みちしるべ
第227号
目次(ページ内リンク)
全視協西日本ブロック交流集会報告 正岡 光雄
全視協西日本交流集会報告 山本貴裕(あつひこ)
女性部総会と食事会報告 大原 保子
息子はサッカー試合中落雷事故に遭遇して・・・ 北村 みずほ
城西公園でお花見 町田 浩子
ATMや町づくりにかんするお知らせ
スマートフォンのタッチパネルも点字入力ができます 有光 勲
無資格マッサージの違法性について
第2回ブラインドテニスを行ないました。(そのルールとは?) 大野 俊一
高知点字図書館職員名簿
高知市障害者スポーツセンター 視覚障害者リフレッシュ教室
編集後記
正岡 光雄
講演「全視協のこれまで、これから」について
「西ブロ」の大トリは全視協の雄、東郷進さんの講演だった。今回の最大の聞かせど
ころであった。彼は文字どおり20代の若いころからの全視協の支え柱であったが、彼
自らも「今後も命ある限り会のために頑張る」と締めくくった。
〈その1〉
「機関誌 点字民報」についての説明
講演は、機関誌の説明から始まった。発刊以来50年になる。デイジー(50)、テー
プ(200)、そして、点字、普通字、電子メール版合わせて五つの媒体で読まれてお
り、読者は千数百人である。点字マスコミ最大と言われているのは「点字毎日」であ
るがこれでさえも普通字版を含めてもやっと6,000部だそうだ。したがって、本誌の
存在は決して小さくはない。もとより本会の主張を発信し続けてきた意義は、更に大
きいと言える。
初代編集長の東さんはもちろん名編集長だったと思うが、自分にとって大変関わり
の深かったのは主に原稿執筆で、政所章さんや、亀甲孝一さん、それから大坂悦子さ
んであった。しばしば原稿締切りに間に合わず、何時も平信低頭で謝り続けた思い出
は忘れられない。
大阪大会後、主に経費削減のためではあるのだが、これまでの毎月発行から年間4
回(1、4、7、10月)になる。今まで果たしてきたことを思うと、大変残念な話であ
る。などと話した後、最後に、本誌への新たなビジョンが彼一流の名調子で語られた
。
大いに我々の主張や理念を広く国民向けに発し続けたい。本誌がその重要な役割を
担う必要がある。すなわち、毎回特集を組み、普通字版を1,500部くらい作って、ば
ら売りする。普通字は増刷しても経費はあまり変わらない。特集には、例えば、昨日
報告のあった、高知の親の会の事例などを元に「視覚障害児子育て版」、同じく藤原
君の報告のような「障害者への社会福祉の全体像を表す版」、また世間に広まってい
る、あはき関連の偽情報であるが、マッサージ師が無資格で整体師が有資格者である
など、これらを払拭するようなものや、あるいは、手技療法の神髄を理解してもらえ
るような「あはき問題版」等々である。
〈その2〉全視協についての説明
@結成
全視協結成は1967年である。スローガンが素晴らしかった。「差別や偏見に反
対し、生活と権利を守る」であった。
当時、日盲連を初めとして、そのような理念や主張を発信できたのは視覚障害者団
体には例がない。今でも日盲連がそのような明確な、旗印を出すことはできないので
はないだろうか。
A二つの運動
結成間もなく二つの大きな運動が全視協を中心にスタートした。
障害福祉年金は障害当事者に、一方児童扶養手当はその子供に給付されるはずであ
るのに併給は不可というのだ。そんなバカなことはあってはならない。しかも父子家
庭なら可能なのである。
大阪の堀木文子(全盲の母)さんはたちあがった。堀木さんは母子家庭でもあった。
世間では、「障害者の朝日訴訟」として注目された。
いっぽう、東京では街づくりに関する大きな戦いが始まった。中途失明の上野孝司
さんは40を過ぎてから、マッサージ免許取得のために、ヘレンケラー学園に通学し、
卒業間近だった。婚約中の高橋節子さんとのデート後、高田馬場駅で下車し帰宅しよ
うとしていた。夕方のラッシュ時の人ごみの中、方向を見失いホームから転落した。
丁度そのとき山手線の電車が轟音を立てて、入ってきたのだ。上野さんは50メートル
も引きずられ、躯(むくろ)のまま線路上に置き去りにされていた。
堀木さんも上野さんのお兄さんも最初、運動の支援を求めて日盲連に赴いたのだが
、その解答は大変残酷だった。
「国鉄(JR)に刃向うと割引証を取り上げられる」、また「そもそも、堀木さんの
このような事例は、ただ一人の問題であり、日盲連は個人の事には立ち入らない。視
覚障害者全体のことに関わっている」であった。
全視協にこの件が持ち込まれ、歴史的な「街作り」運動が始まり、それは全国に大
きな反響を巻き起こした。
結局、堀木訴訟は敗訴したが、国はそれを切っかけにして、併給を行った。一方、
上野訴訟は和解が成立し、賠償金が支払われ、それ以降国鉄は多くの駅に点字ブロッ
クを敷設するに至った。またそれが公共施設や道路などへと拡大されていった。今で
は点字ブロック敷設はごく当たり前の状況である。上野訴訟の1審判決は次のように
言う。「視覚障害者が歩くとき常に付き添いを付けねばならないのは酷である。また
視覚障害者の外出は社会的自立に欠かせない。高田馬場は多くの視覚障害者施設を有
する。当駅に点字ブロック等の安全施策を施する必要がある」
この二つの訴訟は多くの弁護団をはじめ労働組合当多くの市民活動団体が支援した
。
B早稲田事件
〜全視協があはき問題に撃って出る
東郷さんの話は一層熱を帯びてきた。「早稲田事件」これは全学連の話ではない。
「早稲田鍼灸専門学校」のことだ。この「学園」に「按摩科」を設置しようというの
だ。
密かに根回しが行われたようであり、日盲連本部は元より、理療化教員連盟等は賛
成、全日本鍼灸マッサージ師会中央は反対だが、有力な東京の組織は賛成だった。上
から下まで一丸となって反対できるのは全視協のみだった。本会が試される時が来た
。ハリマ連(鍼灸、マッサージを守る全国連絡協議会)が結成された。厚生省前の連日
の座り込みが開始された。さすがの厚生省もついに折れた。大方の予想を覆し、申請
を却下した。
C「提言」について
話はまだ続いたが、そろそろ省略し、結論に至ることにする。
最後に来て、またまた東郷節が炸裂した。今後の我が全視協のことである。
「自立支援法」を廃棄し、総合福祉法を作る過程で、「骨格提言」が審議会によっ
て打ち出された。しかしこれは実らなかった。「提言」の内容は素晴らしかったが、
なぜ実らなかったのかを考えてみたい。日本は貧困や不安定雇用が充満している。そ
れらの全国民的な苦悩をなんら触れることなく、ただ障害者のみの前進はありえない
のだ。上述した戦いが多くの市民の問題を踏まえていたから勝利した。私たちはこの
観点に立って、進んで行かねばならない。
それから我々視覚障害者の職業問題、あはきを守る運動にもっと熱を入れなければ
ならない。
〜高知の奮闘〜
よく飲み、よく喋ってきた。
藤原執行委員は社会福祉の現状について講演した。私も及ばずながら「歩車分離信
号の取り組み」を報告した。佐々木さんは「親の会」の報告をした。有光先生は長い
東郷さんの講演でただ1人質問した。
会終了後「かき小屋」に赴いて、ふんだんに殻つきの蠣をみんなで頬張った。ボラ
ンティアの方にも大変お世話になって、高知の参加者全員がそれぞれ、慰労しあった
。
山本 貴裕(あつひこ)
この度全視協西日本交流集会に参加させていただきました。第1日目の「バス問題
を考える」について報告します。 ???????
徳島県内に於いてもバス路線の廃止、および減便が進み最盛期には10分待ちで乗れ
たのが現在は20分待ちは当たり前で、土日祝日は一時間待ちです。運転免許を持たな
い障害者は非常に不便な生活を強いられています。
またバスの車外放送が一部の心ない人々の苦情でやめてしまうという事例を聞いて
非常に悲しくなりました。ノンステップバスの導入で利用し易くなったものの、車内
の段差や手すりが意外にも邪魔になったり座席の向きが様々でどちらを向いていいか
がわかりにくかったりします。また降車ボタンの位置の確認が必要であったり、停車
時にエンジンを止めている場合はバスの存在に気付かなかったりします。それからデ
ジタル式の行き先表示は弱視者にはわかりにくいことや、車体を丸ごと広告で塗装し
たラッピングバスは会社を特定しにくいことは今まで気付かなかったバリアがあるこ
とを思い知らされました。さらにバスの接近を知らせる「バスロケーションシステム
」は徳島にはないので普及させていきたいと思います。
交通バリアフリーの施行後低床バスの導入で利用し易くなったといってもまだまだ多
種多様な障壁があることを思い知らされた大会でありました。
最後に2日間にわたってお世話をしていただきましたボランティアの皆様方全視協
業務執行理事東郷進様はじめ参加者の皆様方本当にお世話になりました。心より御礼
申し上げます。
大原 保子
4月14日(日)、2013年度の女性部総会と食事会を桂浜荘で行ないました。
総会参加者は12名、委任1名、食事会14名でした。今回、送迎バスを利用しました
が、全員9時20分までに県民文化ホール前に集合し、予定よりはやく出発することが
できました。
総会は、10時過ぎから松田近子さんを議長に議案書にそって進められました。活動
報告のうち、7月のTPP(環大平洋経済連携協定)の学習会では、田中先生の話が
とてもわかりやすかったということでした。たしかTPPに加盟すると農業だけでな
く医療や保険などについても厳しい状況におちいることが予想されるというお話だっ
たと記憶していますが、政府はこの7月にも交渉に参加することを決定したと連日報
道されています。ほんとうに心配はないのでしょうか?
8月の東京大会に高知から5名参加しましたが、どの組織も年齢が高くなってきて
おり、おなじみの人が来てなくてさみしかったという声が聞かれました。
活動方針では、レクリエーションとして秋の連休に一泊旅行を、また、いつもはあ
まり意見の出ない学習会のテーマとして認知症をとりあげ、その予防や食事といった
ことを学ぶのはどうだろうという提案があり、「お互いそういう年齢になってきたも
んね」「はようやってくれんと間に合わんかもしれん(笑い)」などの意見をふまえ
て今後担当役員を中心に計画を進めていくことになりました。
総会終了後、食事会では有光先生の音頭で乾杯し、その後おいしい会席料理をゆっ
くりあじわいました。
帰りのバスは3時出発ということで、それまでの2時間は皆室内でおしゃべりをし
たり、コーヒーを飲んだりと忙しい日常ではあじわえないような、のんびりした時間
をすごし、予定通り帰ってきました。
北村 みずほ
平成8年8月13日、当時高校1年生の息子は大阪高槻市でサッカー試合中に落雷事
故に遭いました。30分近く心肺停止の状態で救命救急センターに搬送されました。
5時間半後、身体中に管をつけられ、まったく血の気がなく変わり果てた息子と対面
し、言葉が出ないほどのショックを受けましたが、それでも、ここで死なせてはいけ
ないと必死で息子の看護と介護をして「命」を守り続けてきました。
事故から1年半後の平成10年3月、息子はもう身体が元のようには戻らない現実を
突きつけられて、引率教師にやっとの思いで「僕の身体を元に戻してください」と訴
えました。夫と私は、光寿の言葉に驚き、胸が痛みました。目が見えないために、真
実を調べたくても調べることができない息子に代わって、私が事故の真相を調べよう
と決意しました。
土佐高校との話し合いの場を5回持ちましたが、学校も主催者も私たちの気持ちに
寄り添ってもらえず、「裁判をしてください」との最終的な回答が来ました。何の話
し合いもなく、除籍通知も郵送で送られてきました。裁判をするしか解決の方法がな
いとわかっても、裁判が初めての私たちは、裁判をすれば重度重複障害を抱えた光寿
の介護がおろそかになる、裁判に多額のお金を使えば、光寿の将来を守れなくなると
悩みに悩みましたが、どうしてもこのまま泣き寝入りはできないと、私達は提訴に踏
み切りました。
提訴して4年後、高知地裁で負けた時、目の前が真っ暗になりました。夫から「私た
ち以上に、被害を受けた光寿が一番つらいのだから」と言われ、「落雷事故で命を失
いかけたことを考えれば、裁判で負けても、『命』までとられることはないのだから
・・・、高裁で審理してもらおう」と前向きに生きるよう励ましあいました。
高松高裁でも、血も涙もないような無慈悲な判決が出ました。私たちは被害者なのに
、司法の場で認められなければ、私たち家族全員が悪いことをしているかのように、
否定されたように思いました。夫は銀行で働いていたのですから、私以上に周囲の声
から逃げることができず、辛く厳しい毎日だったと思います。裁判というものは子ど
もの幸せを願い、愛情がなければ続けることができないのだと痛切に感じました。何
重にも重度障害を抱えた息子には、将来、乗り越えなければならない苦難や壁がいく
つも待ち受けています。簡単に諦めないで、人の何倍も、何十倍も努力して欲しいと
願い続けて、失意の底から立ち上がり、最高裁に上告しました。
審理をしてもらう「最後の砦」最高裁が残っている、悔いのないように最善を尽くそ
うと決意し、被災したユニフォーム、一般の人が図書館で読む避雷対策の参考文献、
生徒の証言録、数多くの証拠資料など大きなかばんに入れて、毎月のように最高裁要
請行動に出かけました。全国から上申書6466筆届けていただいたおかげで、最高
裁へ上告して1年余りで勝訴・差し戻し判決が出ました。高松高裁に差し戻されたた
めに、最高裁でやめれば高知地裁の敗訴の判決が確定することを弁護団の先生方から
お聞きして、夫と悩みました。
目が見えない息子に代わって、息子の名誉を回復さすためにも、すべてをやり遂げて
おきたいと考え、責任を明らかにするために、判決を勝ち取る覚悟で高松高裁差し戻
し審に臨む決断をしました。高知地裁へ提訴してから(高松高裁・最高裁・高松高裁
差し戻し審と)9年半かかりましたが、みなさま方に支えていただいたおかげで勝訴
の判決を勝ち取ることができました。この判決は、高知だけでなく、全国に影響を与
え、学校管理下では何よりも子どもの「命」が大切との思いが浸透し、また、日本サ
ッカー協会からも落雷事故防止対策の通達が全国に出されました。
‥‥‥
雷に直撃され、心肺停止状態で救命救急センターに搬送され、生死をさまよいました
。担当医から99%助からない、助かっても脳死か植物状態になると言われましたが
、生きて欲しいと夫と祈り続けました。二ヶ月間意識が戻りませんでした。リハビリ
の先生がベッドの上で丸太ん棒のように硬直した体や足を曲げて刺激を与えている時
、初めて「かあさん、いだいー(痛い)」と発語しました。「声が出た、言葉を発し
た」と夫と大喜びしました。
機能回復訓練を続けることで薄紙を剥ぐように徐々に徐々に回復してきました。目が
見えなくて、重度重複障害が残った為に、事故から7年8ヶ月の歳月が経過して、高
知県立盲学校高等部に入学し、その卒業後、現在も高知県立短大で「学ぶ」機会を与
えていただいています。本当に感謝の気持ちで一杯です。
落雷事故に遭遇してから、家族の人生は一変し、私たちの生活は言葉では表現できな
いほどに厳しいものとなり、尋常ではありませんでした。最高裁で勝訴した後、健康
だった夫は肺がんに罹り、裁判の結果を自分の目で見届けたいと治療を受け続けまし
たが願いはかなわず、息子の将来を気にしながら、1年1ヶ月の闘病生活で他界しま
した。
事故に遭遇してから17年半、そばで見守り、支えてくれる人がいたから、辛い心情
を吐露しながら、一つ一つ気持ちを整理して、諦めないでここまで来ることができま
した。私たち弱者に耳を傾けてくれる温かい人がいたから、声をあげることができ、
こうして生きてくることができました。これからも、みんなと手を携えて、支え合い
、苦難を乗り越えていきたいと心から願っております。
町田 浩子
3月31日(日)、レク部主催のお花見に参加しました。今年は桜の開花が早くて
、この日曜日が花見の最後のチャンスでした。
城西公園に着いてみると桜の花の下はどこもかしこも人が座っていて、大変なにぎわ
いです。守る会の場所は入り口近くの分かりやすい所でした。レク部の皆さんがきっ
と朝早くから場所取りをしてくれていたのですね。準備も大変だっただろうなと思い
ました。
総勢25名という参加者で、久し振りにお会いできた方もあって嬉しかったです。
親の会の方も例会が済んだ後駆けつけて参加して下さいました。半ば葉桜になってし
まった桜もあったお花見でしたが花びらの舞う中、私は賛助会員の島崎さんやヘルパ
ーの藤田さんともお話出来て本当に楽しい一日でした。
○音声対応ATM
四国銀行上町支店に二台目の音声対応ATMが設置されています。誘導ブロックつ
きあたりの、これまでのATMのすぐ右隣です。一つの銀行に二台の設置されている
のは、おそらくここだけかもしれません。今までのものがよく故障していたので助か
ります。
○音声付き信号機
もう何年も前から要望していた旭町3丁目にようやく設置されました。
○北環状線添いの点字ブロック
1.中万々・ネッツトヨタ交差点南側横断歩道の警告ブロック。
2.つつじヶ丘バス停そば交差点南北の横断歩道警告ブロック。
3.福寿園前バス停の点字ブロック。
4.福寿園前交差点南北の横断歩道警告ブロック。
○小高坂更生センター南側で盲学校北側歩道の縁石を削り、センターの方向を示す点
字ブロックが敷設されています。
有光 勲
昨年11月1日から3日まで、東京都墨田区錦糸町の墨田産業会館で、第7回視覚
障害者向け総合イベント「サイトワールド」が開催されました。私も行ってきました
が、そこでスマートフォン(スマホ、多機能型携帯電話)のタッチパネルの点字入力
についてデモンストレーションが行なわれておりました。私自身実際に体験し、大変
感動しました。というのは、タッチパネルといえば、われわれ視覚障害者には無縁の
ものとあきらめていたからです。スマホには操作キーはありません。いずれ掲帯電話
に限らずあらゆる入力装置からキーがなくなり、タッチパネルに変わってしまうのは
時間の問題ではないでしょうか。
私は、スマホを持っていませんし、わずか10分程体験しただけなので、詳しいこと
はわかりませんが、とにかく、タッチパネルの点字入力が可能であるということを知
っていただければと思います。
スマホを点字入力できる状態にするためには「スマート点字」というアプリ(アプ
リケーションソフト、目的にかなった働きをさせるためのプログラム)を組み込む必
要があります。これは、インターネットからダウンロードできるとのことです。具体
的な入力方法について説明しましょう。
スマホ画面の上半分が表示部となり、下半分に指先でふれて操作します。1文字(
1マス)を3回の操作(スリーストローク)で入力します。その方法には二つありま
す。一つは、指先を画面に当てて1・2p程ずらします(フリック)。いま一つは、
画面を指先で軽くたたきます(タップ)。そして、フリックには、左にずらす左フリ
ック、右にずらす右フリック、下にずらす縦フリックがあります。
これから文の入力方法を説明していきますが、便宜上、左フリックを「左」、右フ
リックを「右」、縦フリックを「縦」、そして、タップを「ちょん」ということにし
ます。左フリックは、点字の1・2・3の点、右フリックは、4・5・6の点、縦フ
リックは、1と4、2と5、3と6の点になります。そして、タップは、点が空白で
あることを意味します。実際に書いてみましょう。
アの場合は、「左・ちょん・ちょん」となります。すなわち、左に指先をずらすこ
とで1の点が入力されます。2・3の点はありませんから、タップを2回です。ア行
とマ行の書方を示します。
ア……「左・ちょん・ちょん」
イ……「左・左・ちょん」
ウ……「縦・ちょん・ちょん」
エ……縦、左・ちょん」
オ……「右・左・ちょん」
マ……「左・右・縦」
ミ……「左・縦・縦」
ム……「縦・右・縦」
メ……「縦・縦・縦」
モ……「右・縦・縦」
このようになります。五十音を全て表にしなくても、もうおわかりですね。濁音や
拗音、アルファベットなども点字の規則通りに書くことができます。さらに、長谷川
式六点漢字によって、漢字を直接書くこともできます。
最初にも書きましたように、タッチパネルといえども点字入力が可能であるという
ことを知っていただければ幸いです。銀行のタッチパネルなども、アプリ次第という
ことになりますから、このような方法で使えるようになればありがたいですね。
守る会アハキ対策部では、はり・きゅう・マッサージ師会と定期的に懇談会を持ち
、ビラ配りなど、無資格者追放のための運動を行なっています。この4月13日(土
)にも街頭で宣伝ビラとティッシュの配布を行ないました。その時配布したビラの内
容を掲載します。これによって、皆さんも無資格マッサージの違法性について、その
根拠など再認識していだだければさいわいです。
ご存知ですか?
Q1 マッサージをするには免許がいるというの
は本当ですか?
A1 本当です。医師以外では、あん摩マッサー
ジ指圧師の厚生労働大臣免許が必要です。
Q2 免許を取るにはどうしたらいいですか?
A2 文部大臣が認定した学校若しくは厚労省認定の養成施設で3年以上、必要な知識
・技能を修得した後、厚生労働大臣が行う国家試験に合格したものに与えられます。
Q3 危険がなければ、無免許でマッサージをや
ってもかまわないという人がいますが?
A3 有免許者がマッサージを行って初めて安全で効果的な施術を行えるのです。無資
格者のマッサージや各種の施術は、国の免許制度による保証がないため、大変危険で
安全性が担保されていません。
Q4 有免許者と無資格者をどのように見分けれ
ばよいですか?
A4 有免許者は、法律によって広告できる内容が厳しく決められているため、効果の
ある病名や症状を看板や広告に書くことはできません。肩こり、腰痛、冷え性、リウ
マチなどと病名を看板や広告に書いてある場合は、ほとんどが無資格者です。
Q5 正規のマッサージが少ないから、無免許が
はびこるという人がいますが?
A5 正規のマッサージ師は9万人以上います。大部分は、金儲けのために違法を働く
人たちのいいわけです。食品偽装などで、企業の中に、コンプライアンス(法令遵守)
の立場を取る動きが強まっています。無免許マッサージ問題でも、ホテルなどが無免
許の出入りをさせない、高級工ステ店で有免許者を雇ってサービスの質を競い合うな
どの傾向です。結局のところ、「無免許マッサージを許さない」という世論の高まり
こそが、無免許をなくし、無免許マッサージの被害を未然に防ぐための決定打になり
ます。
Q6 エステ、カイロ、整体、リフレクソロジー
などの国家資格はあるのですか?
A6 すべて、国が定めた免許・資格はありませ
ん。
Q7 では、免許・資格がなくても仕事ができる
ということですか?
A7 名前が異なっても、マッサージをやっている実態は変わりませんから、無免許マ
ッサージ罪で50万円以下の罰金に処せられます。光脱毛などで、医師法違反で捕まっ
ている例もあります。
Q8 柔道整復師の「接骨院」でマッサージを受
けていますが、よくないのですか?
A8 それは違法です。柔道整復師は、骨折、脱
臼、捻挫、打撲、肉離れ等の急性や亜急性
症の治療を行う専門職ですが、単なる疲労
性や慢性の肩こりや腰痛の治療をすること
はできません。
Q9 柔道整復師のマッサージが違法なら、どう
して保険証が利くのですか?
A9 それは、マッサージを捻挫・打撲といつわ
り、嘘の保険請求しているからです。
Q10 最近、柔道整復師に関わる新聞報道が多い
ようですが?
A10 保険にまつわる、振替請求、水増し請求、
多部位請求の他、柔道整復学校のニセ教員
問題、免許貸しなど、不正な事件が発生し
ています。
(そのルールとは?)
大野 俊一
4月27日(日曜日)に盲学校体育館で行いました。ブラインドテニスをやるのは、
今回で二回目です。前回は、守る会の会員でもある盲学校の永田先生に紹介してもら
ってブラインドテニス協会の皆さんにご指導もしていただき、楽しくルールも簡単で
取り組みやすい印象がありました。
今回の参加者は、5人。日程が合わず来れなかった方も何人かおられたようです。
12時30分ごろ準備開始。さっそくラケットを握って準備OK。参加者の町田さん相手
にプレー開始。最初のうちは、空振りばかりでしたが慣れてくるとラリーも続いたり
してすごく楽しかったです。井上先生も楽しそうに町田さんとプレーしていましたよ
。有光先生は、真剣にスポーツセンターの方と特訓をしていました。有光先生の特訓
の成果は、すぐに表れました。サーブの成功率が上昇し、ボールへの反応も早くなっ
てきました。
随分疲れましたが、良い汗をかいた充実感でいっぱいでした。今回参加された皆が
またやりたいと言ってくれました。
最後にブラインドテニスのルールを掲載します。(永田先生制作)
1.創始者
武井 実良(タケイ ミヨシ)氏(全盲)で、大会ではB1クラス(後述)で6年連続
優勝の実力を有するとともに、国内外への普及にも力を注いだ故人である。
残念ながら、2011年1月16日、JR山手線・目白駅でのホーム転落事故により亡くなら
れている。
2.ルールの概要
競技スタイルは基本的に一般のテニスに準ずるが、使用する道具やルールにおいてい
くつかの相違点がみられる。ラケットはショートテニス用もしくはジュニア用硬式テ
ニスラケットが用いられる。ボールは、簡単にいえば、サウンドテーブルテニス(ST
T)のボールをスポンジで包んだ構造であり、音の聞きやすさ、バウンドの特性など
の点で試行錯誤が繰り返され、改良されている。
また、ブラインドテニスでは、視覚障害の程度によって次のような競技クラスがあ
り、実際の試合では同じクラス内で対戦が行われている。
B1:視力0〜明暗弁(アイマスク、または、アイシェード装着)
B2:視力 手動弁〜0.03未満、視野5度未満
B3:視力0.03以上、視野5度以上
この競技に関していくつか特徴的なルールを以下に紹介する。
サービスについては、まずサーバーがレシーバーに対して「いきます」と声をかけ、
レシーバ
ーからの「はい」と返答があった後、5秒以内にサービスを行うこととされている。
これはSTTと同様のルールである。
また、有効バウンド数(相手が打ってきたボールに対し、レシーバー側のコートで
打ち返すまでに許されるバウンド数)は、B1で3バウンド以内、B2・B3で2バウンド以
内とされている。なお、視覚障害者と晴眼者が組むダブルスなども行われることがあ
る。
その他、詳しいルール、使用道具については以下のサイトをご参照いただきたい。
日本ブラインドテニス連盟:
職名,氏名,職務内容の順
○館長 坂本康久(さかもと やすひさ)
点字図書館全般
○点字図書館担当
係長 青木利恵(あおき りえ) 係全般
○主任
近藤恵美子(こんどう えみこ)点字図書担当
○主任
佃鈴子(つくだ れいこ) 録音図書担当
○主査
藤谷美奈(ふじたに みわ) 総務・録音図書担当
○主事
脇水哲郎(わきみず てつろう) 情報・文化担当
○事務補助員
和田直子(わだ なおこ) 録音図書貸出
○事務補助員
和田規宏(わだ のりひろ) 音訳関係事務補助
○事務補助員
森田史(もりた あや) 点訳関係事務補助
○事務補助員
田内梨央(たうち りお)
図書館システム移行作業等補助
○事務補助員
西岡由美子(にしおか ゆみこ)
図書館システム移行作業等補助
・・・・・・・・・・・・・・・・・
〒780−0870
高知市本町5丁目1番30号
高知市健康福祉部障がい福祉課
点字図書館 担当
TEL:088−823−9488
FAX:088−820−3218
E-mail:kc-120200@city.kochi.lg.jp
日程:毎月1回(第3土曜日)
時間:10:30〜12:00
場所:高知県立障害者スポーツセンター
対象者:視覚障害者
定員:10名程度
参加費:5,000円(年間)
(10月以降の途中参加の場合3,000円)
※参加費には保険料も含まれます。
※その他イベント等に参加する場合の必要経費については自己負担とします。
送迎:市内方面から送迎バス運行
※申込み用紙にて、FAXまたは郵送でお申し込み下さい。
※送迎バス利用の方は、申込書の送迎欄に希望乗り場を記入して下さい。
【申込先】
〒781-0313 高知市春野町内ノ谷1−1
高知県立障害者スポーツセンター 担当:福本
TEL:088-841-0021
FAX:088-841-0065
メール:sports11@kochi-scfd.com
連載中の「医療体験コーナー」は、皆さんけっこう読んでくれているとみえて、い
ろいろと反響があります。今回は、北代麻衣さんが書いてくれることになっておりま
したが、都合により次号に掲載します。おかまいなければ、このコーナーに原稿をよ
せていただけませんか。その目的は、医療体験者のお話を皆さんにも参考や教訓にし
ていただきたいからです。
もう既にお知らせしましたが、6月23日には、守る会の総会と懇親会が行なわれ
ます。どうかお繰り合わせのうえ、できるだけ多くの方のご参加をお願いします。
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