みちしるべ
No 214  2011年2月号

目次(文書内リンク)
全視協が生まれ変わります  正岡 光雄
QRコード体験会  大阪パルコープ  さざ波代表 山本 弘子
施設バスめぐり第3弾  藤原 義朗
私の医療体験(3)――ちょっとびっくり!でも大事に至らなくて本当によかった―― 畠山 俊惠
点字試験合格記念講演会報告  田元 美紀
編集後記  片岡 慈仲

全視協が生まれ変わります


             正岡 光雄
 1月22〜24日まで3日に亘って行われた「全国委員会」は、全視協にとって歴史的な会でした。
 1.全視協が生まれ変わります。最近改正された法律で一般社団法人という法人を作ることができるようになりましたので、全視協も取得するのです。
 その理由は私たちもついに、自前の事務所を持つことができるようになったからです。これまでは賃貸の事務所でした。
 この討議に先立って、持ちのマンションを寄付して下さる方の紹介がありました。東視協の杉田尚江さんです。場所は東京の駒込です。5階建てですが、1、2階はお鮨(すし)屋さんが営業していますので、とりあえず
3階をいただくわけです。
 そのままいただくと、ごっそり税金が掛かってしまいますので、その対策もあって法人化が必要になりました。その結果組織も大きく変更しなければなりません。
 しかし、それはなるべく活動を制約しないように工夫しました。まず、名称は「一般社団法人全日本視覚障害者協議会」になります。
 役員や組織も変わります。
 @役員は理事となり役員会も理事会になります。
 A理事のうち、これまでの執行委員は業務担当理事となり、会も業務理事会になります。
 B業務執行理事には代表理事、副代表理事(これまでの会長、副会長)。以下総務担当理事、副総務担当理事、会計理事、専門部領域担当理事などです。このスタッフで業務執行理事会を構成します。役員には更に幹事も選出されます。
 Cこれまでの全国委員は地域担当理事となり、地域理事及び業務執行理事の参加で理事会が開かれます。これまでの全国委員会です。これだけだと今までと同じだと思われるかもしれませんが、もう少し後をお読みください。
 D高知の守る会のように各地域の組織は社員となり、その代表で15人に1人の割合で構成する、これまでの「代議員総会」は「社員総会」となります。
 お分かりになりましたでしょうか?早い話、全視協は会社になり私たちも会社員になったような気分になりますね。それから、私たち一人一人は「会員」というわけです(個人会員も会員です)。
 2.次に規約も組織の改変に沿って改められます。少し長くなって申し訳ありませんが紹介します。
 第4条の事業の項です。
 T悩みや要望の収集に関する事業
 U情報収集、調査、点検に関する事業
 V啓発、宣伝に関する事業
 W関係機関への要望に関する事業
 X文化の向上、健康増進に関する事業
 Y参加と平等、人権の擁護に関する事業
 Z平和、国際交流に関する事業
などとなっております。
 お読みになって、いかがですか?元の規約をご存知の方は「全視協」も随分と大人しくなったものだと思われるかもしれません。
 これに対して猛然と反対したのが愛知です。愛知の修整提案は次の3点でした。
 @障害者に対する差別と偏見に反対して闘う。
 A同じ苦しみや悩みを持つ数多くの障害者やその家族、他の団体と助け合い、その運動を進める。
 B「働く者の立場に立って」との団体の性格規定が完全に抜け落ちている。
でありました。@、Aに対しては、新潟や女性部等の支持で現規約の内容を踏襲することに落ち着きました。但し「差別」について余り強調すると一般市民との対立を助長する可能性もあるので、その点の配慮は必要であるとの意見もありました。Bについては受け入れられませんでした。それは働く者だけに私たちの仲間を限定することには問題があるとの意見が大勢を占めたからです。
 財政的な面では機関誌「点字民報」をこれまでの毎月発行から隔月発行に改める提案が出されました。これに対してやはり愛知からの修整提案がありました。「『点字民報』を有料化し、機関誌は『旧全視協機関誌』としてほしい」ということでしたが、否決されました。
 女性部からは業務執行理事に女性部代表を入れることが提案されましたが、女性部代表は女性部以外の任務をも担当することで受け入れられました。これまでの理事(全国委員)への女性部の理事はなくなります。
 以上の論議を経て「一般社団法人全日本視覚障害者協議会」の船出が決定されました。しかし最終的承認は愛知大会です。
 それ以外の件は沢山ありましたが、長くなりましたので愛知大会の日程等を紹介します。
@ 代議員総会は5月20日(金)13時30分開会。21日(土)11時30分閉会。
 A活動交流集会は5月21日(土)13時開会。22日(日)15時閉会、です。
 B会場は名古屋クラウンホテルです。
 多くの皆様の参加を期待しております。     
 今回も沢山の分科会がありますが、高知の担当は「図書館問題」です。

QRコード体験会


   おおさかパルコープ さざ波代表
山本 弘子
 ラジオで聴いている限りでは、大阪より3度くらい暖かい高知。1月23日の朝も、春を思わせるような陽射しでした。QRコードの体験会の会場に到着してみると、みなさん集まって下さっていました。
 いよいよ10時半、学習係の井上さんの開会により、始められました。10名以上の参加者で、携帯を手に、私の方から持って行った、QRコードのシールを読み取る練習をしましたが、高知の人たちは、すごい!!みなさん速く読み取られて、私たちは驚きでした。
窓が南向きという立地条件の会場は最高でした。読み取るには、明るさが必要条件です。1時間もしないうちに、みなさん読まれました。
 QRコードを印刷した私の名刺を配らせてもらいましたが、これには、電話番号やメールアドレスも記載しており、読み取れれば、そのまま携帯に電話が掛けられたり、メールが送れたりするというメリットがあるものです。当日私の携帯に掛けて来られた人もありました。
 ところで、QRコードとバーコードとは、どのように異なるのか?
 1.バーコードは、店頭の商品に付いている13桁の数字。これをスキャンして、商品管理に利用しています。
 2.QRコードとは、バーコードが1列の数字に対して、縦横に英数字、漢字や仮名文字などで書いた物を、コード化したものです。バーコードが1次元バーコードに対して、QRコードは、2次元バーコードとも呼ばれています。違いはこんな事ではないでしょうか?
 店頭にあるQRコードは、メーカーが各商品のことを知らせるために付けているもので、そのほとんどが、ホームページに繋ぐためのコードになっています。更に、商品に印刷してあることがほとんどで、私たちはこの印刷を確かめるためにセロテープを貼ってもらう工夫をしています。携帯でこれらを読み取ってHPに入ると、メーカーによって情報量は異なりますが、中には、料理のレシピなども読むことができます。但し、利用される場合は料金がかかりますので、パケ放題の契約をされた方がベストだと思います。

施設めぐりバスツアー第3弾


             藤原 義朗
  振り返り
 昨年9月から始めたバスツアーも今回
1月6日で3回目となった。今まで行った所は、盲養護老人ホーム、あったかふれあいセンター、軽費老人ホームA型、介護保険認知症対応型グループホーム、養護老人ホーム、ケアハウス、障害者共同ホーム、防災避難センターである。
 今回は、自立支援法の複合施設である高知ハビリテーリングセンターと介護保険で4年前に新しくできた体系、小規模多機能施設を見学した。なお、参加者は10名であった。

A.巣立つためのステップ 
高知ハビリテーリングセンター
 30年前に春野町にできた高知県身体障害者リハビリテーションセンターは、3年前に近森会グループ社会福祉法人ファミーユに譲渡された。かつてのセンターをきれいに塗り返し、又増築した部分もあった。

  1.授産部門
 訓練等給付には、@2年以内に社会で就職するための就労移行施設とA最低賃金法など労働法による就労継続施設A、B労働法の縛りがなく、65歳以上でも対象になる継続施設Bがある。

  @就労移行訓練
 定員10名であるが、スーパーに実習に出ていたり、営業に出ていたりなど外でも訓練されている。施設で会えた方は日曜市に出品など準備をされていた。ここの特徴は「賃金を出していないことである。」社会に出て行くための強いステップのために、あえて高知ハビリの方針として工賃を出さないことにしたそうだ。

  A継続B
 サンゴ加工、農芸、判工房、印刷、クリーニング部門など40名以上の方が登録されている。工賃の平均は月1万3千円くらいである。


  2.グループホーム・ケアホーム
 介護保険と違い、身体、精神、知的全部に対応している。入所と違い地域社会の扉である。だから酒も飲める。ホテルの部屋のような部屋・ベランダもある。入居費は月2万
1千円から2万5千円でほかに共益費など1万円ちょっとかかる。36室あった。

  3.生活訓練、リハビリ部門
 OT、PT、体育・パソコンインストラクターなどの先生で、学校のように1時間目2時間目という風にここにメニュー化されたプログラム訓練がされている。通所の方もおいでる。

  4.入所
 入所しながら、日中訓練として、リハビリや就労訓練に行っておられる方もおいでる。40室あった。また、空室はショートステイにも利用されている。

  5.高次脳機能支援センター
 県外では医大などがこの機能を担っているが、高知では高知ハビリが担っている。医師や心理士をはじめ、弁護士やPT、OT、STなど専門家が、相談やニーズ、掘り起こし、講演など活動している。

 施設長である上田真弓さんの「社会に巣立ってゆくんだ」。強い意気込みを感じた。

  B.柔軟性が魅力 小規模多機能施設
「笑顔の家」
 5年前の介護保険制度の改定で、入所でもなく、かといっても完全に居宅でもない小規模多機能型施設が誕生した。高知市内には9箇所できている。瀬戸にあるケアコミュニケーションが運営する「笑顔の家」に行った約25名の方が登録され、訪問、通い泊まりもある。小規模多機能とは、「介護している嫁さんが残業で遅くなるから、デイでの一時預かりを遅くしましょう」「今日は熱が出たから泊まらせて」など、普段看ておられるヘルパーさんがいるから安心して泊まれるなど、小回りの利くケアが魅力である。全盲のおばあさんも通っているそうだ。笑顔の家には看護師も配置されている。単価は要介護1が
11,430単位、要介護5が28,120単位である。それに看護師加算、食費などが徴収されるシステムである。
 問題として感じたことは、
 @単価は包括性であるが、介護度による上限額ギリギリで他のメニューを入れる余裕がないこと。
 A急な泊まりのケースにも応じないといけないため、職員の体制を整えるのが大変なこと、などを感じた。
 また、ここは、グループホーム「グリーンハウス」、デイサービス「グリーンピース」を運営している。複合的運営が職員のやりくりを行いやすくしているコツかなと思った。

 高知ハビリでは、施設入所から地域へ、一般就労へという強い波、小規模多機能では、入所から居宅へという流れを感じた。来年の介護保険改定では、24時間型巡回訪問介護という包括単価製で、巡回して介護していくシステムが中学校地域ごとに作られる予定である。聞こえはよいが、入所をなくして無理やり地域へという政策である。
 今後、福祉相談と共に、福祉労働者とも一緒に運動をしていく必要を感じた。

私の医療体験


 ――ちょっとびっくり!でも大事に
至らなくて本当によかった――
畠山 俊惠
 私は、30を過ぎた頃から年に一度「人間ドック」に入り、健康チェックをしている。
 今から7年ほど前のこと、ドックの申し込みをするとき、「肺のCT(ヘリカルCT)はオプションで5000円かかるけど、畠山さんはどうする?」と、銀行の保健師さんに聞かれた。私は迷わず「受ける。」と答えた。
 そのドックの日、私のヘリカルCTの画像を見た検診クリニックの医師は、「右の肺になにやら怪しい物が写っている。」と言った。
 その場で、高知医大の放射線科の教授宛に紹介状を書いてもらった。
 後日、ヘルパーさんと一緒に医大の放射線科へ行った。
 そこで撮った胸部レントゲンとヘリカルCTも、やはり同じ結果だった。右の肺の外側に直径8mmの大きさの物があるという。「レントゲンだけでも分からないことはないが、学生ならおそらく見落としているだろう。」と、Y教授は言った。ドックでヘリカルCTを受けていて、本当によかったと思った。
 さらに教授はこう言った。「画像を見ただけでは炎症と腫瘍の区別がつきにくいが、腫瘍の疑いの方が強い。」と。腫瘍という言葉を聞いても、私は不思議と平気だったが、そばにいたヘルパーさんは私が動揺していると思ったのか、私の手を握りしめてきた。
 「もし、腫瘍であっても、ごく初期だから心配ないよ。」と、Y教授は付け加えた。2ヶ月様子を見てみようということになった。
 そして2ヶ月後の検査の結果、怪しい物の大きさに変化はなかった。しかし、外科の先生の意見も「腫瘍の可能性の方が強い!」とのことだった。
 放射線科から外科の方に回された。私の主治医となった外科のK先生は40歳前後だろうか、とても感じのよい先生で、私の両手をとり、「私は○○と申します。一緒にがんばりましょうね。」と、ハキハキとした素敵な声でおっしゃった。このような感じのよいお医者さんに、それまで出会ったことがなかった。
 先生は、私が答えたことを、デスクにおかれたパソコンに打ち込んでいた。また、その時のタッチがびっくりするほど早くて、私にはただ「グジャグジャグジャ」という音にしか聞こえなかった。
 手術は胸腔鏡でするので、3カ所小さな傷ができること。もし腫瘍なら、右の肺を10分の2切り取るということなど、詳しく説明してくださった。
 手術の日が決まった。検査もあるので、手術の1週間前から入院となった。
 入院といっても全く自覚症状はなく、本人は至って元気。手術前には外泊して、病院には内緒で「守る会」の忘年会に参加した。そしてカラオケも歌った。
 それなのに、「体はしんどくないですか?息苦しくないですか?」などと看護師さんに尋ねられ、日に何度も吸入したり…。「こんなに元気なのに、私の体の中には癌細胞が潜んでいるのだろうか。」と、さすがの私もちょっと心細くなっていた。
 手術の朝、祈るような思いで、迎えにきたストレッチャーに乗った。全身麻酔での手術は初めてだったので、そのことも不安だったが、「何をされても分からんし、その方がましか!」と、覚悟を決めて手術に臨んだ。
 私が麻酔から覚めたのは、手術が終わって4時間ほどたった頃だった。そばにいた看護師さんが、「大丈夫だったみたいよ。後で先生が説明してくれると思います。」と言った。
 病室に帰って暫くたった頃、主治医のK先生が入ってこられて、説明してくださった。「腫瘍の疑いが」と言っていた物のその正体は、病理検査に出すまでもなく、何かの菌の残骸だった。私が元気だったために、進入してきた菌は何も悪さできず、死んでしまったのだろうというわかりやすい説明だった。幸いなことに、その菌の残骸とかも右の肺の外側にあったので、手術も30分ほどで終わったとのこと。
 軽くても手術は手術。術後3日間はたくさんの管に繋がれていて、自由に寝返りもうてないほどの痛みに苦しんでいた。
 それなのに、手術した夜など、1時間おきくらいに看護師さんがやってきて、血圧を測ったり注射をしたり…。その度に眼が覚めるし、「もう少しゆっくり寝かせてほしいわ!」と言いたくなった。
 悪いものではなかったということで、とりあえずほっとしたが、主治医が素敵なK先生から若い女医先生に変わってしまった。
 3日ほど付き添うつもりで来ていた母も、完全看護で何も自分のすることが無いので、一晩だけ泊まって帰ってしまった。そして私も術後1週間で退院した。
 ということで、私の場合大事に至らず事なきを得たが、皆さんもぜひ定期的に検診を受けて、自分の健康は自分で守るようにしてほしい。そして、例え悪い結果が出ても、早めに対応するに越したことはないと思う。
 日頃から、「元気」がトレードマークの私。健康で長生きできるよう、これからもバランスのよい食事、適度な運動などに気を配りながら、過ごしていきたいと思っている。

点字試験合格記念講演会報告


             田元 美紀
 2月6日、サンライズホテルで、点字試験合格記念講演会が開かれた。「高知県視覚障害者の就労を促進する会」と「守る会」の共催による講演会だった。
 初めに、「促進する会」の会長、吉岡邦廣君が開会の挨拶を述べた。「3度目の挑戦で合格させていただいた。高知の視覚障がい者は新しいステージに入ったと言える。視覚に障がいを持ちながら自分の能力を生かしてよい仕事をしていくためには何が必要か、ということで今回の講演会を企画させていただいた。」

  *県地方福祉副部長、吉田さんの祝辞
「吉岡さんは視覚障がい者の就労の機会を増やすため、同じ障がいを持つ方と『促進する会』を結成し、2008年から点字試験導入のための活動をしてきた。2011年
(平成23年)から音声による試験を導入することが決まった。視覚障がい者を対象としたパソコン講座も行われた。吉岡さんは4月から県庁で働くことになるが、上司や同僚に訊いていただきたい」

  *高知市健康福祉部長、岡林さんの祝辞
 「雇用情勢が厳しい中、視覚障がいの方、他の障がいの方も含め、県、高知市から点字の受験者が合格された。誠に嬉しいこと」

  *祝電披露
 10通の祝電が寄せられたが、この講演会では時間の都合上3通が読み上げられた。

*岸本慶子さんの講演
――全盲の女性で、市役所の中で
  1人苦労しながら頑張っています――
 「『吉岡君、合格おめでとう』。日本ライトハウスで訓練を受けた時、吉岡君と一緒だった。視覚障がいのある公務員として、公務員の仲間が増えたことを嬉しく思う。
 1983年生まれで、未熟児網膜症のため先天盲。高校まで盲学校に通い、京都精華大学の人文学部で学んだ時、初めて晴眼者と一緒に学んだ。就職活動で民間企業も含め何社も回ったが、合格をいただけなかった。
 ライトハウスの生活訓練部に入所し、ビジネススキルを学んだ。コールセンターでの仕事にめぐり合えたが、アルバイトなので身分が不安定だった。
 大阪市職員採用試験を受験し、12月に合格が決まった。4月1日を迎え、今の子ども青少年局で仕事をすることになった。最初のうちは市役所での移動に苦労した。
 その中で、最初の仕事は、出来上がった資料を封筒に詰める、台車で運ぶといったものである。だが、全盲の人が運ぶのは難しい。
 自分の障がいの理解がキーワードだが、私にはたまたま視覚障がいに気を使わずにいろいろなことをさせてくれた先輩がいる。そういったことも含めて、1年目の職員がやることはできる範囲でやれた。
 職場に着くと更衣室に荷物を置いたりするが、更衣室の照明を点けないで荷物を置く。健常者にはできないことが得意なのである。『私の所だけ電球を外してほしい』とも言った。視覚障がいについてマイナスに捉えられがちだが、プラスになる部分もある。
 指定管理者評価、電話による子育ての相談(離乳食、子どもの叱り方など)の受付、などの仕事をしている。市内の中核施設として受け入れている。点字の校正ボランティアにも関わっている。  
 やっと音声パソコン、ブレイルメモがやってきた。点字が好きなので、大学でもライトハウスでも点字をコミュニケーション手段として生活していた。メールも使えるようになった。誰から見ても2年目としての扱いをされる。
 今、子ども手当の支払いも私が行っている。
目を借りないといけないが、誰がいちばん忙しくないか気を遣わないといけないこともある。
 パソコンが入っても、公務員に必要なのはいろいろな様式に当てはめることだが、ワードやエクセルを私が使いやすいようにしている。エクセルの入力もするが、セルに入っているか音声で確認できない。スキャナーで写し取ってPDF化したものは音声では読めない。
 職場では会議もある。議事録を取るのが大事だが、誰が取ったのか分からない。他の人は前に置かれた名札で誰か分かるが、私には誰が発言しているか分からない(『声で分かるでしょ』と言われたりもする)。
 15人の担当がいて、1台のプリンターを共有している。自分で編集、プリントアウトしたものがどれか分からない。何ページあるか確認してから印刷をする。OKでEnterが出てくる。何種類かのファイルを印刷する場合、パソコンからプリンターまで3往復、4往復することがある。いちばん上にあるものがどれか分からないくらいぐちゃぐちゃになる。
 電話を取ることはできるが、電話番号は座席表に書かれていて、他のみんなは転送したい人に最も近い電話に回せるが、私はできない。『携帯があるからそれを見たらいいじゃないか』と言われることもある。
 自分でできることは一生懸命やるが、できるけど時間がかかることもある。効率的にやるために周りの人に支援を頼む。自分の手が空いたなら誰かのために手助けをする。
 吉岡君は私の何倍もパソコンをこなせるが、これから仕事を始めるといろいろな難しいことが出てくる。1人でも2人でも、相談にのってくれる人がいれば、少しでも楽になるのではないかと思う」

*岡田太丞さんの講演
――微力は無力ではない――
 「西宮市の三井住友銀行の国際関係に所属し、グローバルアドバイザーを務めている。『吉岡君、点字試験合格おめでとう』。会長(吉岡君)に続いて視覚障がい者が働いてくれることが増えることを期待している。坂本龍馬が大好きで、高知(土佐)に来られたことが嬉しい。
 なぜ見えなくなったか;1996年、旧住友銀行の支店をタイのバンコクに開設することになったのだが、最年少のメンバーとして赴任した。24時間寝ないで頑張り、何とか支店を開設した。
 2003年2月、激務が体にきて倒れた。頭にゴルフボール大の腫瘍ができていた。ガンマ線を腫瘍にあてて大きくならないようにした。放射線療法の後は本来なら絶対安静にしなければならないのだが、支店長が『出て来い』と言ったので仕方なく仕事をした。
 営業でお客さんの所へ回っていた時、自分の乗っていた車が後ろの車に追突された。絶対に安静にしないといけないという時に事故に遭った。8月に帰国してから手術を受けたが、神経は治らず、失明した。
 関西盲人ホームで歩行訓練を学び、阪急電車で会社へ行って帰る訓練もした。会社と交渉し、5年かかって復職することができた。
 点字やパソコンも限りなく独力で学んだ。だが点字は50音を何とか読める程度である。パソコンは右手の1本指手法しかできない。ブラインドタッチは難しい。
 PCトーカー、マイメールの入ったパソコンが会社に入った。復職した当初は『とりあえず無事に会社に来て無事に帰ったらよい』と思っていた。 
 外部セミナーにもアシスタントと一緒に参画し、東南アジアの人の状況を観察する。海外で営業している時に欲しかったのは情報だった。松下電器(現パナソニック)、韓国のサムスンのことを知って当たり前。PCトーカーからアシスタントにワンタッチでワードにしてもらう。
 トヨタ自動車の担当者がヴィエトナムで『若い人も正規の職員も岡田グループに入れようか』と言っていた。毎日何百のニュースを聴いている。アシスタントと2人で2週間に1度、タイならタイの、A4の1枚のニュースダイジェストを作成している。その他、ヴィエトナム、フィリピン、オーストラリア、韓国などのニュースダイジェストを月2回作っている。その日の岡田が選んだアジアの5大ニュースを選び、ニュースの購読者約
1,500人に毎日送っている。
 アシスタントとうまく仕事を作っている。『おはようございます』と挨拶をすると、返ってくる返事で相手の機嫌が分かる。職場で円滑に仕事をするために、大きな声で挨拶をするようにしている。一切遠慮しないで、自分をさらけ出している。
 私が晴眼者だった時には、野球で言えば自分が3割バッターだったらよかった。だが、失明してからは組織としてどう勝利に近付けるか、3割を打つにはどうしたらよいか考えるようになった。『ゴールを狙うスルーパス、ランナーを進めるバント』、これが私の誇るべきこと。
最近やっと沢山の情報で『こうなりました、ああなりました』。こんな形で自分自身が納得感を持って誇りを持てるようになってきたし、こうやって演壇に出していただけるように自分の気持ちとしても整理ができた。
 『初心忘るべからず、但し、初心のままプレーしてはならない』。昨日よりも今日、先日よりも今日、質の高い仕事を。
 『微力は無力ではない』。私は大企業といわれている会社に勤めているが、そこでは2万人が働いている。0だったらいつまでも0のまま、0を100倍にしても0だが、
0.1を100倍にしたら10。それがたくさん重なると大きなうねりとなる。まず隣に座っている人の意識を変え、それから更にグループの人、部の人、本店の人、銀行の人と順に意識を変えていく訳だ。
 障がい者でもこれだけできる。仲間に馬鹿にされている中、多様性を享受し、本当に微力だが日頃の積み重ねを大切にする。下足番として1番を目指せ。決して無駄なことはない。
 仕事の結果の方程式は、『熱意×能力×考え方』、これは掛け算である。考え方にはマイナスの人がいるが、その場合能力があっても掛け算なのでマイナスになる。そこをポジティヴに考え、プラスに持っていく。
 『障がいは不自由だが、不幸ではない』と私は今思っている。関西から友人が3人来ている。会社人間だったら出会えなかった、一生ものの友達と出会えた。視力を失ってつらい思いをした。『なぜ俺だけ』とも思った。だが失うものがあっても、一生ものの友達が得られる。以前には頭取になろう、と思って仕事をした。よく働いたのだが、今は心から『ありがとう』と言えるようになった。
 夢は国会議員になること。全国に視覚障がい者は30万人とも100万人ともいるといわれている。」

 質疑応答、休憩の後、総会に移った。

  *「就労を促進する会」総会
 3回目の総会となった。前回の総会は
2008年9月23日に開かれたが、それからこの日までの分の活動報告、決算報告が行われ、今後の活動方針案が出され、承認された。
 「促進する会」の中平君が第1部の閉会の辞を述べた。

 17時から、「はつひ」の間で懇親会が開かれ、約40人が参加した。皿鉢料理を味わいながら心ゆくまで歓談し、吉岡君の一層の活躍を願い、「促進する会」などの活動の一層の発展を誓った。

編集後記


             片岡 慈仲
 去る2月6日には、県と高知市で同時に初の点字受験合格者が誕生したことを記念して、講演・祝賀会が催されました。
 この4月から、吉岡さんと脇水さんは新しい職場で視覚障害者として働くことになりますが、これは、後に続こうとする人たちにとって、明るい希望の光です。
 また、全視協は5月の愛知大会での決定を経て、自前の事務所を持ち、「一般社団法人」としての新しいスタートを切ることになります。
 こういう時、私たち守る会は間もなく新年度を迎えますが、いっそう組織を充実させて、私たちの権利と福祉を守り、発展させるため力を尽くしましょう。



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