みちしるべ
No 212  2010年10月号

目次(文書内リンク)
「生まれ変わる全視協」・・・・・・井上 芳史
「集い、学び、語り合おう ――住みよい社会と」 私の明日のために――」をスローガンに 女性部大会  大原 保子
女性部福岡大会 ――全体会で話し合われたさまざまな問題――  畠山 俊惠
施設バスめぐり(第2弾)(1) 田元 美紀
初めて訪れたキューバ  片岡 慈仲
エリアメールをご存じですか?
私の医療体験 ――命拾いをした話――  有光 勲
編集後記  田元 美紀

「生まれ変わる全視協」


             井上 芳史
 9月11日・12日と全視協全国委員会、13日には手をつなごう要請行動があり、守る会から代表として井上が参加しました。
 全国委員会では「一般社団法人全視協」に向けて執行部から定款案が出され、それに対する質問や意見など、委員会の半分を費やしました。
 1.なぜ法人なのか、これからの流れは:1985年の大会において事務所建設を決議し、2年間で3800万円を集めました。ところが、不動産高騰の中では事務所を持つことは出来ず、1987年に事務所を借りることになりました。事務所及び専従をおき、今日まで維持して来ましたが、資金は後10年余で底をつく事態となり、「永続可能な全視協」を検討していたところ、駒込の土地付き物件を寄付したいという方が現れました。寄付を受けるために贈与税・維持費などの検討をする中で法人格を取得する必要があるという結論に達しました。今回は定款案について検討し、1月22日の全国委員会で正式に提案され、承認後、5月の全視協大会で法人設立総会を行ないます。現代社会において法人格を取得することは社会的に団体が認められる、人格を得られるということになります。要請行動を行なう際にも、団体として肩書きや重みが出来ると思います。不安な点は法人を取得することにより自由な運動が出来るのか、何かと制約が生じてくるのではないかということです。
 2.各地から出された意見としては
 (1)1月までに定款案を検討するには時間的に難しい。検討する時間を保障してほしい。執行部としては1月の委員会で承認されるように地方に説明にいってもよいと説明がありました。
 (2)法人全視協と地方団体との関係はどうなるのか?販売活動に税がかかるのではないか?定款案を研究する中では今までと変わらないと考えている。
 法人格以外の内容については
 3.第30回全視協愛知大会:11年5月20日〜22日に名古屋市で実施する。3月31日を参加申し込み締め切りとしたい。
 4.医療保障:大阪のある病院では検診結果をメールで教えてくれる。検診結果を人にみてもらうと中性脂肪が高い、飲み過ぎとかいわれるので良い方法だと思います。
 5.街づくり:大阪の橋本知事は地下鉄ホーム可動策プランを金がないという理由で1路線の1駅を中止した。可動策があると思ってホームから転落するおそれがあり、大問題だと思います。
 6.情報保障:「視覚障害者にも利用出来る金融機関を求める」署名1791筆(うち、点字373)を国会に提出した。結果は不採択となりましたが、金融大臣との懇談を行ない、金融庁から各銀行協会に「視覚障害者に配慮した取り組みの積極的な推進」について要請文が出された。これを受けて守る会は9月2日に高知金融協会に「代筆・代読」を行うように要請した。
 7.雇用・就労:手つな要請行動にも参加しました。職業安定局からは「視覚障害者の雇用促進・安定・継続」で取り組んでいます。職場介助者制度(ヒューマンアシスタント)については期間延長という形で継続出来ないか検討、各地で雇用されたマッサージ師を支えるために「ジョブ高知」を立ち上げてはどうか、円滑な業務遂行のために盲導犬を貸与する訓練に年休で行っています。「障害者権利条約の合理的配慮」で要望していけばよいと思うと話されました。
 8.塩原視力障害者センター存続:昨年、閣議決定したので廃止の方向で進めています。厚労省は「最善の努力」をしていますというが「最善の努力」の意味が分かっていないのではないでしょうか。

「集い、学び、語り合おう ――住みよい社会と私の明日のために――」をスローガンに


女性部大会
             大原 保子
 8月28日(土)、29日(日)の両日、第16回女性部福岡大会がホテルクラウンパレス北九州で開催され、畠山さんと私、そして執行委員の藤原さんの3名が参加しました。  
 私たち2人は代表者会議に出席するため、27日に福岡に入りました。  

 会議では、議案書の討議など大会に向けての話し合いが行われました。  
 財政…会員の減少や販売の伸び悩みなどにより、財政は大変厳しい状況です。そこで今後の取組みとして、会員拡大や販売に加えて、私たちの活動を理解し協力して下さる賛助会員の拡大を進めていくことになりました。会費は2年間で2,000円です。あなたやあなたの周りの方のご協力をお願いいたします。  
 大会の意義と持ち方…組織も若い会員が少なく、大会の開催を引き受けるには動ける人が少ない。会場や費用の問題など、ますます厳しくなってきています。そこで、代表者会議に於いて、大会の意義や持ち方などを何度かにわたって考えていくことになりました。  
 次期大会…2012年の第17回大会は東京で開催されます。  
 部長に大上俊子さん…これまで長らく部長を務めてこられた奈良の島田陽子さんに代わって、高知出身で現在愛視協所属の大上俊子さんが部長になられました。  

 28日の午前中は、曲里の松並木散策ということで、ホテルの近くをエフコープの方に手引きしていただいて、北九州市観光ボランティアの古賀さんの説明を聞きながら歩きました。テレビでこの日の気温は37℃と聞いていたのですが、松並木ということもあるのでしょうか、風も気持ちよくゆったりした時間を過ごすことができました。  
 午後1時前、小倉祇園太鼓の力強い演奏で大会は始まりました。北は北海道から地元福岡まで、16組織からの参加者は100名でした。  
 開会行事に続く全体会では、大阪の秋元清子さん、神奈川の鈴木和子さんの議長で、議案書に沿って討議が進められました。「独りで病院に行った時、治療のための同意書にサインを求められた」「母に付き添って病院に行った際サインを求められ、自分は書けないので母に無理やり書かせるしかなかった」などのサインに関する問題、点字母子手帳に関すること、高齢者問題などなど、多くの意見が出され、3時間半の全体会は終了しました。  
 夕食後に行われた曲里の風の音楽会では、「新日鉄八幡歌う会」の男声合唱に耳を傾け、その後は現地実行委員会が用意してくれた歌集を見ながら全員で合唱を楽しみました。  

 2日目の午前中は、「子育て」「在宅福祉と高齢」「女性の労働と権利」など6つの分科会が行われました。  
 私の選んだ第2分科会「大いに語ろう、暮らしの知恵と工夫」の参加者は7名、そしてエフコープの方が4人でした。生協を利用し始めてまだ2年足らずの私ですが、1年前からカタログもデイジー化されて音質も良くなったし、何よりも自分で納得して買い物ができることに満足しています。でも、皆さんの話を聞いていると、高知とは比べ物にならないくらい充実していることが分かります。中でもコープ神奈川では、カタログをボランティアではなくテープ製作会社に委託して作っているのでとても聴きやすい。視覚障がい者で利用者の会を作って毎年産地見学や学習会を行っているとのことでした。何の工夫もしていない私は、皆さんの話に感心するばかりでした。  
 午後からは託老所「よりあい」代表の下村恵美子さんの記念講演で、テーマは「託老所『よりあい』の実践を通してお年寄りから学んだこと」。福祉大学を卒業後、デイサービスセンターや特別養護老人ホームで生活相談員を経験。疲労困憊した家族を支えることができたらと、20年前にお寺の茶室を借りて託老所「よりあい」を開設。家族や地域の人たちがバザーなどで運営資金を準備して支えてくれたそうです。痴呆(認知症)対応型デイサービス、グループホームが国の制度となり、「よりあい」の取組みも認可事業となりました。「通って、泊まって、いざとなったら住むことができる小規模なホーム」を現在2箇所運営されているそうです。温かみのある声と九州弁を交えたユーモアのある話し方は、とても魅力的で時間の経つのが早く感じられました。  
 この後、2つの特別決議と大会宣言が承認され、大会は終了しました。  

女性部福岡大会 ――全体会で話し合われたさまざまな問題――


             畠山 俊惠
 2年に1度行われている全視協女性部大会は、8月28、29の両日、福岡県北九州市の「ホテルクラウンパレス北九州」という所で盛大に開かれた。
 高知女性部からは、部長の大原保子さんと畠山が、全視協の役員として藤原義朗さんが参加した。
 私たち2人は、大会前日の夜に行われる代表者会議に参加するため、27日の朝JRの列車で福岡に向かった。どの駅でもJRの方のきめ細やかな対応に2人で感動しながら、「これも私たちが長年運動してきた成果」だと思った。
 大会の全体会でも、各地での運動の成果がたくさん報告された。
 点字表示…点字の選挙入場券が各個人個人に送られてくるようになった(和歌山市)。選挙の投票箱に点字表示が付いた。候補者の経歴などを書いた点字の選挙公報が送られてくるようになった。母親大会が開かれた時、全ての資料を点字と拡大文字にして貰った。ほとんどの公的書類が希望者には点字で送られてくるようになった(岩手県花巻市)。そのほか、役所からの通知物の封筒に点字表示があるという所はたくさんあった。
 サインの問題…カード社会の世の中になり、いろいろな所でサインを求められることが多々あると思う。「病院で抗生物質を入れる時にサインを求められた。」という男性。またある女性は、「母親の入院に付き添った時、自分は同意書が書けないので、具合の悪い母親に無理やりペンを持たせ、書かせた。」など、さまざまな現実が報告された。独り暮らしの視覚障がい者もたくさんいる中で、「サインの問題」は皆さん不安に思っていることが分かった。これは女性部だけの問題ではないので、「てつな」に挙げていって、全視協全体で運動していかなければいけない。
 高齢者問題…以前は女性部の学習会と言えば「おしゃれ」に関することなどが多かったが、どの組織でも会員の年齢が高くなり、最近は「健康について学習したい。」とか、「高齢者施設を見学したい。」という声が多くなった。すぐ目の前に迫ってきている「高齢者問題」に皆さんの関心が高いことが報告された。「障がいを持ちながら高齢期を迎えた私たちが、いきいきと暮らしていける『施設・制度・社会』を作っていかなければならない。これも今後の大きな課題。」だと、島田部長のまとめだった。
 ヘルパー問題…まだまだ地域格差がある。「和歌山市で、子どもとともに外出支援を受けることが制限されている。子どもが中学生であっても、病気の時は親が一緒に病院へついて行きたいと思うのは当たり前のこと。それを『もう中学生だから』といって親子一緒の外出支援を認めないのはおかしい。子育てをしている間は、親子一緒に支援を受ける対象にしてほしい。このことを新法に加えて貰いたい。」という意見だった。別の県では、親を病院に連れて行く時、自分のヘルパーさんに一緒に行って貰って書類なども書いて貰っているが、特にクレームが付いたこともない。」という報告もあった。いずれにしても、「障がい者本人の制度」であるということをしっかり訴えていきたい。
 点字母子手帳(点字母子健康マニュアル)について…20年ほど前には年間300部ほどあった点字母子手帳の注文が、2年前の調査では68部しかなかった。盲学校の先生も点字の母子手帳があることを知らなかったという報告があった。全視協女性部の運動で、せっかくできた点字母子手帳のことをもっと広く宣伝して、若い人たちに利用して貰わなくてはいけない。
 防犯について…全盲夫婦で暮らしているという方から、「不審な物音がしても、それが何の音なのか分からないことがあって、とても不安だった。」という意見が。またある方は「自分の家の駐車場にある水道の蛇口が誰かに開けられていて、水がどんどん流れていたことがあった。」と言っていた。取りあえず警察に連絡して、パトロール強化をお願いしたとのこと。
 そのほか、視覚障がい者が使いやすい「音声ガイド付き」の地デジ対応テレビの開発やサポート体制のことや、視覚障がい者もATMで振込みができるようにしてほしいなどの要望があった。
 「皆さんから出された要望や意見は、その都度役員会で検討して、女性部だけの問題ではない時は『てつな』に挙げていきたい。皆さんも『パブリックコメント』などがあったら是非声を出してほしい。実のある新法制定のために、みんなで頑張っていきましょう。」と、新部長の大上俊子さんが言った。

施設バスめぐり(第2弾)(1)


             田元 美紀
 (報告が長くなりますが、重要な内容だと思いますので、2回に分けて連載したいと思います。)

 9月23日(木、祝)、7月4日の第1弾(本誌210号参照)に次ぐ、施設バスめぐりが行われ、11名(運転手を含めて)が参加した。今回は種崎、浦戸方面の施設を訪問した。9時30分、「太陽号」が盲学校前を出発した。
 
1.外部サービス利用型特定施設
「千松園」、救護施設「浦戸園」
千松園、浦戸園は同じ敷地内にある施設で、80名の入居者が生活している。その内50名が救護施設で生活している。養護老人ホームと救護施設は別である。千松園、浦戸園は「措置施設」であり、行政の方針により入居が必要であると認められた場合に入居手続きが執られる。
 外部サービス利用型の施設は、高知では千松園だけである。入居者が個人的にそれぞれの契約でサービスを受けている。
 一方、浦戸園は救護施設で、生活保護、生活扶助の一部である。経済的に困った人のみが入居できる。生活保護を受けている、障がいを持っている、この2つの条件が揃わなくてもよい。
 入居当時には介護度を持っていなかったか、要介護1だった人が後に介護度が上がることもある。
 施設長、事務長の説明を聞いた後、食堂へ移動した。途中、お部屋の前を通った。
 食堂での食事は、通常はバイキング方式ではない(月1回のみ)。主菜を2つ作っていて、どちらかを選ぶことができる。
 お部屋は1人部屋(10m2)と2人部屋
(20m2)があり、和室も洋室もある。ベッドが用意されているお部屋もある。
 催し物は先ほど説明を聞いたホールで開いている。慰問、よさこい、カラオケ、月1回のお誕生会などが開かれている。「守る会のコーラスはどうか?」
  2.ケアハウス「パールマリン」
 パールマリンの1階はデイサービス(ロビーで熱帯魚が飼われている)、2、3階は特別養護老人ホーム(特養)海の里、そして4階以上はパールマリンである、複合型の施設である。状況に応じてケアができるようになっている。特養に看護師がいて、その他の職員も複数いる。急変があった時に対応できる。
 個室は46部屋で、4階はホールとお風呂のある共有スペースであり、5〜8階に居室がある。居室は個室で、鍵のかかる部屋になっている。門限があり、22時から翌日5時30分まで防犯上鍵をかけているが、チャイムがあり、職員に声をかければ開けて貰うことができる。
食事は4階の食堂で一緒にとっても、部屋でとっても自由。お昼には外へ出て行くので施設の食事をとらない、こともできる。月に1回バイキング食、週に1回選択メニューとなっている。
 パールマリンの利用料は生活費、サービス費、居住費の3本立てになっている。収入によって利用料が軽減されることもある。冬には2,070円の加算がある。水道料は
500円、電話料は基本料金400円+使用料である。電気については個別のメーターが付いている。
 入居手続きについては、希望して入りたい場合、施設に問い合わせればよい。独りで移動できる方、排泄面での介助が必要でない方が入居できる。「定期的に受診が必要な人、透析をしている人も利用できるか」「透析になると食事制限もある。治療食が必要な方については、医師の指示の下、治療食を提供する」
 ショートステイは10部屋ある。
 エレベーターで4階へ上り、食堂を見、家具などに触った。10数台のテーブルがあり、それぞれのテーブルのそばに椅子が3〜4脚ずつある。応接セットもある。真ん中には飲み物の自動販売機がある。お酒は飲めるが、自分で買わないといけない。
 次に介助浴室のそばを通り、大浴室を見た。入って左側に脱衣室がある。浴室の両壁にシャワーが付いていて、浴槽は広いサッシに面した所にあり、海の見える展望風呂になっている。「視覚障がい者の場合、一人一人のほうが安心できるのだが…」浴室から見て廊下の向こう側にはトイレと洗濯室がある。
 8階へ上り、空いている居室を見、備え付けの物に触った。入って左手前側にはトイレと洗面所がある。その反対側には押し入れ、食器棚、冷蔵庫が備え付けられている。部屋の真ん中には調理台兼食卓があり、流しと電磁調理器が付いている。ベランダに出てみたが、風がとても気持ちよかった。
 この施設のエレベーターには「○階です」というアナウンスがない。(だが、これから建てる公共施設のエレベーターには音声アナウンスを付けなければならないことになっている。)
                続く

初めて訪れたキューバ


             片岡 慈仲
 今年の第95回世界エスペラント大会は、カリブ海に浮かぶ熱帯の島――その発見者コロンブスが「人間の目が見た最も美しい土地」と呼んだ島、キューバ――の首都ハバナで行われました。
 キューバへは前々から行ってみたいと思っていたので、ヨーロッパよりもずっと遠いのですが、思い切ってこの大会に参加することにしました。
 キューバ−日本間の直行便はありません。それにアメリカ経由でも両国間に国交がないため、一端メキシコに出てから行かなければなりません。そこで、もっと行きやすいカナダ航空(Air Canada)のトロント経由便で行くことにしました。
 7月15日(木)午後5時に成田を出発し、約12時間の飛行で同日の午後3時50分にトロントに到着、12時間も飛んだのに時間は1時間ほど逆戻りです。頭が変になりそうですが、トロントと日本の時差は−13時間なのです。
 ここで1泊し、明くる朝8時25分トロント発、約3時間半の飛行でハバナに11時
50分に着きました。
 今回初めてカナダ航空を利用しましたが、これまでは機内に入り席に着くと、全日空やエールフランス、ルフトハンザなどでは英文の点字で書かれた案内を見せてくれるだけでした。ところが、エアカナダでは客室乗務員が直接救命胴衣や酸素マスクを私に触らせながら着用のしかたを実際に説明してくれたり、非常口を分かりやすく教えてくれたり、「ご用のある時はいつでもこのボタンを押して下さい」と呼出ボタンの位置を教えてくれたりしました。以前、守る会で高知空港に救命胴衣の着用法を実際に体験させてほしいと要望して断られたことがありましたが、今回初めて直接機内で分かりやすく説明して貰うことができ、大変嬉しく思いました。
 世界にキューバが知られるようになったのは、1492年にコロンブスが大航海の時、この島に立ち寄ったのがきっかけです。当時キューバには10万人ほどの先住民が農耕生活をしていたようですが、1511年スペインがこの島を本格的に侵略し始め、
1514年にはほぼ完全に制圧してしまいました。先住民は侵略者(スペイン軍)との戦いや厳しい労働、ヨーロッパからもたらされた疫病などが原因で、100年もたたない内にほぼ絶滅したと言われています。先住民に代わる労働力として、スペインは1527年、アフリカから黒人奴隷を送り込むことを決定し、1880年頃までにその数は約
100万人に達しました。
 スペインの植民地とされたキューバはイギリス、オランダ、フランスなどの植民地獲得争いに巻き込まれ続けますが、19世紀半ばからスペインからの独立を目指す動きが起こり、偉大な指導者ホセ・マルティによりその闘いは大きな盛り上がりを見せます。しかし、ここにアメリカが介入し、1902年一応キューバ共和国が成立しますが、事実上アメリカの植民地にされてしまいます。
 キューバ国民の独立への闘いは、フィデル・カストロやエルネスト・チェ・ゲバラという新たな有能な指導者を得て再び燃え上がり、1959年ついにバチスタ傀儡(かいらい)政権を追放し、「飢える人がいない平等な社会を作ろう」という目標に向かって社会主義革命を成功させました。
 この革命以後、執拗に続く厳しいアメリカの経済封鎖に加え、1991年にキューバを支えてきたソ連が崩壊するというダブルパンチの中、アメリカ諸国の希望の星として、多くの困難を克服する努力を続けています。
 キューバの気候は熱帯性海洋気候で、日差しは大変厳しいですが、貿易風の影響で風があり、また夕方には激しいスコールも降りますので、今年の日本の蒸し暑さや熱帯夜に比べるとかえって過ごしやすいように感じました。
 キューバの面積は11万km2、本州の約半分の大きさです。人口は2004年の調べで約1,133万人、その内ハバナに200数十万人が住んでいます。通貨はキューバペソで、1ペソが約4円に相当します。350mlのビール1缶、あるいは、コーヒー1杯が1ペソ(4円)でした。但し、私たち外国人はキューバペソの25倍のcuc(兌換ペソ)を使わねばなりませんので、コーヒー1杯、またはビール1缶が約100円となります。
 「老人と海」などで有名なノーベル賞作家ヘミングウェイは、キューバの済み切った青空と海、陽気な人たちをこよなく愛し、
1940年から亡くなる1年前の 60年までキューバで暮らし、ハバナ郊外には彼の家がそのまま保存されていますし、ハバナの旧市街には「エル・フロリディータ(小さなフロリダ)」という彼のよく通ったバーが今も営業されています。
 私は17日(土)の夜10時頃、そこに行ってみました。「グァンタナメラ」や「ベサメ・ムーチョ」など私もよく知っている曲や軽快なキューバ音楽の生演奏を聴きながら、「パリの夜」という名のスープや「ヘミングウェイの魚料理」というメニューで軽食を取り、彼の大好きだったダイキリというサトウキビから作ったキューバの代表的な酒、ラム酒をメインとしたカクテルを飲みました。一緒に行ったスポメンカさん(クロアチアの活動的な女性エスペランティスト)が「『リリー・マルレイン』で有名なドイツの女優、マレーネ・ディートリッヒも彼の恋人だったのよ」などとヘミングウェイについてのいろんなエピソードを話してくれました。
 20日(火)、ニューラ・アロンソ・サントスさん(女性)のエスペラント通訳で、私たちはANCI(Asociacion Nacional del Ciego de Cuba、キューバ視覚障がい者協会)の文化センターを訪問することができました。
 ANCIの役員である盲人エスペランティスト、ヨアキン・ボルゲスさん(男性)の挨拶と、コーヒーをいただきながら歓迎のピアノ演奏を聴いた後、点字図書館、出版所、子どものためのおもちゃや立体の地図などの展示してある部屋などを案内していただきました。パソコンを使ってのデイジー図書製作や点字印刷関係の機器などはかなり進んでいるようでしたし、ここでは晴眼者と視覚障がい者が一緒に働いていました。
 建物は壁の色が剥げ、老朽化が目立ち、トイレの水洗の水が流れず、手洗いの水も出ない所があるなど、キューバの苦しい経済事情を示しているようでした。
 最後にANCI会長からキューバの視覚障がい者の状況説明があり、続いて質問会が行われました。ファブリスさん(フランス)が「ハバナの歩道は舗装の剥がれた箇所がそのままになっていたりして大変歩きにくいが、視覚障がい者は独り歩きに困難を感じていませんか?」と質問したところ、「晴眼者でも歩きにくいです」というような答えでした。
 25日(日)には、地元のエスペランティスト、ペドロさん(67歳の年金生活者、元建設省勤務)の案内でハバナの旧市街を散策しました。
石畳の広い舗道の両側には椰子が植えられ、少し歩けば噴水のある公園が何箇所もあり、緑豊かな美しい街であることが感じられました。教会もカトリックだけでなくアフリカ系もあり、窓からお祈りの声が聞こえてきました。
 ペドロさんは歴史のことやキューバの人々の生活の状態などを適切に説明しながら案内して下さいましたので、大変勉強になりました。
 裏通りに入るとすごくゴミの臭いのする所があり、ペドロさんの話では「この地区は、週に1回しかゴミ収集に来ない地区だ」と言っていました。また、より多くの収入を求めて、地方からハバナへかなりの人が出て来て空き家などに住みつくといった現象もあり、中国ほどではないにしても、地方との格差が問題になってきているようです。
 また、外貨獲得の必要もあり、キューバは観光に力を入れているため、例えば個人タクシーの運転手などは、外国人客を乗せるとcuc(兌換ペソという一般のキューバペソの25倍の通貨)を受け取ることができます。キューバの労働者の給料は500ペソ
(2,000円)ぐらい、医師や弁護士でも750ペソ(3,000円)ぐらいだそうですが、私が宿泊していたホテルからハバナ旧市街に行くのにタクシーで約20分程度で12cuc(1,200円)でしたから、1日に2回外国人客を乗せれば、外国人と接する機会のない労働者のひと月分の給料を稼げることになります。このような格差が最近大きな問題となっているようです。 
 26日(月)にトロントに移動し、明くる27日(火)には地元のエスペランティストKen Price(通称ケン)さんの案内でナイアガラの滝に行きました。
 トロントからナイアガラまではバスで約2時間ほどでした。ナイアガラのバス停に着くと、イストク・サチコさんという、カナダの方と結婚され、もう40年ぐらいナイアガラの近くに住んでいる日本人エスペランティストも待っていてくれました。
 ナイアガラの滝をまず上から眺め、次いで、滝壷のいちばん近く(100mくらい離れた所)に行きました。すごい水音と水しぶきを全身に浴び、まさにこの滝の大きさ、偉大さを体感できて満足しました。
 夕方7時頃トロントに帰り、レストランでトロントのエスペラント会の方たちと2時間ほど楽しく歓談することができました。普段は月曜日に例会を開いているそうですが、私たち(菊島さんと片岡)のために1日ずらして下さったのです。夏休みなので全員は集まることができなかったようですが、5人の方と言語の問題、漢字のこと、コンピューターのこと、点字のことなど、いろいろと話は尽きませんでした。

エリアメールをご存知ですか?


 気象庁が配信する緊急地震速報や国・地方公共団体が配信する災害・避難情報を、回線混雑の影響を受けずに受信することができる、「エリアメール」がある。音声について最も普及しているのはドコモのエリアメールである。メールアドレス登録が一切不要で、対象エリアにいれば、月額使用料のほか通信料や情報料も含め一切無料で利用できる。
 当該エリアへ一斉配信された情報を即時に受信できる。受信時にはポップアップ表示が出、専用の警告音が鳴る。
 利用するにあたり、あらかじめ携帯電話での受信設定が必要な機種もある。

{事前の受信設定が必要な機種}
906i/905i/706iシリーズ(NM706i、L706ie、SH706ieを除く)、N705i、P705i、N705iμ、P705iμ、SO705i、PROSOLIDμ、ラクラクホンV、ラクラクホン プレミアム。受信設定は「操作・設定方法」から自分でもできるが、機種によって異なるので、最寄りのdocomoショップでやってもらう方がいいかと思う。docomoのURLは、
http://www.nttdocomo.co.jp/service/safety/areamail/index.html
新しい機種(ラクラク6、7など)については、エリアメールが自動設定されている。

 例えば、SH-905iの場合、次のように設定する。
 待受画面でメールボタン→「メール設定」→「エリアメール設定」→「受信設定」→注意事項を確認→「iモードボタン」(はい)→設定が「ON」になりエリアメールを受信できる。

私の医療体験 ――命拾いをした話――


              有光 勲
 私も人並みにがん宣告を受けた。あまり大っぴらにしたいことでもない。口の悪い仲間もいる。「やはり がんが がんになったか」と揶揄(やゆ)されかねないからである。しかし、まさに早期発見・早期治療で間一髪助かることができた。皆さんにも是非教訓にしていただきたいと思い、あえて書いてみることにする。
 私の職場(盲学校)では、毎年5月に定期健診を行っている。もう何十年も前から胃のバリューム検査を受けていた。胃の内視鏡(胃カメラ)検査は大変苦痛を伴うものであると聞いていたので、それだけは受けたくないと思っていた。  
 ところが、ついにその胃カメラ検査を受けなければならなくなったのである。2003年5月のバリューム検査であやしい所が見つかり、更に詳しい検査が必要となった。意を決して胃カメラを飲んだ。しかし、大変苦しいものであろうと覚悟していたせいか、それとも医師の技術がよかったのか、おそらくその両方であろう。私にとってはそれほど苦痛なものではなかった。この程度ならもっと早くから胃カメラ検査を受けるべきであったと思ったものである。幸い、その時の検査では何も異常は見つからなかった。
 翌2004年5月の定期健診で、自ら希望して胃カメラ検査を受けた。忘れもしない連休明けの5月7日であったが、女性の主治医から電話がかかってきた。「採取した細胞の病理検査の結果が分かりました。お話したいことがありますので、来週奥さんと一緒に来ていただけませんか。」と言う。私は一瞬血の気が引いたが、それと同時に思わず苦笑してしまった。(おいおい、そのような言い方をしたのでは、がんの宣告をしたのと同じではないか!もっとほかの言い方はないかよ…。)「やはりがんが見つかったのですか?」「詳しいことはこちらへ来ていただいてからお話します。」「はい、分かりました。でも家内を連れて行っても詳しいことは分からないと思いますので、私1人で行きます。その代わり、包み隠さずお話していただけませんか。」「はい、分かりました。」  
 検査結果を聞きに行くのは1週間ほど先であった。これほど長く待たされるのは、私にとって実に残酷なものである。てっきり胃がんであるに違いないと思い、いくつかの医学書で調べてみた。しかし、医学を少しだけかじったとはいえ、所詮素人であり、ただ心配が増すばかりであった。  
 いよいよ、待ちに待ったその日がやって来た。女性医師の前に座るなり、「やはり胃がんですか?」「いいえ、胃には何も異常はありませんでした。食道のほうにちょっと…。」「それでは、食道がんですか?」「そうです。」「どのような細胞が見つかったのですか?」「ごくありふれた扁平上皮がんです。」「初期のものだと思いますが、内視鏡手術は可能でしょうか?」「現段階ではそのようにできると思いますが、なお詳しい検査をしてから治療法を決定することになります。」  
 その時の私はかなり精神的に動揺していたように思う。食道がんとは全く予想だにしていなかった。例の「白い巨塔」に出て来る小説の世界であって、私には何の関係もないものだと思っていたからである。
 再検査の結果、かなり広がってはいるものの、上皮内がんであり、内視鏡で充分取り去ることができるとのことであった。
 それなら一刻も早く入院して治療を受けなければならない。しかし、そうもいかない事情があった。私は定年後期限付講師として勤務していたが、後任がいないため、簡単に休むわけにはいかない。同僚や生徒たちに大変な迷惑を欠けることになる。
 ごく初期であるという安心から、がん宣告を受けた時のショックから幾分立ち直り、精神的ゆとりもできてきていた。そこで主治医に「仕事を休むことができないので、夏休みの7月になってから手術していただいてもいいでしょうか?」医師はしばらく考え込んでいたが、「初期のものなのでそれでもいいでしょう。」と言ってくれた。
 ポーカーフェースで何食わぬ顔をしていたものの、こうしているうちにも、がん細胞は確実に増殖しているであろうと思うと爆弾を抱えているようで、大変不安な毎日であった。
 そしてその年の7月12日、内視鏡手術を受けた。「全てを完全に取ることができましたから。」という医師の話を聞き、「よし、これで助かった!」と胸をなで下ろしたことであった。
 手術後2年ほどは半年に1度、その後は1年に1度胃カメラ検査を受けている。その後もう6年過ぎ、医師から完治しているというお墨付きを貰っている。  
 私が助かることができたのは、実に運がよかったからである。2003年にバリューム検査で異常が見つかり、胃カメラ検査では何もなかった。もしその時の胃カメラ検査が大変な苦痛を伴うものであったとしたら、翌年もバリューム検査を受けていたであろう。バリューム検査では私のような初期のがんを見つけることはできない。飲み込む物がつっかえたり、バリュームで食道に腫瘤が見つかるようになってからでは助かる可能性は少ない。食道がんは進行も速く、転移もしやすいからである。食道の外科手術は大変大掛かりなものであり、まさに生き心地がしないであろう。2004年5月に自らの意思で胃カメラ検査を受けたことが命拾いにつながったのである。がんも初期に見つかれば怖くない。手遅れになれば、進んだ現代医療も太刀打ちできない。冒頭にも述べたように、どうか私のこの体験を是非とも教訓にしていただきたいとつくづく思う次第である。

編集後記


             田元 美紀
 秋も深まり、過ごしやすくなりました。これからの季節には、水炊き、すき焼き、キムチ鍋などの鍋料理を食べる機会が多くなります。鍋料理は体を温める上に、肉、魚、野菜、豆腐などたくさんの具を材料にするので、いろいろな味を楽しめるし、バランスのよい栄養を摂ることもできます。
 ところで、10月3日、高知点字図書館の三者交流会が市民図書館の3階で開かれましたが、交流会の前に、正面玄関前の車椅子のマークがある駐車場に車を停めているのを見かけました。だが、後になってその車には妊婦さんが乗っていたことが分かりました。点字図書館、市民図書館、県立図書館、子ども科学図書館、そして大学の機関の一部が合築されることになっていますが、新図書館では、玄関口の近くの幅広い駐車場には車椅子のマークだけでなく、高齢者、妊婦、乳幼児連れの人、重い荷物を持った人のマークも表示してほしいものです。
 それから、県と高知市の職員採用試験で点字による試験が実施されるようになり、点字図書館で図形点訳ソフト「エーデル」の研修が行われていますが、残念ながら平日の日中にだけなので、日中働いている人はこの研修を受けられないのです。夜間、または土曜日か日曜日の日中にも研修を開いてほしいと思います。これは、利用者を対象とするパソコン研修についても同じです。
 先日、タイで移動図書館の活動をしておられる堀内佳美さんのお母さん、泰子さんから電話がありました。佳美さんが11月12日から21日まで帰省し、14日(日)の午前10時から、イオン高知の2階「カフェ・ラ・パンセ」でタイでの活動について報告されることを知りました。ご都合のつく方は、報告会に参加していただけないでしょうか。
 今回から、「特急列車等の発着時刻」、「高速バスの発着時刻」は、賛助会員、及び一部を除いた県外の方には送らないことにしました。
 「みちしるべ」に投稿したいことがありましたら、是非積極的な投稿をお願いいたします。また、ご意見がありましたら、編集部までお寄せ願います。(それは編集している時にいつも思っていることですが)



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