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「守る会総会」の報告 井上 芳史
全国委員会報告 有光 勲
女性部代表者会議の報告 畠山 俊惠
風蘭(ふうらん)との出会い 友永 行保
視覚障害者と自立支援法 パート10 藤原 義朗
国際セミナー ―― 視覚障害者と就労 ―― に参加してきました 片岡 慈仲
(四国銀行からの手紙)
正会員 貞岡信太郎さんのご逝去に寄せて
編集後記 田元 美紀
「守る会総会」の報告
事務局 井上 芳史
6月17日に高知市障害者福祉センターで「守る会総会」が行われました。
議長には伊藤教雄さんと片岡義雄さんが選ばれました。総会が始まった頃には24名でしたが、最終的に29名の出席者となりました。
総会で出された意見を紹介します。
1.あはき3団体とあるが、どのような 活動をしているか?…守る会・県師会・視協の3団体で月に1回会議を行なっている。主に無免許マッサージ対策について取り組んでいる。「私たちの仕事や生活を守るために積極的に取り組んでほしい」グリーン会館にも無免許マッサージ師がいると聞いているので高知市との交渉で発言してほしい。
2.「点字図書館」の指定管理者制度については高知市で検討されているが、点字など専門性を必要としているので、この制度には最も馴染まない施設である。利用者の意見を聞いて貰う機会を持ってほしい。
3.県議選や市議選で期日前投票に行ったが、点字の候補者カードがなかった…点字による候補者カード作成は告示後2、3日は かかってしまう。
4.「みちしるべ」のホームページ版には投稿者の氏名は削除してほしい。
5.インターネットによるパプリック・コメント(一般大多数の意見)に取り組む必要があるのではないか?…インターネットで 募集しているが、募集期間も短く難しい点もあるが、できるだけ対応していきたい。
6.予算案では会費が減っている?未納状況は?…何年か先まで会費を納めている方がいるので、その方の会費は除いている。未納会費については役員を中心に努力しているが、どうしても未納者がいる状況である。
7.要求としては「バスの車外放送の音を大きくしてほしい」「上町2丁目の横断歩道の白線が薄い」「LEDの信号機が弱視者にとって見やすいのか?どこに設置しているのか?」
などの意見が出されました。
最後に役員選挙があり、片岡会長、有光副会長、正岡副会長が拍手で承認されました。
会長から事務局長に井上、次長に生田、学習部長に濱口、自治体等対策部長に正岡、あはき対策部長に森本、編集部長に有光、機関紙部長に生田、財政部長に山崎、レク部長に大野、組織対策に井上の提案、また、議長から監査委員に田所良子、津野一美さんの提案があり、拍手で承認されました。
今年度もこの役員で進めていきますので、
よろしくお願いします。
全国委員会報告
有光 勲
全視協第28回大会、第1回全国委員会が、去る7月28日・29日の両日、東京都障害者福祉会館で開催されました。宮城・和歌山・岡山・沖縄が欠席、青学部・女性部を含む21団体が参加。また、翌30日は、恒例の「手をつなごう 全ての視覚障害者全国集会」で、厚労省・経産省・警察庁・国会図書館等との交渉を行いました。今回は私が参加しましたので、その概略を報告します。
初日28日は、18時から21日まで分科会で、トータルビジョンの内今回は、「生活」・「読書」・「メディア」・「防災」の3つに 分かれて、その見直しを検討しました。
ところで、「トータルビジョンとは何の ことだ」という声が聞こえてきそうな気も します。これは「総合的未来像・理想像」というような意味になるでしょうか。今から
10年前に作られたもので、守る会で毎年自治体交渉を行なっていますが、その陳情項目のようなものです。直ちに実現させるというものだけではありませんので、数百項目にも及びます。私は「読書・メディア」の分科会に参加しました。289項目から306項目までで、そこには視障者の読書権保障や点字図書館・公共図書館などのサービス改善、各種読書機器やメディア利用の充実に関する要望事項等が書かれています。いずれ新たなトータルビジョンについては、次回以降の全国委員会で具体化されることになるので、分科会では逐条審議はせず、テーマに関連した意見を自由に出し合うという形式で行われました。その時の発言のいくつかを紹介します。
「いろいろなメディアを利用する際、著作権が阻害要因となっている。障害者の情報アクセス権の改善を。」、「日点は2011年からデイジー図書への切り替えを決めているが、新たな製作は別として、カセットテープも平行して残すべき。」、「機械に苦手な者でも簡単に使えるデイジー再生機が必要。カセットデッキのような携帯性を持たせたデイジープレーヤーの開発を。」、「拡大本やデイジー図書にも価格差保障を。」、「携帯電話のキー操作が煩(わずら)わしい。折りたたみ式の外付けキーボードも市販されているので、6点入力が可能なソフトの搭載を。」「テレビの字幕を全て音声化することはできないか。全ての番組に副音声を。」「点字出版所に視障者の点字技能士の配置を。」
2日目の29日は駒込地域文化創造館に会場を移し、執行部から提案された議案に沿って審議が行われました。
第1号議案 第28回兵庫大会総括
まず開催県の兵庫から「参加者246名、ボランティア延べ125名の協力を得て無事終了することができた。全盲会員が多い中、
2年間かけて準備してきたが、資金作りと適切な会場探し、ボランティアの依頼等で苦労した。当日には間に合わなかったが、県から 20万円の交付金を受けることができた。
40周年記念を題材にした講壇のテープを回してほしいとの意見が多く聞かれるが、実は、通常の4分の1程度のギャラでお願いしたので、テープ配布となるとそれ相当の負担を求められることになる。」といった報告がなされました。これに対し参加者からいろいろな意見や感想が述べられました。
「大会運営はよくできていて楽しいものだった。宿泊所もよかった。実行委員の皆さんに感謝する。」、「限られた時間なので、発言はできるだけ端的に。時間を知らせるベルを鳴らしてはどうか。ボランティアはありがたかったが、ボランティア同士の連携がうまく取れていなかったため混乱する場面もあった。」、「分科会を少なくして実のあるものにすべき。」、「夕食後会が続くのはしんどい。
食事は遅れてもよいので会が終わってからに。」
第2号議案 会員及び点字民報
拡大について
会員数は全体として減少しているが、新潟・奈良・和歌山・岡山・福岡では会員を増やしている。会員の年齢や仕事など一人一人の実情を充分に把握して手を差し延べ、退会者を出さないようにすること。メーリングリスト未会員に入会を勧めること。役員会等で入会候補者を挙げ、入会を呼びかけるビラなども作成して積極的に取り組むことなどが話し合われました。
点字民報については特に活字版の拡大に取り組むこと。150部の残部を各組織で宣伝紙として利用すること。点字版は費用がかかるので、読み終わって要らなくなったものを宣伝紙として利用すること。「会員拡大や点民読者拡大の割り当てについては、各組織の実情や意見も聞いた上で決めてはどうか。」、「会費の減免措置について検討すべきではないか」といった発言がありました。
第3号 議案重点目標の実現を目指す運動
A.「平和と民主主義」から H.「理療・あはき」までかなりの分量になります。いずれ点民等で詳しい報告がなされると思いますので、ここではごく一部にとどめます。
雇用・就労…「久保田教諭のその後はどうなっているか?」「充分な情報は入っていない。現段階では本人としてはそっとしておいてほしいのかもしれない。近くの会員に状況を?んで貰うようにしたいと思っている。」
理療科…マッサージ診療報酬の引き上げを求める署名は、2年に1度行なっている。今年は1万名を突破することができた。採択には至っていないが、総医療費抑制政策の下、診療報酬をこれ以上悪化させないという 役割を担ってきたことは断言できる。
*「モード学園マッサージ科設置」に反対する運動…新宿駅西口に地上50階、地下4階、高さ203mの巨大ビルが建設中である。1万人の学生を収容する福祉・医療関係施設である。その中にマッサージ師養成施設も設置する予定である。あはき法19条を守る観点からも何としてもそれを阻止しなければならない。運動の手始めとして、8月26日(日)に東京都障害者福祉会館で集会を行う。第1部は講演、第2部は各界著名人に発言して貰う計画を立てている。この「モード学園」問題に関心を持ち、署名運動等に是非協力して貰いたい。
第4号議案 各局等の活動について
女性部…自立支援法に関するアンケートが、まだ40名程度しか集まっていない。締切りを8月末まで延長する。利用していない人に対する質問項目もあるので多くの方の回答をお願いしたい。
弱視部準備会…新たに11名で弱視委員会を組織する。この委員会が全視協の弱視運動の中心となる。
交流集会…文化の集いは茨城ができないとのことで、他の組織と折衝中である。 その他まちづくり・弱視者・あはき集会を 行う。
点字プリンタの購入について…「事務所のプリンタが修理不能になっているので、新たなものを購入したい。」との提案がありました。購入することについては了承されましたが、障害者雇用助成金の上限額が引き下げられているかもしれないし、支出のしかたや機種の選定等については再提案されることになりました。
*中越沖地震カンパを8〜9月に集めます。
次回全国委員会は来年2月2日(土)3日(日)に開催されることになりました。
手をつなごう集会から
全国委員会の翌日30日に、関係省庁などとの交渉を行いました。私は経済産業省と松下電器との交渉に参加しましたので、簡単に報告します。
経産省に対しては、1.地上デジタル放送の完全実施に向け、視障者でも簡単に操作できる受信機の開発を。2.使用しやすいリモコンの開発を。3.電化製品が視障者にも利用しやすいように、開発段階から配慮すること。音声・点字・拡大文字などによる操作マニュアルの作成を。機器開発に際して要望できる窓口を。という要望書を提出しました。
経産省からは、情報通信機器課の職員5名が出席し、次のような回答を得ました。「障害者の方だけでなく、高齢者の方や機械に苦手な方でも使用できるものを開発しなければならないと考えている。7省庁やメーカー、
販売業者等から代表を出し、『地上デジタル推進全国会議』が組織されている。そこでは『デジタル放送推進のための行動計画』を 策定し、要望のあったような件についても 検討されている。また、テレビメーカーの 団体である『電子技術産業協会』では役所の指導の下、デジタルテレビ用リモコンの使い方に関するガイドラインを設け、メーカー間で共用できるものを検討している。リモコンだけでなく、『財団法人 共用品推進機構』ではメーカー間で異なる製品の開発にならないよう鋭意努力している。」
松下電器ともほぼ同じ内容で交渉しましたが、無資格マッサージに関する交渉のような全く不誠実な回答は見られず、障害者や高齢者にも使いやすい機器を開発するための取り組みは行われていますし、一定その誠意も感じられました。具体的にどのようなものにしてほしいかについては、メーカーのほうでも把握し難いと思われますので、どしどし意見を出していく必要があるということを痛感しました。
30日の午後は全体会で、講演と各交渉の報告が行われました。講演のテーマは「視覚障害者の読書環境改善を目指して ―― 出版社はどこまで多様な読者のニーズに 応えられるか」。講師は有限会社読書工房代表の成松一郎氏。「盲学生へのテープ朗読ボランティアとなったことがきっかけで、現在著者・出版社とニーズのある読者との橋渡しをする第三者機関として、NPO法人『バリアフリーリソースセンター(BRC)』を立ち上げた。『ワンソース・マルチ・ユース』ということでデータさえ提供して貰えれば、読者のニーズに応じた様々なメディアで図書の提供ができる。そうした取り組みがどこまで可能なのか等について研究している。」といった内容でしたが、詳しくは省略します。
女性部代表者会議の報告
畠山 俊惠
去る8月4日、5日は、全視協女性部の 代表者会議とミニ観光が行われ、高知から畠山が参加しました。4日の会議には全視協会長の正岡先生も駆けつけて下さいました。
神奈川県川崎市にある授産施設「つつじ山荘」に全国の代表が集まり、今回は最初に学習会がありました。
講師の福井典子さん(70歳)は、重症心身障害のお子さんを抱え、ご自身も都議会議員をされていた91年にてんかん発作を起こし、障害者となった。そのお子さんとともに40年以上障害者運動に関わってこられたそうです。
昨年12月に国連で「障害者の権利条約が採択されました。日本における障害者の国内法はといえば、障害者からお金を取るという「自立支援法」を押し付けるなど、世界第2位の経済大国でありながら、そういう面ではまだまだ遅れている。
「障害者の生存権は一つも揺るぐことのない絶対的な権利です。一人一人が権利意識を高め、いつでもどこでも勇気を持って、当事者として意見を言うことが大事」とおっしゃった福井さんのその言葉が心に残りました。
続いて、会議に入りました。分野別活動のまとめの中からいくつか報告します。
女性部の活動では欠かせない生協について…(コープ神戸)ネット注文が充実していて、注文者もどんどんネット注文している(東海コープ)。「コエログ」という携帯電話を使っての注文。携帯電話が商品名や値段をしゃべってくれる。ほしい物があればその場所で決定ボタンを押すと、「買い物かご」という所に記録される。どんな物を買ったか後から簡単にチェックもでき、合計金額もすぐ分かる。最後に送信すれば生協に届く。これなら点字で書き取る必要もないし、どこにいても便利に使えるのではないかと思った。
生協への要望書について…商品名や賞味期限などの点字表示をという要望より、これからは中失者にも分かるような方法(アイタッチ・トーク)などを要望したほうがいいのではないかという意見。
防災について…(新潟市)援護者登録が今年4月から変わり、本人が役所に出向いていかなくても、役所が持っている障害者の個人情報を、民生委員に教えてもかまわないかどうか、本人に同意を取る方式(同意方式)になった。
(大阪)災害が起きた時、実際助けてくれるのは近所に住んでいる方たちだと思う。そういった意味でも地域の避難訓練に障害者も積極的に参加したほうがいいと思う。
在宅福祉…この夏、皆さんに協力して貰った「障害者自立支援法」に関するアンケートをどう生かしていくかについて…女性部独自の厚労省は行わず、来年2月の全国委員会「てつな」で、一緒に厚労省交渉を行うことになりました。
第15回女性部大会は、08年8月23、24日に奈良で開かれます。その大会で、高知は「生き生き健康ミドルライフ」という分科会を担当することになりました。奈良の 組織では、資金作りのために生協の「柿の葉寿司」(600円、冷凍)を販売するそうですので、皆さんご協力よろしくお願いします。
5日の日曜日は、神奈川県厚木市にある「福元館」という所で温泉に入り、昼食をいただいて、ゆっくりくつろぎました。その旅館は、作家の小林多喜二がひと月ほど滞在していた所だそうです。旅館のおかみさんが、ご自分の両親から聞いたという多喜二の 話をして下さいました。憲兵に追われていた多喜二は、その旅館で身を潜めるようにして暮らしていたそうです。多喜二が書き物をしていたという離れの部屋にも案内して貰いましたが、そこには小さな座り机があり、多喜二が実際に着ていたという温かそうな丹前が壁に掛かっていました。
多喜二はぼた餅が大好きでよく食べて いたそうですが、私たちもおかみさんが作ったという美味しいぼた餅をごちそうになりました。
風蘭(ふうらん)との出会い
友永 行保
今から12年前の不快指数の高い6月の午後、ある患者様が突然この花の香りを嗅いでごらんと勧められ、鼻を少し花に寄せてみる、その瞬間、甘い香りは鼻を刺激し、仕事の疲れがどこかに飛んでいく、何この香り、当局の脳下垂体を優しく癒し、麻酔作用の様に幻覚したのが風蘭との出会いです。
この風蘭を少しご紹介します。花と言えば蘭、蘭と言えば色の鮮やかな西洋蘭、香り良い東洋蘭、東洋蘭にも土に自生する蘭と古木に着生する蘭に分類し、自然界の風蘭は着生蘭で地上10m以上の古木に着生している。
風蘭の歴史は古く、江戸時代徳川11代将軍家斎(いえなり)公が熱心な愛好者だったと言われ、日本全国の大名小名は競って領国内に着生している風蘭の中から変わったものを探し出して、将軍に献上するなど力を注いだ話は有名である。
江戸時代以降、古典園芸植物として愛され、昭和62年には日本で開催された第12回世界蘭会議シンボルマークに日本を代表する野生蘭として風蘭の花が選ばれる。平成2年の大阪府での花の万博、それ以降各地での国際蘭展等に常に出品展示され、世界だけでなく一般の方にも注目されるようになった。
この風蘭の特徴としては着生蘭であること、葉姿は厚く細長く、水苔で植えるので、清潔で軽く乾燥に強く、ベランダ・窓際などの狭いところでのコレクションも十分楽しめます。春から空中に伸びる新根の色は赤・青・白・ルビー色など変化にとみ、梅雨時期に花が咲く、蘭科植物随一、上品なすばらしい香りをだし、当局の心髄を癒してくれる。
近年食品の変化により、旬の香りが少なくなり、嗅覚鈍麻、味覚鈍麻の若者が多いと言われている今日、皆様の好きな香りがあると思いますが、江戸時代から現代に続く緑の宝石、自然界の風蘭の優しい高貴な香りを楽しんでください。
*作り方
風蘭用2号鉢に、風蘭の根を水苔で軽く巻いて植える。マグアンプ肥料を2、3個水苔に置く。水苔が乾いたら水を与える。
お問い合わせ
TEL088−883−6916
友永鍼灸指圧院
(文中の一部を高知県立牧野植物園
パンフレットより引用)
視覚障害者と自立支援法 パート10
藤原 義朗
厚生労働省は、年金問題のカモフラージュにコムスンの問題を出してきました。悪徳企業だとか、譲渡先は「ニチイ学館」だとか「居酒屋ワタミ」などといわれていますが、今一番不安を感じ辛い思いをしているのは利用者です。
別に、私はコムスンをかばう気持ちは一つもありませんが、先日、高知市元気生きがい課長に会った時、「遠隔地でガイドヘルパーを利用したい時、応じてくれるのはコムスンくらい」という話をしました。「そんな役割を持っていたんですか」と、感心されました。
つまり、介護保険や自立支援法のあまりにも貧弱な制度の法令を遵守すると、ニーズに応えきれない課題があります。その中でも最たるものが、自治体の枠を超えたガイドヘルパーの遠隔地利用です。
今回は、市町村の枠を超えたところでの外出の支援について述べてみます。
1.厳しくなってきた遠隔地利用
私は厚生労働省の行政モニターをしています。レポート審査により、今年初めて採用されたのですが、厚労省へ報告書を出さねばなりません。まずは、5月に提出したものを見てください。
厚生労働行政モニター報告書
平成19年5月27日
高知県 藤原義朗 男性 47歳
管理・専門技術職 19−451
題名「自治体の枠を超えた際の移動保障について」 1.実名
視覚障害者の外出を可能にならしめる手段は、1.ハード的な街の改善 2.ガイドヘルパーやガイドボランティアなどサポートの充実 3.歩行訓練などリハビリテーションの充実があげられます。
通学や通勤、買い物など日常生活に関するものは、1と3の充実で、ある程度可能になります。しかし、市町村の枠を超えた土地での単独移動は、その土地をよほど熟知していなければ単独歩行は難しいです。その点では、離れた地域での2の課題が大切になってきます。
私は、視覚障害1級です。県外へ行った際サポートの必要な場合は、@ガイドヘルパー A全国視覚障害者外出支援連絡会(JBOS)などガイドボランティアサークル B観光ボランティア Cガイドヘルパーのネットワーク事業の利用をしています。
@については、支援費制度で利用契約制度になり、時間に制約のある時は、契約作業をするのが大変です。また、事業所も自治体との連絡や書式の違いなど作業が煩雑になり、利用した事業所の半分が支援費を請求しておらず、無償でのガイドでした。それ以前に、担当地以外の人だということで、契約までいかない所がほとんどでした。
それが地域生活支援事業になり、ますます遠隔地利用が難しくなりました。Aは、「ヘルパー事業所の営業妨害だ」といわれ、活動が鈍っている所もあります。Bは、その観光スポットが基本で、旅行先での移動をカバーするものではありません。Cは、支援費単価に合わせ利用料がますます高くて払えなくなったり、廃止になったりでほとんど利用実績が上がっていません。
このように、視覚障害者が旅行する際のサポートは、厳しいのが実情です。サポートコーディネートセンター的機能を全国で共通に持ち、手続きが簡単で、しかも連絡も取りやすいシステムが完成されることを望みます。
と、いうものです。
次に、それぞれについて解説してみましょう。
3.ガイドヘルパーおよび通院介助
@ガイドヘルパー
地域生活支援事業に位置づけられたものです。措置制度の時から四国のような田舎では、実施自治体が少ないのが問題でした。地域生活支援事業では「移動支援事業」という名前で必須事業となっています。
ここに、平成18年度地域生活支援事業実施一覧がありますので、見てみましょう。厚労省から提示されている移動支援事業は(ア)特別支援型――これはマンツーマンによるガイドヘルパーのことです。(イ)グループ支援型――同時に複数の人を介助する形です。(ウ)車両移送型――福祉バスなど車で送迎するタイプです。
高知県内35自治体のある中で、実施は(ア)が17、(イ)が0、(ウ)が1です。必須事業といいながらも半分しか行われていない実態があります。また、その自治体にガイドヘルパー事業所がなければその土地では利用できません。
[実施自治体]
○特別支援型――安芸市、北川村、芸西村、南国市、香南市、香美市、高知市、土佐市、春野町、越知町、日高村、須崎市、中土佐町、梼原町、宿毛市、土佐清水市、黒潮町
○車両移送型――東洋町のみ
高知市を例にとると、身体介護の要る人も要らない人も、1時間2800円の単価。負担は応益負担ですので、280円の負担となります。
全国統一制度であった時の支援費制度時代でも、県外の事業所でガイドヘルパーを利用しようとすると、「一元さんお断り」で、多数の事業所が契約を断っていました。
また、やっと応じてくれた事業所も、高知市との手続きが面倒ということで、せっかくガイドしてくれたのに、高知市へ支援費請求していない事業所もあります。
私は、約10箇所でガイドしていただきましたが、半分は請求されていないのです。コムスンは、笑顔で応対し、ガイドし、しっかり高知市へ支援費請求してくれました。
しかし、問題は、時間に余裕の少ない旅行中なのに、契約するといちいち時間がかかり、契約書を読む暇もなくサインし、判を押すしかないという問題が起こってきました。
そこで、私は高知のコムスンと契約し、県外へ行く時は、高知コムスンからの委託という形で県外のコムスンを利用しました。昨年は、コムスン横浜と中華街を歩きました。
正岡先生は、先日、コムスン京都と一緒に乗馬と寺巡りをしてこられたそうです。全国で、ガイドヘルパーのネットワークを持っているのはコムスンだけで、それが崩壊したのは深刻です。ヘルパー事業2番手のニチイ学館はガイドヘルパーのエリアは少ないのです。コムスン方式のように全国ネットを組んでほしいと頼みましたが、「コンプライアンス」と言って、法の遵守という建前を使い断ってきました。
A通院介助
自立支援給付の介護給付の中に、「通院介助」というのがあります。利用料金は、応益1割負担です。
【身体介護あり】障害程度区分2以上で歩行外出項目5つの内2つ以上にチェックが
ついた場合 1時間400円
【身体介護なし】障害程度区分で上記以外の場合 1時間あたり150円
気をつけなければならないことは、通院が目的のホームヘルパー介助であるため、医療機関への通院途中に、買い物などに立ち寄ることはできないのです。これは、契約時にしっかりと念を押されます。
また、県外の大学病院などにかかる場合、出発地点がホテルなど自宅以外からの出発の場合は、通院介助という形では利用できません。居宅事業の範疇にあるからです。その場合はガイドヘルパーをご利用ください。
B介護保険を利用した通院介助
介護保険の対象者で、ホームヘルパーの身体介護の名目で通院介助をする場合があります。利用料金は1割負担です。
【介護度1から5の場合】 1時間あたり 402円
【要支援の場合】定額制ですので、ひと月にいくらと金額が固定されています。
週1回のサービス利用の場合
1234円/月
週2回の場合 2468円/月
週2回を超える利用で要支援2の場合 4010円/月
4.JBOS(ジェーボス)
全国視覚障害者外出支援連絡会の略です。これは、全国各地にあるガイドボランティアサークルをインターネットで結び、「いついつ、高知の○○さんが行くよ」と、メールを送り、当日、現地のガイドボラさんが列車の駅などで待ってくれ、案内してもらうシステムです。私は、インターネットで直接現地のガイドボラサークルへアクセスして依頼しています。
正岡さんは高知ルーモでの担当である江崎さん(電話841−9011)に、電話
申し込みをし、江崎さんからインターネットで旅行先の団体に連絡してもらう方法をとっておられます。
私は、出張や観光旅行、そして、カープの応援時などに利用させていただいています。ホームページもあり、コネクト事例など出ていますので、インターネットが出来る方は、ぜひ見てください。全国の皆さんの利用の仕方が分かると思います。
5.観光ボランティア
わが町の魅力を多くの人に知ってもらいたいという人たちが、各地で活躍しています。私の旅行術は最近これにハマっています。
今年の夏は、小学3年の娘と一緒に金しゃちの名古屋城、そして、織田信長の犬山城や武家屋敷、木曽川の鵜飼いを楽しんできました。それも、地元の観光ボランティアの人たちのお陰です。観光ボランティアさんは道を実によく知っておられます。また、歴史もうまい店もよくご存知です。神戸の全視協大会の後、正岡さんと三ノ宮観光ボラさんにお世話になったのですが、急に宮城道雄の碑へ行きたいと言い出しても、すぐに案内してもらえました。井上先生から南京町のどこどこの店で待ってるよと携帯電話が鳴ると、その店もご存知で連れて行ってくれる。すごいですね。
また、姫路城では刀をさした侍姿のガイドさんが、「こちらが殿様の部屋です」と、言って案内もしてくれます。ぜひ、観光案内所に電話し紹介してもらってください。
6.ガイドヘルパーのネットワーク事業
県外のガイドヘルパーさんを実費で紹介してくれる制度です。高知県もこのネットワークに20年前入りました。高知では、県身体障害者連合会が事務局をしており、旅行先のガイドヘルパーさんに連絡を取ってくれます。
実費ですので、1時間800円くらいから1,000円くらいが多かったのですが、支援費制度導入後ガイドヘルパー単価に合わせた所が多くなり、1時間1,500円以上の負担という所が多くなってきました。また、このネットワークから脱退していく自治体も出てきました。
高知県での昨年のコネクト事例はざっと数えて0件でした。使われない制度になってしまいました。
8.公的制度かボラさんか
京都から帰ってこられた正岡先生に感想を聞くと、「いや〜藤原君、人をタダで使おうっていう時代でなく、業務できちっとしていく時代になっていくのかな」とおっしゃっていました。というのも、心持ちが随分違ってきます。ボラさんにお世話になる時は、「すみません、お願いします」という感じですが、公的制度の時には「こうして下さい」と言える感じがあります。また、いいヘルパーさんに出会った時には、次の機会の時も指名し再会できたこともあります。デンマークでは、「無償制度では当てにならない、有償制度できちっと」というように、完全公的支援制度になっていきました。
次に、ボランティアさんの魅力ですが、私は、ポレポレ山楽会で毎月四国の山に登っています。同じ仲間という気持ちで登っています。もし、ガイドヘルパーさんと登っていたら、ビジネスではちっとも面白くなかったでしょう。先月行われたボランティアガイダンスではNPOセンターの人が「好きなこと、得意なことをボランティアに生かそう」と、強調されていました。そうです!人間得意なことが一番強いのです、楽しいです。甲子園に行く時は、「カープの事なら何でもしますのでお申し付けください」と、髪を真っ赤に染めた施設応援団の青年がニコニコしながら駅まで走って迎えに来てくれました。
9.ダイレクトペイメント&
パーソナルアシスタント
それでは、最後にちょっと硬い話になりますが、遠隔地の移動支援も含め北欧やイギリスでの方向性について説明します。福祉制度利用の時の支払い方式は次のような方法があります。
・償還払い――一旦全額支払って、その領収書で請求し、お金を返してもらう方法です。例えば医療機関での装具や義足、針灸あん摩などの療養費払いです。
・代理受領――例えば、医療機関にかかった時、患者が3割分支払い、残りの7割分は病院が保険者に代わりに請求する方法です。介護保険や自立支援法の介護給付も代理受領です。
・ダイレクトペイメント――必要な分は、直接利用者に現金給付され、直接サービスを買う方法です。例えば、学校の就学援助やドイツの介護保険制度です。
次に、北欧のほうで十数年前から始まってきた制度について紹介します。
・パーソナルアシスタント制度――利用者が、様々にある社会資源を購入していく方法です。ですから、ダイレクトペイメントと一体になるのです。スウェーデンやデンマークがこの形になってきました。
例えば、親が障害者で子育ての時、沐浴など子どもの世話をホームヘルパーさんに頼むより、子どものことの得意な子育て応援団からサービスを買う。読み書きにしても、リーディングの得意なグループに依頼した方が的確です。サービス提供側も、自分の得意なものを生かしていくほうが利用者との関係でも良くいくはずです。
このように、私が子育て相談を受ける中でダイレクトペイメント、そしてパーソナルアシスタントというヒントを得ました。
遠隔地の移動支援については、視覚障害者は旅行計画を立て、時刻表を開くところから、情報障害があるために足が止まってしまいます。外出支援コーディネーターなるものを置き、相談しながら、サービス利用していく方法を考えてみてもよいのではないでしょうか。
皆様方からのご意見をお待ちしています。
国際セミナー ―― 視覚障害者と就労 ―― に参加してきました
片岡 慈仲
去る8月4日(土)9時30分から16時30分にわたって、日本点字図書館で、表記の集会が定員70名をオーバーする参加者の強い関心の中開催されました。
ちょうど同日から1週間、横浜みなとみらいの「パシフィコ横浜」を主会場に「第92回世界エスペラント大会」が開かれており、これにWBU(世界盲人連合)やヨーロッパの視覚障害者組織で中心的に活動してこられた数名のエスペランティストが参加することになり、JABE(日本盲人エスペラント協会)がこの機会に表記のセミナーを開いては、と呼びかけたところ、日本盲人福祉委員会、日本点字図書館、視覚障害者総合支援センターの主催、厚労省、朝日・読売・毎日新聞、NHK、JABEなど多数の後援と協力で実現したものです。
このセミナーの言語は2つ。外国人はエスペラント、日本人は日本語で、山川、北川両氏の見事な同時通訳で行われました。
パネラーは次の4名でした。
ペドロ・スリータ(スペイン)59歳、
10歳で失明、盲学校で中・高校時代にフランス語・英語・ドイツ語・イタリア語・エスペラントの学習を始める。マドリード自治大学卒(文献学専攻)。1968年からスペイン盲人協会(オンセ)の活動に参加し、
1973年国際部長、1986年から14年間WBUの事務局長。9つの言語を使いこなし95カ国を訪問、来日も4回目。
アルド・グラッシーニ(イタリア)67歳、 6歳で不発弾の事故により失明、普通校で 学び、盲学校教育の経験はない。ボローニャ大学で哲学を学び、一般高校の教員(1966〜2003)として哲学、歴史を教えた。アンコナ(アルドの居住地)の市議会議員を3期務める。ダニエラ夫人(全盲)とともに国際語エスペラントを駆使して各種の社会・文化活動に積極的に参加している。
アルヴォ・カルヴィネン(フィンランド) 73歳、子ども時代に残留不発弾事故で失明し、手の指も多くを失う。ヘルシンキ大学で教育学を学ぶ。1972年から1999年までフィンランド視覚障害者連盟の事務局長を務め、各種の国際支援事業を主導した。ヨーロッパ盲人連合(EBU)委員としても活躍。盲学校時代に学んだエスペラントを使っての国際交流活動でも重要な役割を果たし続けている。
指田 忠司(日本)54歳、高校の体育授業での事故により失明。早稲田大学法学部卒。視覚障害者に関わる問題で専門学校などの講師を務め、1992年から独立行政法人高齢・障害者職業総合センターの上席研究員。日盲連など障害者関係組織の役員を歴任し、WBUでは雇用委員会委員。障害者の教育や
就労に関わる著書・訳書多数。
紙数の制限もあるので日本の現状には触れず、スペイン・イタリア・フィンランドの
事情を簡単に説明する。今セミナーでは事前に、点字・墨字・テキストデータのいずれかが希望に応じて参加者に配布されたが、これを読むだけでもかなり参考になると思う。テキストデータを希望される方は、私にメールを下されば添付ファイルでお送りできます。
ペドロさんはWBU事務局長の経験からまず世界の就労状況について簡単に触れた。
「もし充分に教育され、適切な手段を提供されればほとんどの職種で働けることを示している。例えば、大臣、国会議員、外交官、通訳者、翻訳者、実業家、法律家、盲学校だけでなく一般学校の教師、マッサージ師、鍼師、理学療法士、精神科医、電話交換手、情報科学技術者、音楽家、工場労働者、農民などとして現在働いている。
最大の問題点は、一般社会、時には盲人組織でさえも、幾つかの職業が盲人に特別に適していると考えていることである。ある国々では特定の、ほとんど1つの職業だけで盲人を働かせている(日本の三療など)。社会は盲人がその能力や意欲を実際に生かせるような機会を作り出す努力をすべきである。」
続いて、スペインの現状について
「政府が特別な宝くじを運営し、その販売権を盲人に与え、スペイン盲人協会(once)に大きな収益を与えている。現在1万人以上の盲人がこの販売で職を得ており、
約4,000人がオンセ内外で宝くじ関連の仕事に従事している。オンセは盲人だけでなく他の障害者関連の財団や企業も運営しており、また、電話交換手と理学療法士の訓練所も設けている。その結果、視覚障害者の就労率は一般の人とほぼ同じという状態を維持している。」
続いてアルドさんがイタリアの状態について
「イタリアには全盲(1級)が約6万人、残存視力0.05(2級)が約6万5千人、それ以上の視力を持つ弱視が約120万人いる。
2007年現在、1級の場合は手当月額
710ユーロ(約11万7150円、1ユーロ 165円で換算)、障害者年金263ユーロ(約4万3400円)。2級は手当243ユーロ(約4万100円)、年金169ユーロ(約2万7900円)が受けられる。障害者年金額は個人の年収(給与、労働年金など)による制限があるが、手当は収入とは無関係である。
8千人の電話交換手、1千人のマッサージ師、370人の一般学校の教員(かつては1千人ぐらいいたが、少子化と経費節減による学級数や学校数の減少による)がイタリアの盲人の主な職業である。
1950年代から視覚障害者の雇用義務に関する議会立法を目指して運動してきたが、1957年に電話交換手、1961年に マッサージ師の雇用義務化についての法律が採択された。
電話交換手は2年、マッサージ師は3年の専門教育を受け、国家試験に合格し、全国専門職登録名簿に携載すれば、公的機関ではその職種の雇用数の半分は視覚障害者に提供し、1人しか雇用枠がない場合は視覚障害者に与えられる。ただ、民間企業では納付金を納めてこれを守らない所が多い。」
次いで、アルヴォ・カルヴィネンさん
「フィンランドの人口は2006年現在
530万人、視覚障害者は約8万人
(約1.5%)。その内約7万人は64歳を超えており、約1万人が労働年齢(18〜
64歳)。
1865年、ヘルシンキに最初の盲学校が設立され、職業教育は手工芸に重点が置かれ、長い間手工芸職人とマッサージ師が盲人の主な職業であった。
第2次大戦後工場労働者が不足し、200名の視覚障害者が1年間の訓練の後工場に職を得た。1960年代になると修士試験、司法試験、聖職者試験などが視覚障害者にも行われるようになった。
2002年から、障害者を含めてだれでも職業訓練を受ける権利があるという戦略の下、職業訓練学校アルラ・インスティテュートを中心に、(1)販売、事務管理部門(コンピュータのユーザーサポート、顧客サービスと販売、事務)(2)ソーシャルケア、健康サービス部門(准看護師、マッサージ師)(3)工芸部門(織物、家具、装飾品のデザインと製作、椅子の座面などの詰物職人の教育)(4)音楽分野(音楽家、ピアノ調律)などに対する教育や、一旦職に就いた者へのレベルアップ教育が行われている。」
更にアルヴォさんはフィンランドの福祉 社会を発展させるためにこう述べた。
「福祉社会は競争社会にとって変わられるのか、という問題が今提起されている。競争社会の基本原理は市民の福祉を厚くすることではなく、企業の競争力に重きを置く。競争によって増大した利益を果たして市民のための福祉をより充実させるために、労働 生活の発展のために、あるいは労働市場を全ての人に平等に開放するために使っているのだろうか。労働市場における障害者の状況はこの理念の実現者としての社会の発展を反映する。この福祉を発展させるためにフィンランド教育省は「未来は教育にあり」という標語を掲げ、平等な教育と文化的サービスは福祉社会の基礎であり、これらの確保により、全国民の精神的、肉体的かつ経済的福祉を保障できる、と述べている。
(四国銀行からの手紙)
平成19年6月18日
高知県視力障害者の生活と権利を守る会
会長 片岡慈仲 様
井上芳史 様
四国銀行お客さまサービスセンター
藤戸 啓朗
拝啓 初夏の候、貴会ますますご清栄のことお慶び申し上げます。
平素はひとかたならぬ御愛顧を賜り、厚く御礼申し上げます。
さて、先般は会報「みちしるべ」をお送り
いただき、まことにありがとうございました。
また、井上様のお書きになられました「視覚
障害者対応ATM」におきまして、当行のATMについて詳細なご紹介をいただき、重ねてお礼申し上げます。会員の皆様方に当行の ATMを大いにご利用いただければ、これに勝る幸せはございません。
ところで、文中におきまして、金融機関の窓口での引き出し時の取扱に関するご要望を書かれておられますが、この件につきましてご説明申しあげます。
私ども四国銀行におきましては、以前より複数名の行員による代筆対応もできることとしております。その際、お客さまの大切なご預金をお預りしておりますので、念のためご自分でお書きになれない理由をお伺いしたり、お客さまの本人確認をさせていただく場合がございます。そうしたことをご了解の
上で、窓口に申し出ていただければ、ご希望に添った対応が可能かと存じますので、会員の皆さま方にご周知いただければ幸いです。
今後とも、四国銀行をご利用いただきますようお願い申しあげます。
敬具
これは「視覚障害者対応ATM」についての記事を携載した「みちしるべ」を四国銀行にお送りした際、担当の方から送られてきたお手紙です。
なお、お電話でお聞きしたことで少し補足しておいたほうがいいと思うことを書き添えておきます。
「本人確認の書類とは保険証でも障害者手帳でもかまわない。また、窓口の者が代筆のことを知らない場合もあるので、そういう時はお客さまサービスセンター(823−
2111)に連絡して下さい」とのことでした。
正会員 貞岡信太郎さんのご逝去に寄せて
*貞岡さんは大事な支えだったのに
片岡 慈仲
貞岡さんは私の1年先輩でした。彼は確か中学の途中から盲学校に転入してきたと思います。私の同級の奥田君と郷里が同じだったので、お宅に遊びに行かせて貰ったこともあります。また、学校時代にはブラスバンド部で一緒で、彼はコバス、私はピッコロでした。そんなわけでクラスは違っていましたが、貞岡さんには学生時代からいろいろとお世話になりました。
また、貞岡さんが定年退職されてからは、「今まで視覚障害者関係のことにあまり協力できていなかったが、これからは退職もしたし一緒にやっていく」と言われ、守る会にも自ら進んで入って下さり、全視協大会始めほとんど全ての行事に奥様と一緒に積極的に参加されておりました。
自宅に私たちを呼んで下さり、素麺など美味しい手料理とビールで楽しいひと時を過ごさせて貰ったことが懐かしく思い出されます。もっともっと一緒に飲みたかったのに。また、貞岡さんの優しさに惹かれて新しい会員も増え、これからの守る会の心強い支えとして貞岡さんを頼りにしていたのに…。
まだ60半ばで逝ってしまったことを 本当に残念に思います。どうぞ安らかにお休み下さい。
*貞岡君へのお別れのご挨拶
正岡 光雄
元気な貞岡君が突然亡くなったお知らせにとても寂しい気持ちになりました。
私は亡くなる2、3日前突然彼に会いました。「元気になって帰ってきた。また頑張りたいからよろしく!」といったものでした。残念ながらそれは夢の中のできごとでした。夢から覚めた私は、正夢ではとも思い、お家へ電話をしたことでした。後で考えると彼は最後の「お別れの挨拶」に見えたのではないかと。
学生時代の貞岡君は、腕白やんちゃの仲間に属していたように思い出します。
ある授業の中でのひとこまを思い出しました。「この話は松笠があるとよく理解できるなあ」と。それに対して彼らはすかさず言ったものでした。「そんなら、早速グランドで取ってくる」と言い、教室を飛び出していったきり授業の終わりまで帰って来なかったことは言うまでもありません。もとより退屈な時間から逃れるきっかけを待っていたのではないかと思いました。今の若者とは異なる楽しいおふざけでした。もう一人の相棒もすでにあの世の人となっていますが、今頃彼らは二人して新たなおふざけを演じているのかもしれません。
最近の彼はよく交渉の場に参加していていつも「胸の透くような」発言をして参加者を喜ばせていました。
お家でのパーティーが大好きで、私は2度も御招待に預かりました。
自ら気に入ったMyHouseを建設しまた「わが山」耕しまた木を切り見事に、工作もして楽しんでもいました。熟年世代の模範として尊敬していた彼の旅立ちは私には惜しくてしかたがありません。彼の葬儀の日、私は8時40分着の機で上京したのです。担当執行委員としての役目から、「女性部代表者会」参加のため羽田でコムスン派遣ガイドヘルパーを待っていましたが、突如呂律(ろれつ)がおかしくなってきたのです。体の動きには何も異常を感じませんでしたが、どうにもおかしかったのです。帰高してから、近森病院で診てもらったところ軽い梗塞にかかったようでした。ひょっとして彼のお供が出来たのかもしれなかった等と考えると、しかしながらどうも「足手まといの私」は置き去りになったのではないかとも思い、いささか残念な気もするこの頃です。
ご家族の皆さん、時々こんな貞岡君への思い出話のひと時を設ける機会を作りたいなとひそかに期待しております。実現の暁にはぜひおいでください。
改めて「貞岡君!しばらくのお別れです。それまでさようなら!」
*さわやかな出会いとホットな
思い出をありがとう
津野 功・一美
そうそう、あれは全視協福岡大会の時の事でした。大会の前々日、貞岡さんご夫婦と私達夫婦は夜行バスで現地入りしました。
ローカル列車に乗り、太宰府天満宮に参拝したり、やまかさを展示してある神社に行ったり、大堀公園でボートを漕いだり、夜は玄界灘や博多の町を一望できるタワーに上がり、素晴らしい夜景に酔いしれ、有名な中州にも繰り出し、屋台街をそぞろ歩き、ラーメンに舌鼓を打ったものです。
大会当日たまたま同室になった神奈川のKさんと意気統合し、メールアドレスや電話番号の交換をしていて、「四国の他の3県には行ったけど高知に行った事がない」という話になりました。その後貞岡さんが中心になりメールの交換を重ね、Kさんもまた行動的な明るい方で、3ヶ月足らずで話が煮詰まり、とうとう高知に初デビュー。知る人ぞ知る例の別宅を基点に観光三昧。桂浜ではプレハブの階段を上り竜馬と視線を交え、竜馬の生まれた町記念館では係りの方の丁寧な説明を聞き、高知城では急な階段を上り、漆を塗って修理ほやほやの天守閣にも上がり、ぐるっと高知市内を見渡して、大変満足していただいたものでした。中でも一番のヒットは西島園芸団地、食べた西瓜とメロンの美味しかった事、おかわりもしたほどでした。忘れられない思い出の一つです。
どんな時でも明るく気さくな奥さんとのバッチリの二人三脚で皆を包み込んでくれた思い出の数々を語り尽くせませんが、「ボケるな・負けるな・しっかり手をつなげ」と
私達を励ましてくれている様な気がします。
優しい奥さんと素敵な娘さん達を囲んで、 彼の好きなビールを飲みながら歌ったり。
楽しかった日々の事を語り明かしたいものですね。
*早過ぎる旅立ちを悼む
有光 勲
60も半ばともなりますと、嬉しいことよりも辛く悲しいことに遭遇することが多く なります。この度の貞岡さんの訃報も決して他人事とは思えません。私は3年前に食道がんの宣告を受けましたが、幸いごく初期であったため、内視鏡手術で治療することができました。また、いつどんなことになるかもしれません。
私は、今から23年前、昭和59年
(1984年)3月8日に網膜剥離で高知医大病院に入院しました。同室の人の話で知ったことですが、貞岡さんもやはり網膜剥離で入院されていて、私が入れ替わりになったようです。話によると、貞岡さんの網膜剥離は
かなり厄介な状態で、多くの医師が手術はできないと主張する中、網膜の専門家であったT教授が鶴の一声「私が手術する」と宣言したそうです。大変に難しい手術であったようですが、見事に成功し視力を回復されました。
また、その以前にも貞岡さんはこれまた
大変に難しい心臓の手術を受けられ、その時も見事に成功し元気になられました。2度にわたる大手術にも耐え元気になられたわけですから、今回の手術も成功間違いなしと信じておりました。
あれほど元気で私たちと一緒に卓球を 楽しんでいただけに、未だに信じられない
気持ちです。定年後の悠悠自適な生活を送ろうとしていた矢先、あまりにも早過ぎる旅立ちに私も悲嘆にくれております。
ご遺族の皆様にはお慰めする言葉もありませんが、どうかこれからの人生、貞岡さんの分までただただご健勝にとお祈りするばかりでございます。
貞岡さん、いろいろとありがとうございました。どうか安らかにお眠り下さい。謹んで ご冥福をお祈り申し上げます。
*貞岡さんありがとう
畠山 俊惠
入院されて約半年余り。お元気になられることをずっと願っておりましたが、思いが届かず、本当に残念でたまりません。
貞岡さんご夫妻には、卓球を通じて大変お世話になりました。昨年4月頃、貞岡さんから声をかけていただいて卓球をするようになり、私はすっかり卓球にはまってしまいました。
発足当時は、貞岡さんご夫妻といっしょに、春野の障害者スポーツセンターまで行き、そこで練習をしていましたが、貞岡さんの計らいで、盲学校から古い卓球台を譲ってもらえることになったときは手放しで大喜びしたものでした。
その後、盲ろう福祉会館へ卓球台を運ぶ手配など、すべて貞岡さんがして下さったのです。そのおかげで今はメンバーも増え、みんなで毎週卓球を楽しんでいます。
貞岡さんも「今年は4つの大会に参加する」と、張り切って練習していたのに、まさかこんなことになるとは…。
長く勤めた病院を退職され、これから色々なことをして楽しもうという矢先、こんな形で人生に終止符を打たなければならなかった貞岡さん。さぞかしご本人も無念だったことでしょう。
入院されてからも卓球部のことを心配して、電話やメールを何度も下さいました。ここにそのメールをそのまま掲載させていただきます。
貞岡さんが苦心して立ち上げてくれた卓球部です。潰さないよう、これからもみんなでもり立てていきたいと思っています。
奥様もどうかお気を落とされませんよう、くれぐれもお体を大切になさって下さい。
別の用事があって、告別式には参列できませんでしたが、いつかまた奥様にゆっくりお会いしたいです。
貞岡さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。ありがとうございました。
*貞岡さん・病院からのメール
題名:今朝は、良いお天気ですねえ
受信日時:2007年1月29日(月曜) 10時43分
おはようございます。今日は風も無く、温かい、まるで春を思わせる様な、素晴らしいお天気ですね。貴女はいかがお過ごしですか?僕は、オリに入れられたゴリラそのままで、アッチへウロウロ、コッチへウロウロとしているばかりです。アーア、いつになったら、みんなの前にもどれるのでしょうかねえー。ところで、2月11日の卓球大会には、火曜日のメンバーの4人は選手として参加可能でしょうかねえー。明日の夜、確認をお願いします。ではまた。
題名:お酒が恋しいなあ
受信日時:2007年1月29日(月曜)
11時50分
僕はまだ、退院のメドはたっていません。どうも、最後にMRIの検査で終了の模様です。スポーツセンターの試合には全員がアイマスクの使用となります。当日は高知県障害者スポーツセンター行きの県交通バスで行くことになります。面倒ですが、少しでも大勢での参加をお願いします。
題名:おはようございます
受信日時:2007年1月30日(火曜) 11時8分
良いお天気になりましたねえー。盲ろう福祉会館へのTELはおまかせします。倉庫の鍵は、何時でも解放されていますがたまに閉まっていることがありました。それは、事務の豊永さんのウッカリによるものでしたが、最近では、その心配はいりません。もしも閉まっていたら、松岡先生もいない時の奥の手に湯浅さんがいます。練習、頑張って下さい。
題名:今月も終りますねえー
受信日時:2007年1月31日(水曜) 15時55分
スポーツセンター主催の卓球大会には我々視覚障害、肢体不自由、知的障害、ろうあ者、脳血管障害などの障害者別に分れて、試合が行なわれます。我々の、サウンドテーブルテニスは2階の盲人卓球室です。今のところ、宮脇さんと貴女たちの、3名です。有光、井上の両氏にも参加してもらえるように、今1度話を進めて下さい。5月の、県体のメダルに向けて、正式のジャッジを受けて自分の弱い所を指摘されたら、技術が一段と向上しますからね。
題名:今朝も寒いそうですねえー
受信日時:2007年2月2日(金曜)
9時52分
おはようございます。病室内は温かくて、暑いのが苦手な僕は、浴衣式の寝巻の下に半袖のユニフォームとパンツ1枚だけのまるで夏ルックそのものです。世の中のみなさんは寒さで震えていると言うのに、なんと贅沢なことでしょう。ところで、今月の日曜日は昨年の7月の段階で利用者が多くて、18日だけしか確保できませんでした。もしかしてそれまで僕が退院して、いない場合にはお世話をお願いします、また、10日の土曜日には、試合の調整用にっと温存してあります。これは、宮脇さんの意見ですが、思惑、集まらない時には、来週の水曜日に調整し
題名:今朝はまるで春の模様ですね
受信日時:2007年2月6日(火曜)
11時15分
おはようございます。今日は、なんて温かいことでしょう!この、陽気に誘われて、どこか遠くへ旅に出かけたい衝動にかられるのは、僕だけでしょうかねえー。長い入院ってもうアクヘキしています。ところで、今度の大会の日のお弁当は、宮脇さんを除いて、他の4名は申し込んでおきました。それから、今日の、16時ごろに、盲ろう福祉会館へTELをして、鍵の確認をして下さい。ではまた。
題名:病室だけの生活は、もうイヤ!
受信日時:2007年2月7日(水曜)
11時56分
昨夜の卓球は、散々でしたね。でも、連絡をしていただいて、ありがとうございました。僕の手術日は、明日の教授回診のあと、決まるのでは?と、僕自身では思っています。それにしても、良い、お天気!心気くさい全てを放り出して、ニュージーランドの、異国の風俗や景色の中を、歩いてみたい衝動にかられます。その他に、ベルリンでも良いですね。
題名:おめでとうございます
受信日時:2007年2月11日(日曜) 20時0分
第1回目の、輝かしい優勝、おめでとうございます。ついに、念願の頂点に立ちましたね。立派ですよ。2位の宮脇さんも練習もあまり熱心ではなかったのに、やはり実力の持ち主ですね。もっと練習をすれば、何がおこるのかは解りませんねえー。3位の有光さんは、審判員に指導されてからは、宮脇さんと、長時間の接戦の末、惜しくも敗退しましたが、教訓をテコにして次回の楽しみとしましょう。井上さんは経験不足で残念でしたが、彼女は柔らかい手首の返しや、球の鋭さは、魅力的ですので、僕は大きな期待をしています。
編集後記
田元 美紀
8月4日から11日にかけて、横浜で開催された「第92回世界エスペラント大会」に私も参加しました(そのため、今年にはよさこい祭りに参加できませんでした)。大会についての詳しいこと(視覚障害関連が中心)は「みちしるべ」の196号で報告する予定です。
大会が終わってからも、「ボランティア
フェスティバル」で、よさこいチーム
「き・ら・り」と「てんてこ舞」の踊りを見たり、編集委員の大堀さん、その他のメンバーと貝のペンダント作りを担当したりしました。手が空いた時にはフェアトレードのコーヒーを飲みました。
貞岡信太郎さんの訃報を聞き、私も大変惜しく思いました。貞岡さんは会員になられた直後、「みちしるべ」に「僕の歩んだ足跡」と題して、国立療養所でマッサージ師として働いておられた時の体験を綴った投稿を寄せて下さいました。あの投稿を読まれて涙された方もおられるのではないかと思います。私は貞岡さんが投稿して下さったのに対して、お礼一つもできなくて残念に思っています。心からお悔やみを申し上げますとともに、貞岡さんのご冥福をお祈りいたします。
今年は記録的な猛暑となり、熱中症で亡くなった人も多くいます。今はだいぶ増しになってきてはいますが、暑さがぶり返さないとも限りません。水分を充分摂るなどの、熱中症対策を行いましょう。また、季節の変わり目にも体調を崩しやすいので、健康管理を怠らないようにしましょう。
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