしたために亡くなった人も多くいる。狭い空間で長い間同じ姿勢でいると、血栓ができて血流が悪くなる。
 阪神大震災で亡くなった人のうち、80%が家の下敷きになった、家具に挟まれた、などの「圧死」である。家屋の倒壊防止についても考えておく必要がある。
高知市住宅課から耐震診断士が派遣されて、地盤、基礎、壁の配置のバランス、傷み具合について調査する。1981年5月31日以前に着工した木造住宅が対象である。個人負担は
3,000円。最大60万円の助成を受けられる。
 家具の転倒防止対策。家具は倒れないように固定する。枕元にタンス、テレビなどを置かないように。エアコンは落ちてくると怖いので、エアコンの下では寝ない。ガラスには飛散防止フィルムを貼る。
 非常持ち出し品はリュックサックに入れておくのが最もよい。また、乾パン、ご飯などの保存食を備蓄しておくように。保存食は3年から5年ほど持つ。持ち出し品と備蓄品の2種類を備えておくように。
 火災保険は地震による被害には適用されないので、地震保険にも加入する必要がある。被災者には義援金、公的な助成金が支給されるが、それだけでは不充分である。
 地域での防災活動へも積極的に参加するようにしたい。個人では限界がある。住民同士が協力して災害を防ぐのである。普段からの近所付き合いが大切である。
 高齢者、乳幼児、障害者、妊産婦、外国人などの災害時要援護者対策について。最近、「個人情報保護条例」が施行されたので、要援護者についての情報を収集するのが難しくなっている。
 個人情報の収集のし方には、本人から直接情報を収集する「同意方式」、自ら登録する人を募っていく「手挙げ方式」、平常時から福祉関係の情報を防災関係の人も共有する「共有情報方式」がある。個人情報なので、地域自主防災組織など限定的に提供する。
 要援護者といわれる人も、待っているだけでなく、自ら働きかけることも大切である。
 ご多忙な中、学習会に来られ、地震への対策について有用なお話をして下さった瀬良さん、この学習会を企画して下さった「守る会」の女性部に感謝したいと思う。

ちょっとだけ一人旅でイタリアへ
             片岡 慈仲
 今年は7月27日から8月8日までイタリアで、ローマ・フィレンツェ・ヴェネチアを訪れた。主要目的は、フィレンツェで29日から5日まで行われた第91回世界エスペラント大会(約2500名参加)と、
第72回国際盲人エスペラント大会(25カ国から視覚障害者90名、同伴者60名。日本からは視覚障害者7名、同伴者5名)に参加するためであった。
 イタリアは統合教育の先進国であるだけに、視覚障害者の社会的統合がかなり進んで おり、今回初めて世界大会と盲人大会が完全に統合されて行われた。その結果、今までなら両方に参加するためにはたっぷり2週間 
必要であったが、今回は1週間で充分だった。 また、視覚障害者の会議にも晴眼者が自由に 参加できたし、視覚障害者も数十種類ある 分科会や講演会などに、晴眼者に交じって 参加し、お互いの交流がより密になった。
 例えば私は医療関係者の分科会やエスペラント中級会話の教室に1人で参加したが、 その時、全く知らないどこかの国の晴眼者に手を引いて貰う機会が何回かあった。また、 会話の時間に先生から「3分間であなたの最も尊敬する人について簡単な文を作り、隣の人とそれを発表し合いなさい」という問題を出された時、私は隣の全く初めて会う女性とそのテーマについてお互いの考えを述べ合うことができた。
 彼女は大学生で、彼女の最も尊敬する人は 自分の専攻している学科の先生。「その先生の何気ない教え、一見専攻している学科とは 何も関連がないような教えの中に大変導かれるものがある」と言っていた。
 今回の国際盲人エスペラント大会は「手で 見ること ―― 視覚障害者はいかにして 芸術を享受するか」というテーマで行われた。
 それに関してイタリアのアルド・グラッシーニさんとノルウェーのオットー・プリッツ さんから講演があり、その後少し討論を行なった。また、イタリアには多くの美術館が あり、その多くは視覚障害者が触れることを許している。大会の行われたフィレンツェにもいくつか触れることの許された美術館が あったが、私はメディチ家の宮殿跡の美術館で、大理石で作られたいくつかの像を鑑賞 した。また、大会中に1日かけて行われる遠足では、アンコナという所にある国立の 「触れる美術館オメロ」を訪れた。
 ここには古代から現代に至るまで、時代別に有名な彫刻作品を、大き過ぎて触ることが できない物はミニチュアにして、2m足らずの物は原寸で、精密にコピーして展示して 
あった。また建造物では、アテネのパルテノン、ローマのパンテオンやサン・ピエトロ大聖堂、フィレンツェのサンタ・マリア大聖堂などが精密なミニチュアで置かれていた。
 私はイタリアに着いた明くる日、菊島さんの友人ニーノさんと彼の娘シルビアさん(大学で日本語を専攻)の案内でローマ観光を し、パンテオンにも行ったが、大きくてその 柱に触ったり、歩いて柱の間の距離感をつかめた程度であった。しかし、アンコナのこの 触れる美術館で初めてその全体像を詳しく 理解できた。
 ところで私の「一人旅」であるが、これまでの2回のエスペラント大会参加の時には、 
息子や娘を同伴していた。でも今回は、経費もかかるし、ということで1人で参加した。1人とはいっても、日本からフランクフルトまでの片道12時間、往復24時間だけ。しかもそれはほとんどが機内なので「一人旅」と言えるほどのものではないのだが。
 関空では税関の手続きや機内への案内などすべて日本人がやってくれるので、国内の旅行と全く同じである。しかし機内では食事や飲み物、トイレへの誘導などの際、どうしても係員のお世話にならなければならない。  日本人スチュワーデスも少しはいるが、ほとんどはドイツ人(私はルフトハンザを利用 した)であった。あらかじめ「座席を通路側でトイレに近い所を」とお願いしておいたのはやはりよかった。食事の時は丁寧に手を 
とって内容を説明してくれたので全く不自由なく食事を楽しめた。またトイレは、男性の係員が来たので早速頼んだ。「あなたの 肩に手を置かせて下さい。そうすれば、私はあなたの後をついていけます」と言うと、 それが通じてうまく誘導してくれた。そして、 後は何人かの方が時々「何かご用はありませんか?」と聞いてくれるので、トイレに連れて行って貰ったり、飲み物を貰ったり、楽しく機内での12時間を過ごすことができた。
 また帰りのフランクフルト空港では、出国 
手続きや機内への案内などをすべてドイツの係員が付き添ってくれた。私のブロークンな英語で「通路側の席、トイレに近く」と 
頼んだのも通じたらしく、ちゃんとそういう 席に案内してくれた。広い空港を歩いていく 
時、「ご旅行はいかがでしたか?」とか「ドイツは初めてですか?」とか「トイレは大丈夫ですか?」とか聞かれ、こちらもほとんど単語を並べるような会話ではあったが、何とか最低限のことは伝えることができてほっとした。英語はある程度勉強しておいたほうがより細やかなコミュニケーションができて快適だろうと、反省させられた。
 イタリアの交通機関はほとんど行き先などの放送がなく、時間も10分やそこら遅れるのは普通で、しかも、出発ホームもフィレンツェでは直前まで分からず、視覚障害者にはかなり困難ではないかと思った。
 イタリアで「日本人はドイツ人のように  
正確だ」と、よい意味でも悪い意味でも何度か言われた。同じヨーロッパでも国によって違うものだということを体験した。現にイタリアでは会議の開始時間なども少々遅れるのは普通で、だれもあまり気にしていないようであった。

携帯電話の使い方について無料で指導が受けられます
   有光 勲
9月1日にドコモから私たちが最も多く使用しているラクラクホンシリーズの最新 機種フォーマラクラクホン IIIが発売されました。
新機種は漢字の詳細読みが付いており、 漢字変換がより正確にできるようになった ことが最大の魅力です。私も早速購入しました。液晶画面が更に見やすくなり拡大鏡も付いていますので、弱視者にも便利なようです。
ところで、ドコモの事業として、3人以上 集まれば携帯サークルということでサポーターを派遣してくれるそうです。正式な社員ではなく、委嘱されたスタッフが来てくれるとのこと。人数に応じて何人か派遣して貰えるようで、ほぼマンツーマンの指導が受けられると思います。従って、その人のペースに合った使用法を習うことができます。ちなみにドコモの電話以外の使用者でもかまわないようです。早速始めたいと思いますので、お問い合わせやお申し込みは有光090−4972−3290まで お願いします。

スカイプ簡単発信補助ソフトの紹介
              中平 晃
 皆さん、こんにちは。青学部の中平です。
スカイプというソフトを使えばインターネット経由で無料で話ができます。今回はスカイプをより便利に使うために、中平が所属するはなももソフト開発部で作成したソフトを紹介します。

スカイプ簡単発信補助ソフト「スカイプhtmlコンタクトリスト作成」
著作権者 はなもも ソフトウェア開発部(旧 びーねっと ソフトウェア開発部)
 企画・開発・サポート 中平晃

URL http://hanamomo.tk/soft/
種別   フリーソフト

 このソフトは、音声化ソフトで音声化しにくいスカイプのコンタクトリストを使用せずに、テキストでスカイプコンタクトリストを管理し、HTMLに変換し、リンクでエンターキーを押すだけで簡単にスカイプに発信することができます。
http://hanamomo.tk/soft/txt_skype_html/
のページからダウンロードできます。インストールしてご使用ください。
※このソフトをご使用になるには、スカイプがインストールされている必要があります。

◆ 使用方法
1、スタートメニューの「スカイプHtmlコンタクトリスト作成 メニュー」の「スカイプコンタクトリスト.txt」を開き、名前$スカイプID$備考のように、1件分を1行に書きます。書き終わったら上書き保存して閉じます。
※例として始めから「はなももソフト開発部」のを書いてあります。
※最低2件分は書いてください。1件だと出力結果がおかしくなる場合があります。

2、スタートメニューの「スカイプHtmlコンタクトリスト作成 メニュー」の「html変換」を選択し、エンターキーを押します。

3、完了メッセージで、エンターキーを押します。

4、スタートメニューの「スカイプHtmlコンタクトリスト作成 メニュー」の「スカイプ電話帳」を選択し、エンターキーを押します。

5、インターネットエクスプローラ等で開かれますので、タブキー等でskypeで発信する相手を選択し、エンターキーを押します。
※1件目のリンクは、広告として、はなもも ソフトウェア開発部のホームページへのリンクになっています。

6、スカイプが起動し発信されます。

 いかがだったでしょうか。スカイプをご使用になっている方はぜひこのソフトをお試しください。
最後に、はなももソフト開発部では、音声化ソフトとキーボードで使える下記ソフトも販売しています。お試し版もありますのでお試しください。
スケジュール管理&データベースソフト「アルボ2」
http://hanamomo.tk/soft/arbo2/
家計簿ソフト「マネーベース2」
http://hanamomo.tk/soft/kakeibo2/

編集後記
   有光 勲
毎年8月は県と高知市に対して自治体交渉を行なっています。以前には1日か2日で 済ませていましたが、中途半端になるため、 昨年から新スタイルの交渉を行うようになりました。
今年は8月3日から毎週木曜日に、既に 提出している陳情書を基に、関係部署との交渉を始めています。あまり前向きな回答を得られないものもありますが、一定成果を上げた事例も見られます。9月28日が最終日になりますので、10月にその報告書を発行する予定です。
編集委員の田元美紀さんが「みちしるべ」に連載したエスペラント入門をひとまとめにしたものができています。大変分かりやすく書かれていますので、この際にエスペラントについてちょっとだけでもかじっていただけませんか。点字、墨字、テープのほかに、メールによる配信もできます。ご希望の方は編集部までお知らせ下さい。



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