みちしるべ
第232号

目次(ページ内リンク)
第10回あはき運動交流会参加報告  永田 征太郎
無免許マッサージ追放の活動を行いました  濱口 誠一
女性部学習会報告「有光先生の健康法」  畠山 俊惠
平和でなければ私も家族も生きられない 障害者と平和学習会報告  大原 保子
自立訓練を受けてきました   佐々木 優至
視覚障害を持ちながら音楽の道に進んだ娘のこと  上田 マリ子
私の歩んだ道  横田 征一
ちょっと ひとこと  有光 勲
編集後記

§第10回あはき運動交流会参加報告


            永田 征太郎

 2013年11月3日〜5日にかけて開催された交流会に高知の代表として参加してきまし
た。今回の日程は、1〜2日目が会場である富山サンライズでの交流会、3日目は厚労
省との交渉、消費者庁との懇談でした。

 今回の交流会参加者は全国から116名、その中で学生が14名という状況から、でき
るだけ若者を集めようという実行委員会の努力が伺われました。分科会においても学
生や卒業生が中心で運営されたものもありました。

 一日目は、まず埼玉盲の学生・卒業生による司会で開会集会が幕を開けました。全
視協代表理事の田中氏をはじめとする数名から挨拶があり、実行委員長の東郷氏より
基調報告がなされました。

1.講演分科会

 一日目の分科会はテーマ別分科会として三つに分かれ、私は公演分科会に参加しま
した。「手技療法に対する消費者の苦情・事故から学ぶもの」という演題に基づき、
東京都消費生活総合センター啓発員の鈴木伸子さんが講演されました。内容は2012年
8月に国民生活センターから発表された情報(注1)に関するもので、あはき業に携わ
るものにとって非常に興味深いものでした。講演の中で取り上げられた事例をタイプ
別にいくつか紹介します。

[注1] 「PIO-NET(パイオネット)」には、すべての被害に関する報告が1年間で
約1万件寄せられている。その中で、整体やマッサージ等、器具を使用しない手技に
よる医業類似行為を受けて被害が発生したという相談が2007年度以降の約5年間で825
件(年間平均165件、全体の1.65%)寄せられており、件数は増加傾向にある。

@契約・解約に関するもの

[事例1] 鍼灸の出張治療を受けた再、領収書の発行を要求したが、「鍼治療は自
由診療なので保険の適用がなく、医療控除も受けられないから領収書は出さない」と
いう理由で断られた。診療形態の種類に関係なく領収書の発行は可能であると消費者
に説明した(サービス提供者の誤った認識の事例)。

[事例2] 椎間板ヘルニアの患者が整体の5回分の回数券を購入。3回施術を受けた
ところで症状が悪化し、残り2回の施術が受けられなくなったので、その分の返金を
求めたが断られた(回数券の裏面には返金不可の記載もあった)。「消費者契約法」
には「消費者に不利な条文は無効である」という考え方が示されているので、ケース
によっては全額でなくともいくらかの返金が可能な場合もある。

Aサービスの中身に関するもの

B危害に関するもの

[事例3] カイロプラクティックで10回33,000円の回数券を購入。施術によってわ
き腹の筋が断裂する負傷をし、完治まで2週間の診断を受けた。

[事例4] 施術所は中国式整体とマッサージのお店。通常5,500円のマッサージを1,
800円で受けられるクーポンを購入。施術者が板状の陶器で施術を行い、頸部の皮膚
が摩擦で負傷した。皮膚科で色素沈着が残るかもしれないとの診断を受けたため、診
断書を施術所に提出して賠償を求めた。

[事例5] 肩や腰の痛みで整骨院を受診。背中に施術者の膝を当てて頭を持ち上げ
、強く後ろに反らせた。「ボキボキ」と音がして肩や腰の痛みがとれなくなった。め
まいや頭痛もあったため、整形外科を受診して精密検査を受けた。すぐには原因が分
からなかったが、最近になって髄液漏れと診断された。

 このようなケースの場合、消費生活センターから施術所に連絡し、消費者との話し
合いに応じるよう促すことがあります。それでも応じない場合、書面で出来事の内容
を書いて提出するよう求めたりするようです。しかし、被害に対する治療費や慰謝料
などの保障問題については、センターでは対処が難しいとのことでした。理由として
は、ケガとサービスとの因果関係が明確でない、補償金としてどの程度が妥当かの基

準がない、などがあるそうです。そのため、医療問題を専門とする弁護士の組織を紹
介し、法律相談を受けてもらって弁護士のアドバイスを参考にするよう消費者に促し
ます。なお、消費者安全法により、治療に1ヶ月以上を要する事例は重篤な危害とし
て消費者庁への報告義務があるそうです。

 消費者がサービスを選ぶ基準としては、口コミ、ホームページ、情報誌、広告、場
所が近い、クーポン等があるようです。

 広告違反を取り締まる法律としては、「あはき法」の内容以外に「景品表示法」に
よるものもあるようです。

 事故への対処方法として、施術所は保険に入っていることが大切ですが、初めから
保険で解決するのではなく、被害者との話し合いをしっかりしてほしいとのことでし
た。

 弁護士によると、損害賠償を求めるための三つの条件があるそうです。それは、(
1)危害が発生した事実、(2)危害とサービスとの間の因果関係がはっきりしてい
ること、(3)実際に金銭的な損害(ケガの治療費)が発生していることがあげられ
ます。

2.医療・介護施設従事者分科会

 二日目午前中の分科会は、「医療・介護施設従事者」を中心とした分科会に参加し
ました。話題の中心となった課題をいくつかあげてみます。

(1)記録の事務作業の増大による負担

 最近ではどの施設でも電子カルテの導入が進んでおり、視覚障害者にとっては「音
声で操作できるのか」、「画面を拡大できるのか」などの問題が出てきています。参
加者が従事する施設での現状報告がありましたが、状況はそれぞれの施設で導入して
いるシステムによってさまざまなようでした。今のところ手書きの記録で残せばよい
という職場もあれば、電子データの場合に入力の負担をできるだけ軽減するために、

入力する項目がパターン化しているものについては雛形の書式を作っておき、選択肢
から選んで入力するなど、具体的な工夫点が紹介されました。また、このような記録
を中心とした事務作業への対策としてヒューマン・アシスタント制度(職場介助者)
を利用している事例も紹介されました。具体的には、奈良のコメダさんという方が活
用している事例が紹介されましたが、それ以外ではあまり広がっていないようでした


(2)他職種との連携

 職場の中で視覚障害を有する施術者が少人数である状況が多いことから、業務を円
滑に進めるためにも、日常業務で関わる他職種の人との連携が大切です。視覚障害に
ついて理解を深めてもらったり、日ごろからコミュニケーションをとることが大事で
あるという声がありました。

(3)盲学校学生に求めるもの

 参加者の中には盲学校学生や教員も含まれていたため、これから介護・医療施設に
就職するものに向けての意見が交わされました。記録の作業が増加している現状に対
しては、ある程度パソコンが操作できるスキルを有すること。患者さんとのコミュニ
ケーションもさることながら、職場の中でのコミュニケーションがきちんととれるこ
とが大切などの意見が出されました。また、特別養護老人ホームなどの雇い主が雇用

者に対して求める条件として、順位の高いほうから機能訓練についての知識、介護保
険についての知識、パソコンのスキル、コミュニケーション能力などがあると紹介さ
れました。



 今回の交流会には学生も多く参加していたことから、当事者から「明るい未来を信
じて頑張っていくための希望がもてるような指導をお願いしたい」という声もあがり
、拍手喝采が巻き起こる全大会での締めくくりとなりました。

§無免許マッサージ追放の活動を行いました


      あはき対策部  濱口 誠一

 2013年11月17日(日)に街頭宣伝活動を行いました。参加された皆さん、
お疲れ様でした。そして、協力してくださった方、ありがとうございました。直後に
メールにて報告しましたが、改めて、本紙面にて報告させていただきます。

 恒例になっている、懇談会としての「無免許マッサージ追放」の活動を、県師会の
研修会終了を待っての午後4時から、中央公園北口のグリーンロードで行いました。
参加者は、業界とあわせて15人以上で行うことができました。守る会関係は、10
名でした。50分ほどで用意したポケットティッシュ250個とチラシ

350枚を配りきることができました。

 天気も気がかりでしたが、なんとか雨も降らずに、昨年よりは寒くもなく行えたよ
うでした。

反省と感想

1. 懇談会としての準備のしかたについて、現行の作成・印刷・作業の場所などの
分担で少し手間取りました。

2. 配り方について、ティッシュとちらしを一緒に配るようにするため、折り込む
かホッチキスどめにするかなど、細かい点でまとまらず、配布するのに少し苦心しま
した。

3. 拡声器の使用と呼びかけについて、今回は使用しました。声で訴えることはい
いのですが、「リレートーク」のように複数で出来れば、意識も高まるのではないか
。また、周辺の商店などへの配慮の必要性があるとの意見もありますので、今後検討
していきましょう。

4. 作業の場所、日程、人での確保など、本会としての検討が必要と考えられます


 慰労会は、前回の反省を踏まえて、かなり前からお知らせしましたが、参加者が7
名、本会は3名と少しさびしかったような気がしました。

 守る会としましては、「視覚障害者のあはき師」の視点で啓発活動を予定しており
ますので、参加・協力をよろしくお願いいたします。

 なお、事務局便りには、4月6日(日)に予定とありますが、街宣に適した日程を
考えたいので、変更の可能性があります。正式な連絡をお待ちください。

 この、無免許マッサージの問題は、今に始まったことではありません。古くから、
国民に親しまれてきたものですし、身近で簡便な養生法であるようにみられてきたこ
とも影響しているようです。特に、最近は社会的な評価の高まり、医療保険の適用例
の増加などで大掛かりにシステム化しての業者の参入があいついでいます。

 このことは、雇用の機会が増えることにはなります。また、誇りを持って施術でき
ることにもなるでしょう。ただ、職業選択の自由の名の下に、無秩序な自由競争にな
ると国民への被害はもちろんのこと、「あはき師」の真っ当な生存の権利を脅かすこ
とにも繋がりかねません。

特に、資本調達・事務処理・宣伝活動など、難しい問題も多く、開業基盤の脆弱な視
覚障害あはき師への打撃は計り知れません。

 このように現状を考察するとき、ましてや無免許の業者のいわば「野放しによる氾
濫・増長」は、古いが新しい、大問題だと言えるようです。

 その中で、保険所をはじめとする、関係当局も私たちの思いを反映して、「携帯施
術所登録者証」を発行してくれました。それを受けて、周知をはかり、私達も元気を
出すために、啓発活動を行うことといたしました。

 それは、社会的評価を高めたのは?国民に親しまれてきたのは?健康の増進に寄与
してきたのは?優れた職業として誇りを持てるようになったのは?先人のたゆまない
苦心の賜物であることは疑いのないところです。

 視覚障害者のあはき師はいわれない差別・蔑視のなか、営々と本業を守り育ててき
たのです。このことを忘れないため、誇りを持って、「言うべきことは言う!やるべ
きことはやる!」という気概で活動して参りましょう。(最後は、檄文調になりまし
て申し訳ありません。私はこういう人でした。)

§女性部学習会報告


 「有光先生の健康法」

畠山 俊惠

1月19日(日)に旭の障害者福祉センターで女性部の学習会を行いました。

 今回は、講師に有光勲先生をお迎えし、「私の健康法」というテーマで話していた
だきました。参加者は、男性も含め13名でした。

 「そもそも健康とはなんぞや!」という質問から始まりました。「健康とは、身体
的・精神的・そして、社会的に良好な情態であること。」これは、WHOで定義づけ
られているし、衛生学にも書かれているそうです。いくら身体的・精神的に健康であ
っても、例えばリストラにあったり、人とのつきあいもなく家に引きこもっているよ
うな情態では健康とはいえません。

 健康を保つためには食べること、運動をすること。運動が悪いとはどの本にも書い
ていない。むしろ運動をしないのはよくないと書いている。先生も若い頃は、「食い
放題!飲み放題!夜遅うまでむちゃくちゃなことをしよったけんど、もうこの年齢に
なったら健康のことを考えるねえ。」と、しみじみおっしゃっていました。

「家の中でも畳1畳くらいの広さがあれば運動はできます。」先生は、自分でいろい
ろ考案して筋トレをしたり、ラジオ体操やダンベル体操などもしている。また、部屋
の真ん中のテーブルの上にプレクストークをどんとおいて、サピエからダウンロード
した小説を聞きながら、家の中を熊のように黙々と歩いているとか。「なんぼか人が
見たらおかしいろうねえ。」と言いながらも、「これなら交通事故にもあわんしねえ
。」と先生。家にいるときは、そうやって1時間半ほど運動をしているそうです。

「さほどおもしろうもない運動でも、自分がこれだけはすると決めて必ずする。要す
るに、本人にする気があるかないかよ。健康のために是非皆さんも一日1時間くらい
は運動をしてください。」

 体と同時に頭の運動もすること。「小説を聞くのもよし、カラオケの新しい曲を覚
えるもよし、常に脳に刺激を与えることが大事。二つ三つのことが同時にできたら、
それはまだぼけていない証拠です。」

食べ物についてはいろんな説があって、「牛乳がえいという人もおれば、牛乳は悪い
という人もおる。食べ物については自分の中でも結論は出ちょりません。」と先生。
以前朝食に、石原結實さんお勧めの「しょうが紅茶とニンジンジュース」を暫く実践
して5キロほど体重が減ったそうですが、「『先生やせましたか?』と何人かに言わ
れたけんど、あんまり気持ちがえいもんやないねえ。それで特別体の調子がようなっ
たとも思わんし、すぐに腹も減るし、やっぱり朝ご飯はしっかり食べろうと心を入れ
替えた。」とのこと。

また、「糖質を取ったらいかんとか、好きなものばっかり食べよったらえい。嫌いな
ものを無理に食べろうとする方が体に悪いとか。とにかくいろんな説があるが、いろ
んな人の考えをミックスして、自分がこれをと思うものを実践したらえいと思います
。」

 医療については、先生自身が10年ほど前に食道癌で内視鏡手術をされた経験があ
るだけに、話は具体的。その後転移を調べているとき、甲状腺に腫瘍が見つかった。
医師から「手術しましょうか?」と言われたが、念のために別の専門医で見てもらっ
た。「これは濾胞腺腫です。」との診断に、ほっとしたという話。「へたしよったら
切られるところやった。」と笑っていました。

「医者に殺されない47の心得」で最近話題になった近藤誠医師は、「最近の医者は
手術のしすぎ!しなくてもいいものまで手術をしている。まるで『打ち首のない辻斬
り!』」とまで書いている。先生もそれには同感だとか。

「医療については、知識がありすぎても迷うが、いろんな本を読んで最終的には自分
で自分なりに判断しましょう。」

 健康に気をつけている有光先生も体のことで一つだけ問題を抱えているそうです。
さあそれは何でしょう?それがなんと「頑固な不眠症」に悩まされているそうですよ
。「軽い睡眠剤を飲みゆうけんど、ひどいときはプレクストークで朝まで小説を聞く
ことがある。」とのことです。眠れないというのも辛いことでしょうね。

 最後に、参加者の片岡幸子さんが、自分がしている肩こり解消法を紹介。力を抜い
て手をぶらぶらさせる。暫くしていると緊張がほぐれて肩こりが楽になる。昔は、筋
力を付けるための運動ばかりしていたが、筋肉を収縮させたら必ず弛緩させる。そう
やって柔らかい体を作るよう心がけているそうです。

 畠山の元気の秘訣は、好き嫌いをせず何でも食べること。手芸・卓球・カラオケな
ど楽しいことをいろいろして、ストレスを貯めないようにしているという話もさせて
もらいました。

§平和でなければ私も家族も生きられない


     障害者と平和学習会報告

             大原 保子

 1月26日(日)13時半より盲学校第2会議室において、岸博実先生をお迎えし
、第15回障害者と平和学習会を行いました(参加者49名)。

 1985年の第1回から毎回先輩の方々の戦争体験をうかがってきましたが、皆さ
ん高齢となられお願いすることが難しくなったこともあり、今回はまずこれまでお話
いただいた二組の方の録音を聞くことからスタートしました。毛利さんご夫妻は、防
空壕掘りや当時の食事の話、溝淵健一さんからは盲学校での避難救護訓練や敵機爆音
聞き取り訓練、マッサージ慰問などの話を聞きました。

 次は正岡光雄先生の体験談です。1938年旧満州で生まれ、2歳の時に失明とい
う大きなアクシデントに見舞われたけれど生活も豊かで恵まれた幼年期を過ごすこと
ができた。しかし、1945年8月九日のソ連参戦、それに続く終戦で生活は急変し
た。ソ連兵に脅かされ、疫痢にかかり、また汽車で移動中に暴徒に襲われ宝石などの
全財産を奪われるなどなど、翌年高知に帰り着くまで苦難の連続だった。その上、父
をシベリアで、幼い弟を満州で失ってしまった。「今も世界のあちこちで争いが繰り
広げられてそれらの報道に接するたびにあの悲惨な体験を思いだしてしまう。数しれ
ない人々の犠牲と平和憲法のおかげで今の日本の幸せがあるのだから私たちはいつま
でもそれを守っていかなければならない」と話されました。

 続いて「戦争に駆り出された視覚障害者ーー平和であってこそ障害者の人権は正し
く保障されるーー」の演題で岸博実先生に講演していただきました。

 1974年から現在まで京都府立盲学校の教員をされており、2年前から日本盲教
育史研究会の事務局長をなさっておられる岸先生のお話はとても内容豊富なものでし
た。以下に少し紹介します。

 1943〜44年に、京都府立盲学校で3回講演を行った森信三旧満州建国大学教
授は「義勇隊の少年たちと自分を比べ、目の不自由からくる身のいたらなさに思いを
いたさなければならない」「直接銃剣をとって闘うことのできない皆さんは国家の非
常時にどういう態度で生活すればお国のためになるのでしょうか」と巧みに誘導して
いった。

 盲人防空監視哨員・・・爆音により敵機の種類を聞き分け、その接近をいち早く知
らせる防空監視哨員の任務に、聴覚が鋭いからと視覚障害者が動員された。石川県の
2箇所で任務についた記録が在るほか、各地の盲学校でも訓練が行われた。

 他にも視覚障害者が全国から募金を集めてゼロ戦「日本盲人号」を献納したり「海
軍技療手」として戦争に参加し南方で戦死した人もいた。「しかし、こうした中で少
数ではあったが反戦行動を起こした視覚障害者がいたことも記憶に止めておきたい」
と言われました。

 学童疎開と戦後の学校再開・・・一般の学童は法律に基づいて都道府県が責任を持
って疎開先を見付けるが、盲聾学校についてはそれぞれの学校長に任されている。学
習会の資料には

1945年7月15日高岡郡黒岩村国民学校に疎開と書かれていました。

 また学校の再開も一般校より遅く、2、3年遅れの学校が多い中で、高知盲は19
45年8月31日に高知市のマリア園を借り校舎に授業を再開し、翌年焼け跡に校舎
が落成して移転した。

 「僅か3 4人での反戦平和の取り組みしかできなかった時代と今は違います。憲
法9条が在り、今日のように沢山の方が思いを一つに集まる自由が在ります。研究す
る自由も在ります。その中から新しい希望を見いだし平和を守って行けるそういう輪
の中に私も居続けたいと思っています」と結ばれました。

 まだまだ多くのことを話していただいたのですが、私の拙い文章力ではとてもお伝
えできそうにありません。が、学習会のデイジー版が在りますのでぜひお聞きくださ
い。

ご希望の方は、学習部の藤原さん(電話088-840?0834)または大原(08
8?872?6903)まで連絡ください。

 この後の「平和の歌声」では高知センター合唱団の方のアコーディオンに合わせて
、おなじみの「上を向いて歩こう」「青い空は」「手のひらを太陽に」などの歌を合
唱し学習会は終了しました。

§自立訓練を受けてきました


            佐々木 優至

 ぼくは、2013年11月3日から9日までの一週間、島根の「あさひ訓練センタ
ー」に自立訓練を受けに行ってきました。そこでは、パソコンの訓練や一人でふろに
入って体を洗ったり、洗濯して、それを乾す練習などをしました。

 はじめは、一人で訓練を受けるのが不安でしたが、その日の訓練を終えた時は、「
今日も1日訓練をやりとげた」という達成感がありました。

 またぼくは、センターにある自販機にいつも飲物を買いに行っておりました。これ
も訓練の一つです。

 ぼくは、六泊七日の間に料理といってもゆで卵だけですが、できるようになりまし
た。

 センターに行った最初の日は、部屋を覚える訓練でした。迷子になって大変でした
が、やっと部屋の位置はわかるようになりました。

4日目の水曜日に頭が痛くなり、帰りたくなりましたが、ぐっとこらえているうち
に痛みはおさまってきました。その日は、洗濯物を物干し竿からはずして、たたむ訓
練をしました。

 食事は大変多くてありがたかったですが、なかなか全部は食べきれませんでした。

 ぼくは、今回訓練を受けてみて、なんでもしてくれていた親の気持がよくわかりま
した。また来年も訓練を受けに行きたいと思っています。



* 会員の佐々木優至さんは、昨年12月17日、病気のため急逝されました。原稿
をいただきましたが、前号の印刷が終わっておりましたので掲載できませんでした。
大変申し訳なく思っております。ご冥福をお祈りしますと共に追悼の意味もこめてこ
こに掲載させていただきます。

§視覚障害を持ちながら音楽の道に進んだ娘のこと


   上田 マリ子

 立春も過ぎ梅の季節となりました。

守る会の先生方をはじめ会員の皆様方にはいつもお世話になり有難うございます。

 さてこの度は私達の次女喬子の事についてお話しさせていただきます。

 生まれた次の日に眼の異常が見つかり一ヶ月後に両眼の手術をしました。術後も症
状はよくならず、三ヶ月後に奈良の病院で同様の手術を受けた結果よくなり、それか
ら幼稚園、小学校と普通校で過ごしました。

 しかし、小学四年生の秋にまた病状が悪化し、次は京都の病院で手術しましたが、
病状は一進一退のまま小学校卒業までを過ごしました。

 中学校をどうするかという時、眼科医の先生ともご相談の上高知盲学校に決めまし
た。

 盲学校入学後は、一からの点字習得に加え学年相当の勉強、白杖を使っての歩行訓
練、生活訓練と初めての事ばかりで、学校の先生方には本当にお世話になりました。
今でも感謝の念でいっぱいです。

 それからというもの、光を失っていこうとしている子どもを前にこれから先どうす
ればいいのか思い悩む日々でした。そんな状況の中、盲学校の素晴らしい先輩方のお
話を聞かせていただいたり、お母様方と交流をさせていただく事により、視覚障害に
関する情報等を知る事ができ、勉強させていただきました。

 転機は、娘が中学三年になって高校は東京の学校へ行くと言い出し、それからは受
験まで大変でした。高校の音楽科を受けるという事で、ピアノは小さい頃からしてた
のですが、点字の楽譜をどうすればいいのか本当に困りました。

その時点字図書館に行って事情を説明すると、担当の先生がすぐに楽譜を探し出して
下さり本当にありがたかったです。そこで又、点字図書館の役割の大きさを学ばせて
いただきました。

 中学校卒業後は上京し本人希望の高校に入学し専攻科まで進み、音楽をみっちり学
んで音楽大学へと進学しました。音楽大学卒業後、現在は東京で働きながら好きな音
楽も続けている様です。

 しかし、中途失明した娘がここまで来るには幾多の困難もありました。その一つ一
つを乗り越えてこられたのは高知盲学校の先生をはじめ、高校、大学の先生、また多
くの皆様のご支援のおかげだといつも心より感謝致しております。娘にとってこれか
ら先も山あり谷ありだと思いますが、しっかり前を向いて自分の道を進んで行ってほ
しいと願っております。

§私の歩んだ道


              横田 征一

 こんにちは横田です。よろしくお願いします。

昨年11月から都合あり大阪府から高知市にお世話になっています。

と言っても私はもともと高知市出身です。50年ぶりの高知です。

高校を卒業後、大阪道修町(どしょうまち)の薬品関係の会社、4年後。某大学の理
学部化学科で実験指導などを職務として30数年勤め、定年後アルバイトで数か所勤め
ました。

先ほども申し上げましたが、半世紀ぶりの高知ですので随分いろいろな面で変化して
、例えば町名などは知らない処も多々あります。言葉も土佐弁より大阪弁が多くでま
す。しかし、土佐弁はすぐ慣れました。

小学校ごろから近視メガネをかけ二十歳過ぎに緑内障を患い40過ぎで白内障手術後
に数年で眼球(右眼)摘出ということになり非常に家族には迷惑かけました。

いろんな方々のご支援でここまで来ました。

大阪では視力障害者の会などで私以上に不自由な方が社会を明るく生活と権利を守る
ために活躍されています。

私もみなさんとご一緒に一歩でも前進しようと思っています。



(追伸)

大阪では国保料(税)は障害者減免がありましたが、高知市は減免制度自身が廃止さ
れたようです。なぜでしょう。困っています。

§ちょっと ひとこと


食道癌になったのは、やはりアルコールのせいか?

               有光 勲

 年末から年始にかけて皆さん十分に酒を楽しまれたことと思う。「私の医療体験」
コーナーの第1回で私が食道癌の宣告を受けた話をした。その時にも書いたが、食道
癌は癌の中でも大変におそろしい。転移しやすいし、外科手術はおおがかりなものと
なる。それでも治ればいいが、きわめて再発しやすい。私は、幸い極早期であったの
で、内視鏡手術ですんだ。もう10年もたつから完治している。

 ところで、全く他人事、例の「白い巨塔」に出てくる話で、私には全く無縁のもの
と思っていた食道癌。なぜそれにかかったのか?喫煙歴は無いし、熱いものや塩から
いものをやたらに食べる訳でもない。「そうか、やはり酒のせいか!」 酒を飲んで
顔が赤くなったり二日酔いの症状が出るのは、アルコール(エチルアルコール)の中
間代謝産物であるアセトアルデヒドによるものである。このアセトアルデヒドは、肝
臓やその他の細胞にあるアルデヒド脱水素酵素によって分解される。このアセトアル
デヒドが食道癌の有力な原因になるという。私もそうであるが、酒を飲んですぐに顔
が赤くなる人は、このアセトアルデヒドを分解する酵素が生れつき少ないのである。
日本人の二人に一人はこのような体質であるといわれている。酒に強いか弱いかは、
このアセトアルデヒドを分解する酵素が多いか少ないかによるものである。毎日のよ
うに酒を飲んでいるうちに段々強くなると思われがちであるが、それは違う。酒に慣
れてきただけであって、体質は変わらないので、アセトアルデヒドによる悪影響は避
けられない。

 私は決して酒に強い方ではない。グラス一杯のビールですぐに顔が赤くなる。しか
し、酒は大変に好きである。毎日の晩酌をやめてしまったのでは何の楽しみもない。
いうまでもないが飲みすぎには気をつけなければならない。私は、毎年食道と胃の内
視鏡検査を受けている。

 アルコールには、いろいろな種類がある。酒に入っているのは、エチルアルコール
である。昭和30年代から40年代にかけて、高知盲学校に元軍人の中途失明者が何
人かいた。メチルアルコールの中毒によるものである。「目が散るからメチルアルコ
ールだ」などといっていた。軍隊で酒が飲みたくなった軍人が燃料用のメチルアルコ
ールをこっそり持ち出して飲んだという。飲みすぎて死んだ人もいたらしい。

 では、なぜメチルアルコールがいけないのか。前述のように酒に入っているエチル
アルコールは、中間代謝産物としてアセトアルデヒドができるが、メチルアルコール
は、毒性が強く消毒に用いられるホルムアルデヒド(ホルマリン)ができるからであ
る。盲学校理療科出身の人は、解剖見学に行ったと思うが、あの遺体の保存に用いら
れているのがホルマリンである。あんなものが体の中にできたのではひとたまりもな
い。物事を知らないということほどおそろしいことはない。もし軍人がどんなに酒に
飢えたとしてもこのようなことを知っていたら決してメチルアルコールを飲むような
ことはしなかったであろう。

§編集後記


 前回の総会で、編集部の予算が2万円減となり、そのかわりこれまで年6回発行し
ていたこの「みちしるべ」は年4回でいいということになりました。今年度は、この
232号で4回になりますが、できれば4月か5月ごろに233号を出したいと考え
ております。

 会の機関誌ですから、活動報告が中心とならざるを得ませんが、皆様からの近況報
告などお寄せいただけますと助かります。

 ちょっと遅くなりましたが、本年もどうかよろしくお願い致します。



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