みちしるべ
第246号

目次(文書内リンク)
§ 第51回守る会総会(2017年度)報告  生田 行信
§「全視協神奈川大会」の報告  井上 芳史
§ 神奈川大会に行った時の感想  島村 佳之
§「高知県立坂本龍馬記念館」リニューアルと新館建設についての話し合い  正岡 光雄
§ 視覚障害入所施設は、就労施設など立体的に  藤原 義朗
§ ご報告とお礼  有光 勲
§ 知らなかったばっかりに、えらい目に遭いました!「皆さんも気をつけてくださいね」  畠山 俊惠
§ 私の友人浜ちゃんのこと  カフェバーSAMASAMA 店主 井倉俊一郎
§ 川柳、わが師、わが友  小澤 幸泉
§ 盲学校と私  小島 真子
§ なぜ「サードプレイス すろー」なのか  高橋 英美
§ ちょっと一言 〜糖質制限はよし、糖質ゼロは命取り!〜  有光 勲
§編集後記

§ 第51回守る会総会(2017年度)報告


生田 行信
 6月25日(日)、高知市障害者福祉センターにおいて、あいにくの雨降りの中でし
たが、正会員35名、賛助会員5名の参加で今年度の守る会総会が行われました。開会
にあたって井上会長から、「今年で第51回の総会、50の節目を超え守る会にとって新
しいスタートともなる。国会では安倍政権が共謀罪を強引に通すなど、戦争をする国
づくりの動きが進められている。そんな中、私たちはこの総会で福祉の向上に向けて
活発な議論をしたい。」とあいさつがありました。開会セレモニーは永田青年学生部
長の進行で進められ、3人の新入会員の紹介がありました。岡本悦子さん、竹崎寛朗
さん、そして当日自己紹介をしてくれた重栖祐介さんです。
 議事に入るに当たって、出席者35人、委任18人で会員64人に対し過半数で、総会の
成立が確認されました。議長には、中平晃さん、選管には津野一美さんと生田理香さ
んが指名され、拍手で承認されました。今年は役員改選の年であり、選管から会長1
名、副会長2名の立候補、推薦を受け付けるので、議事終了までに申し出てほしいと
の公示がありました。
 議事は、まず2016年度活動報告が各担当部長から、会計報告を山負計部長、監査
報告が北村みずほさんから、2017年度の活動方針(案)が一括して井上会長から、同
予算案が山負計部長から行われ、活発な議論の後、拍手で承認されました。
 質疑の概要は以下のとおりです。

・長く会長を務められた片岡慈仲さんへの哀悼の気持ちを込めて追悼文集を作った。
心のこもった文章が寄せられ、色々な方から良いことをされたと感想を頂いている。
田中徹二さん(日本点字図書館理事長、日本盲人エスペラント協会会長)からも丁重
なお礼の手紙を頂き、5月28日号の点字毎日にもこの文集のことを書いてくださって
いる。
・社協の補助事業で帯屋町の点字ガイドマップを作ることになった。1年間はかかる
ので来年の今頃には仕上がるようがんばりたい。地震災害の際の避難所運営ゲームに
ついても事業に取り上げてもらった。改善を重ねて出前講習も積極的に行っていきたい。


 夏の自治体交渉に向け、総会の場で出された要求のいくつかを紹介します。詳しく
は高知県、高知市に提出される正式な要求書を参照してください。
「街づくり」
●点字ブロック
・新図書館が追手筋にできたら、帯屋町や大橋通アーケードはますます大事なルート
になる。帯屋町アーケードのスタバ前の図書館へのルート入り口に誘導チャイムが鳴
っているが、そこまでは視覚障害者が行ける点ブロックやエスコートゾーンなどは付
けられていない。ルートの繋がりの意味でも要求してほしい。「アーケード内の通路
は車道だから敷設できない」との回答が続いているが、エスコートゾーンの要望や、
地元商店街と話を持つなどの取組を考えたい。点字ガイドマップづくりとも関連する
ことである。
●歩車分離式信号機
・歩車分離信号において東西と南北の音響時間が異なることが多いので、その区別が
わかりやすいように音声で通知してほしい。
●横断歩道
・横断歩道の白色が薄くなっているところが多い。歩行の際に見分けにくいので、塗
り直してくっきりとしてほしい。
●公共交通
・JRは100キロ未満・単独だと障害者割引がない。電車やバス並みに半額割引をし
てほしい。
・安全地帯のない電停での降車の際に、使ってない方の出口がより安全なら、そちら
から降りられるようにしてほしい。

「日常生活用具」
●情報機器
・パソコン関係の補助は、限度額が高知市では2年間で20万円だと聞いている。南国
市では5年間で10万円なので、高知市なみにしてほしい。高知市は昨年の4月から耐
用年数がソフトは6年から2年に変わり、品目による10万円と20万円の区別がなくな
り、限度額は全体で20万円に一本化されています。

 選管の津野さんから、会長に井上芳史さん、副会長に正岡光雄さんと藤原義朗さん
の推薦があったことが報告され、拍手で承認されました。
 続いて井上会長から各役員候補が以下のように発表され、拍手で承認されました。
事務局長 井上芳史
事務局次長 生田行信
あはき対策部長 浜口誠一
学習部長 藤原義朗
自治体等対策部長 正岡光雄
編集部長 有光勲
機関誌部長 生田行信
財政部長 山葡C雄
レク部長 大野俊一
青学部長 永田征太郎
組織部長 井上芳史
監査委員 北村みずほ、大黒妙

 医療的なケアが日常的に必要な子ども達の放課後等デイサービスを立ち上げようと
している会員の山崎理恵さんを応援している親の会を代表して吉岡さんから、総会参
加者から寄せられた募金額29,910円が伝えられ、あらためて応援の拍手が沸き起こり
ました。
 片岡幸子さんからは、夫であり前会長である片岡慈仲さんの逝去に際しての皆さん
からのご厚意や、今回の追悼文集づくりに対し、お礼の言葉が述べられました。
 最後に正岡副会長から閉会にあたっての挨拶がありました。「守る会も設立から50
年を超え、今日の総会もこんなに多くの人が集まる大きな会に育ち感慨深い。私も引
退を考えねばならない年齢になったが、有光副会長に先を超されたのであと1期頑張
りたいと思う。」と長年ともに副会長を務められたことへの慰労と感謝の気持ちが、
正岡副会長らしい言い回しで表されました。新たに副会長に就任した藤原さんには、
「学習部長や全視協理事として活躍している。守る会副会長としてもさらに盛り上げ
ていってほしい。」と激励の言葉がありました。
 総会に引き続いて開かれた懇親会は、28名の参加で和やかに交流が行われました。

§「全視協神奈川大会」の報告


             井上 芳史
 5月26、27日は全視協社員(代議員)総会、27、28日は全国交流集会が湯
河原(静岡)で行われました。高知からは代議員として井上・島村さん、理事の藤原
さんが2泊3日、徳島の山本さんが1泊2日で参加しました。
 社員総会について報告します。
1.一丸となって取り組む要求
 @継続で65歳以上の視覚障害者が必要な福祉・介護が受けられない実態を改善し
ます。
 A継続で視覚障害者の職域優先を定めたあはき法19条を堅持し、「全国は一つ」
「視覚障害者一つ」になって、19条裁判で勝利します。
 B継続で職場介助者制度の事務職と非事務職との差異を解消し、介助業務に車の運
転など視覚障害者の雇用に必要な業務を認めさせます。
 C継続で視力障害等級を、「よい方の視力で認定する」方向を確実なものとし、新
たな認定基準において後退することのないようにさせます。
 D継続で視覚障害者の意思表明手段としてのサイン、その他の方法を確立し、契約
において差別しないようにさせます。
 E新たに可動柵のホームを飛躍的に増やし、駅職員が見守る、安全で安心して利用
できる駅を求めます。
2.高知の藤原さんが中心に起案した「福祉の提言」は継続審議となりました。
社員総会・全国委員会など広島の組織が出席されていない事が気になります。

§ 神奈川大会に行った時の感想


               島村 佳之
 な、なんと、羽田は広いなぁ!
 26日早朝、湯河原に向け高知を立った。最初は東京の羽田である。空港には2000
メートルを超える、滑走路が数本あるということで、まっことてこにあわん。
 それから品川行の電車に乗るのだが、エレベーター、階段、商店街ありで品川行の
JRに乗るのは難義した。途中で羽田のサポーターがJRのサポーターと交代し、J
Rのサポーターは京急のサポーターと交代するということがあったからである。品川
から湯河原までは京急で行った。「踊り子」で移動。ここでも、駅員のサポートで電
車には乗れたが、ホームで,電車を待つ間に思ったことは、ホームには点字ブロック
が多すぎやしないかな?
JR側にとってみれば、ホーム事故を防ぎたいという一心からであろうが、親切心で
あろうが、親切も過ぎれば不親切ではなかろうか?    
 やっと湯河原に到着した。駅構内では「全視協の皆様 ようこそ湯河原ヘ」とアナ
ウンスがあった。あとで分かったのだが、これは執行部のアイデアということだった

 これから28日まで、総会、学習会、交流会と続く。 総会では、皆さんの質疑応
答に最後まで圧倒されっぱなしでいた。学習会、交流会ともに盛況であった。山城理
事が、がんのため休んでいた。病院嫌いの彼が、自ら病院に行くと即入院となったそ
うである。尼崎から来た女性の言うことには、ネットリーダーが支給対象になってい
ないとのこと。地域によって差があるんだなと感じた。食事の時には、ホテルの人が
皿やコップの位置を時計回りに説明してくれたのが、とてもうれしかっ た。日曜日
の昼過ぎに全視協の車で駅まで送ってもらい、帰途に就いた。     

§「高知県立坂本龍馬記念館」リニューアルと新館建設についての話し合い


             正岡 光雄
第1ラウンド  話し合い(1)
 龍馬記念館は桂浜にあり、その隣に新館を建てることであった。
 6月29日に各障碍者団体が小高坂更生センターに集まり「記念館」からの説明を
受けた。その中で「新館と旧館との間の通路に点字ブロックの予定がない」、「トイ
レの非常ボタンに点字表示がない」、「トイレの流すボタンにも点字表示が用意され
ていない」ことなどが明らかになった。  
其の後、各団体から口々に要求が出された。
○動線について
・館の入口がチャイムなど音でわかるようにしてほしい。(入口と出口が異なるため
重要)
・新館と既存館を繋ぐ渡り廊下にも点字ブロックが必要である。
・気分が悪くなった際の抜け道はあるか。
○トイレについて
・ 新館にトイレが1か所しかないのは不便。
・トイレの位置が音でわかるようにしてほしい。
・新館の車いすトイレは1か所しかないが、男女トイレのブースを広くすることで、
車いす利用者も使用できるようにできないか。
・トイレの水を流すボタンと非常用ボタンを間違えないよう点字表示をしてほしい。
○サインについて
・サインに点字表示をしてほしい。
・案内やイベント告知等、色覚異常の方に配慮した配色としてほしい。
・視覚障害者用のトイレのサインを国際基準である女性○、男性△、車いす□の表示
としてほしい。(点字付き)
・トイレのサインについて、男女の区別をわかりやすくしてほしい。
・順路がわかるようサインに矢印をつけてほしい。
・多目的トイレにオストメイトの表示をしてほしい。
・総合案内サインに触地図を設置してほしい。
・トイレ内の配置がわかるようにトイレ入口に内部の触地図を設置してほしい。
○展示について
・展示の音声解説に字幕をつけてほしい。
・展示の音声解説に手話をつけてほしい。
・スマホやタブレットを使用する音声解説は、1台を2人で聞くことができるイヤホ
ンを導入してほしい。
・スマホやタブレットを使用する音声解説において、次の解説へ進むボタンがわから
ないので、わかる方法を検討してほしい。
○その他
・エレベーターは音声ガイド付きにしてほしい。
・弱視の方のために、点字ブロックが映える床材にしてほしい。床材とのコントラス
トが必要である。
・同様に階段の段鼻と踏面にコントラストをつけてほしい。
・ 緊急時、聴覚障害者が異常を察知できるよう、光での誘導や電光掲示板での表示
等をしてほしい。
・受付のテーブルは、車いす利用者が使いやすいよう、低い部分も設けてほしい。
・エレベーターが動かなくなった際に聴覚障害者が状況を確認できるようにしてほし
い。東京ではモニターで確認できるようになるものもある。
・どこに手すりがつくのか具体的な位置を知りたい。
・障害者への対応についての研修会を館の職員に対して実施するなど、ソフト面での
対応も検討してほしい。
・サインを設置する前に設置場所や大きさを確認したい。
・バリアフリー図面に記載のある扉や通路の寸法、引戸・開戸の別について具体的な
内容を知りたい。
意見のやり取りの後各担当が持ち帰り検討することになった。

第2ラウンド  話し合い(2)
 後日要望により本会との詰めた話し合いが持たれることになった。7月6日(木曜)
県長地下会議室、4時からであった。
○点字ブロックについて
・記念館新旧館の間の通路の点字ブロックは実現しますか?
回答:「通路は実現します」
・バス停から記念館まで訳200mもありそこまでの経路に点字ブロックの敷設をお
願いします。
回答:「バス会社に対して、記念館前での停車をお願いしているところです。今のと
ころ反対意見はありませんから、多分実現することになると思います。」
○展示物の音声案内について
・展示されているものの音声案内についてはどのように考えていますか?
回答:「スマホあるいはタブレット端末でボタンを押して聴取できるようにしたいと
思って居ります。」
・展示物の前で該当の音声を流すようにボタンを押すのは非常に困難だと思われます
。それに加えてのガイドのサポートを付けていただいて説明も行なっていただきたい
と思いますが。 
回答:「ガイドのことは考えております。今ボランティアの訓練を行っているところ
です。
・他館の状況も踏まえつつ対応は慎重に検討して下さい。ところで、展示物は竜馬の
手紙などで今のところ触れるものは少ないと思いますが、展示物の真ん前には点字で
の表示もお願いします。
回答:「展示物の手紙は長いものもあります。ご意見はよくわかりました。」
○トイレについて
・入口の案内表示は先日提案のあった、男性は△、女性は○、車いすは□という風に
お願いします。非常呼び出し用ボタン、流すところを記すボタンにはそれぞれ点字表
示をお願いします。トイレのある場所がわかるように国も推進している、「川の流れ
の音」をお願いします。
回答:「非常呼び出しボタンは外国の方を想定して迷う方も多いと思われるので、紐
を引っ張るものを使いたいと思っている。そして、流す表示についてはボタン式とし
たいと思う」
・決定した後での正式解答は何時ごろになりますか?
回答:「一度には長い時間が係りますので一つ一つ決定のたびごとにお知らせしたい
と思っております」
以上45分ぐらいで説明会は終りました。
 観光地なので私たちはあまり行くことはないかもしれませんが、このバリアフリー
化が県下の基準になると思われるので大いに関心を持ちたいものである。

§ 視覚障害入所施設は、就労施設など立体的に


              藤原 義朗
 7月2日(日)、13名の参加で「視覚障害者と老人ホーム」と題して、いわゆる
「老活」といわれる老人ホームに関する学習会を開催した。
藤原の話したかった点を箇条書きに記します。
1.「老人ホームはみな同じ」と言う人もいるけれど、法的に見て、いろいろ長所や
短所がある。
2.一般の養護老人ホームと盲養護を比べると、措置される金が高知で月約8万円、
盲が高い。それだけ、視覚障害者のお世話の人件費がかかるということ。
3.各市町村とも盲養護に措置すると市町村の措置負担が高くなりさぼっている自治
体があること。もっと措置させるよう押しが必要。
4.収入がありすぎて、盲養護に措置されない視覚障害者が心配。措置対象を広げる
か、他の対策がいる。
5.札幌では聴覚専門サービス付き高齢者住宅、京阪神では、盲専門、聴覚専門、そ
して盲ろう専門グループホームが立ち上がっている。それらをみると、障害専門の就
労継続施設、ホームヘルパーステーション、デイサービスセンターを併設している。
6.県外に施設巡りにいきましょう。

§ ご報告とお礼


              有光 勲
 今年の3月、賛助会員の徳永邦弘さんから突然多額のご寄付が送られてきました。
驚いてお聞きしましたところ、「編集部で使ってほしい」とのことでした。編集部だ
けでは判断がつきませんので、守る会の役員会で検討しました。その結果、私の提案
で、プラスティック・リング製本機を購入することにしました。
 「みちしるべ」のような、ページ数の少ないものは、ホッチキスでとじておりまし
たが、たとえば以前に発行しました「守る会50周念誌」のような分厚いものは、リ
ングとじにしなければいけません。そのような時には、点字図書館から製本機を借り
てきておりました。その機械は手動式ですので、点字用紙に穴をあける時は、それを
4、5枚セットしてハンドルをぐいっと押し下げます。少しならいいのですが、何千
枚、何万枚ものパンチとなりますと、けっこう重労働でした。
 今回徳永さんからいただきましたものは、電動式パンチになっていますので、用紙
をセットしてボタンを押すだけです。何の労力もいりません。
 この機械は、点字印刷所の2階に置いてあります。それには、「2017年3月徳
永邦弘さんより寄贈」と点字と普通字で書いたシールをはってあります。
 徳永さん、ありがとうございました。末永く大切に使わせていただきます。

§ 知らなかったばっかりに、えらい目に遭いました! 「皆さんも気をつけてくださいね」


             畠山 俊惠
 これは、昨年の7月頃守る会のメーリングに流したものですが、「是非みちしるべ
にも」という声がありましたので、今回掲載させていただきます。
 私はどうしてもスマホになじめず、今もドコモのらくらくホンを愛用しています。
毎月の利用料は4千円足らずですが、昨年6月の請求分(利用期間5月)はなんと14
904円引き落としますという通知がきたのです。そのうち、パケット通信料が10879円
もかかっていました。
 私は携帯ではiモードのメールしかしていないので、これはいったいどういうこと
なのか。何かの間違いではないだろうかと思い、「ドコモインフォメーションセンタ
ー」に問い合わせてみました。「間違いではありません。確かにお客様が利用したと
いう記録が残っています。スマホやアイホンの人から送られた写真を1枚受信するだ
けで3500円程かかりますよ。」と言われ、私は愕然としました。
 そこで、5月の受信メールの履歴を1件1件チェックしましたが、不審なメールは
ありませんでした。
 もう一度ドコモに電話をかけて詳しく聞いてみました。「スマホは画面も大きいし
、画質もかなりいいので、ガラ携からスマホの人に写真を1枚送ると、相手の機種に
もよりますが、2200円程かかります。」と言われ、「え?そんなに?」と本当に驚き
ました。ガラ携同士なら写真を送っても大した金額ではなかったはずです。
 昨年の5月15日に女性部の日帰り旅行で岡山に行ったとき、RSKバラ園で満開
のバラの写真を何枚か撮ってもらいました。全盲の中には、「写真など全く興味がな
い!」と言う人もいます。私も自分が写真を見るわけではありませんが、どこかへ行
ったという記念と思い出に、行く先々で写真を撮ってもらって保存しています。その
バラの写真をスマホの人二人にあわせて6枚送ったことを思い出しました。その料金
だったのです。そんなに料金がかかるとはもちろん知りませんので、ガラ携同士の時
の感覚でつい送ってしまったのです。「ああもったいない!写真を現像して渡したら
、1枚何十円かですんでいたのに。」と思うと、悔やんでも悔やみ切れません。
 今はみんな写真もラインでやりとりするので、基本無料ということです。それでな
くても、プランをパケ放題にしていれば一定の金額以上はかかりません。私も以前は
パケ放題にしていましたが、2千円で「電話をかけ放題」というプランができてから
そちらを申し込んだので、同時にパケ放題を付けることはできないとのことでした。
 視覚障害者はそのかけ放題にしている人が多いので、メールで写真のやりとりは禁
物です。送られた方も1枚受信するだけで3500円程かかるそうですので、皆さん気を
つけてくださいね。

§ 私の友人浜ちゃんのこと


         カフェバーSAMASAMA  店主 井倉俊一郎
 私は今年で満66歳、東京から高知に引き上げて24年、高知にあるホテルを退職
して自営業に転じたのが1995年ホテルに勤めていた仲間とトップワン四国1階に
チョイスが楽しいフレンチレストラン九反田亭をオープン、そのあと帯屋町川村ビル
3階、4階にてビストロピコンを開店、1998年にフレンチレストラン経営から手
を引き、55番街にエスニックバーバリムーンを開店する。
その開店年に浜ちゃんこと濱口先生が杖をついて来店してくれました。来店してすぐ
に店の棚にあるテレビ受像機に向かい番組の話題を述べる浜ちゃん。私あれ見えるの
かと思い「そーね」と、番組の話題に相槌をうってました。とにかく浜ちゃんは博識
で話題は豊富。その頃の55番街バリムーンのお客は一過言持った一癖二癖ある議論
好き、世間でいう変りもん、個性派の客が多く来店していました。その中でも浜ちゃ
んは誰とも対等いやそれ以上に会話ができる論客でありました。
開店してしばらくたったある日、浜ちゃんは沖縄の泡盛の瓶を担いできて「これを貸
しちょくき飲んでや。ただし古酒やき45度以上の泡盛を補充してよ」と言われまし
た。その瓶は55番街バリムーンから九反田バリムーン、そしてサマサマへと今もカ
ウンターに鎮座しています。
浜ちゃんともう一人仲良しのU君がバリムーンのスピリッツをグィグィとあける酒豪
両巨頭でした。私も1.5流ホテルのバーテンダーの経験があり、世界の蒸留酒はほ
とんど飲んでいると自負していましたが、この二人の酒についての知識、飲みっぷり
はお客の中でトップワンツーでした。(U君は今はあまり飲めなくなったようです)
浜ちゃんの沖縄での武勇伝も酒の肴としてよく聞かされました。私もそのころは40
代から50代入口まだまだいける口でした。あまりにも浜ちゃんの沖縄ばなしが面白
いもので、ある日私の誕生日にJALの航空券が安くなるので浜ちゃんと私、連れ合
い3名で確か2泊3日の沖縄の旅をしました。浜ちゃんの沖縄人脈と夜の観光案内、
もちろん昼間もよかったけど沖縄酒場巡りは沖縄在住13年のキャリアによる情報力
と行動力に感服しました。ウチナンチューの知人の多さ、沖縄での夜半の行動を知る
につれ浜ちゃんがいかに沖縄で励んでいたかがよくわかった旅でした。おかげで楽し
い沖縄の旅ができました。
浜ちゃんとは55番街時代、店が終わりあちこちにも飲みに行きました。ある時は私
が酔いつぶれ浜ちゃんの肩に手を添えてエスコートされ帰宅することもありました。
55番街バリムーンは1階がカウンター8席で、そこでは夜な夜な個性派が座り、喧
々諤々、飲みかつ議論を楽しむ酒場として賑わっていました。
ある日某国立大学の教授がカウンターに座り浜ちゃんが横に座っていました。教授の
クラシック音楽に関するうんちくに浜ちゃんはじっと聞き耳を立てていて、ここぞと
思う瞬間、的確なクラシック音楽に関する話題を教授に投げかけました。教授もこの
盲人只者ではないと感じたのかそれからは教授の方からいろいろと話され意気投合し
たようでした。ところがここから触れてはいけない出来事に浜ちゃんが触れたことに
より教授の顔が一瞬こわばりました。が、そこは大人の対応その日は何事もなくお帰
りになりました。しかしその後その教授はバリムーンには現れませんでした。
九反田バリムーンにお店が移っても浜ちゃんは良く来店してくれてました。2階で音
楽やらテーマを決めた講座を開講したりしていました、このころから頻繁にイベント
をやるようになり浜ちゃんからもいろいろ貴重なアドバイスを頂いています。
九反田バリムーンには忠さんこと片岡慈忠さんも隣の高知福祉専門学校の帰りにカレ
ーを食べに来てくれてました。時々夜お見えになった時は泡盛古酒と豆腐ようを美味
しそうに召し上がっていたことを思い出します。バングラデシュ出身のロイ君を卒業
するまで面倒を見られエスペラント語の世界大会にもお出かけになり温厚なお人柄で
、そこは浜ちゃんとはキャラクターがまったく違う人格者で在られたと思います。
私も齢60代後半に近づき元気で老後を送りたいと希望してはいますが、人間だれし
もお迎えが来ますピンピンコロリが理想ですが、足目耳に衰えが来るのも近い将来の
ことでしょう。私は浜ちゃんとお付き合いさせていただき感じていることは、ハンデ
ィを克服するための努力を惜しまない姿、実行力、私共は健常者だからこその甘え、
いつかは身体に障害が出てくることを肝に銘じ生きてゆかねばと思っています。ハン
ディキャップを背負ってる先輩である人々と共生していく世の中、また片岡慈忠さん
が行われていたエスペラント語を世界の共通用語として世界の人々と触れ合える時代
でもあります。私は今、守る会の賛助会員であり、またアジアの人たちとの共生社会
の必要性を感じ、7年前からインドネシアから日本で看護師の資格を取得するため日
夜勉学に励んでいる彼女たちをサポートする高知式看護師育成事業として立ち上げに
かかわった「認定NPO法人高知インドネシア看護師サポート会」の理事をしていま
す。
そしていま取り組んでいることは首都圏から少子高齢化最先端の高知県に元気なシニ
ア世代を呼び込む事業「高知版CCRC」の実現です。CCRC (continuting care
retirement communitityの略)の意味は、シニア世代が地方に移り住み社会活動等
に積極的に参加し健康な時から介護・医療が必要となる時期まで持続的なケアが受け
られる共同体です。その事務所として昨年カフェバーSAMASAMA内に「高知九反田CC
RCセンター」を開設しました。メンバーは現在3名が所属しています。この「高知
九反田CCRCセンター」から、経験豊富なシニア世代の知恵と行動力財力のあるシ
ニア世代を首都圏から高知に呼び込み、守る会の人たちアジアの人たちと共に過ごせ
る世の中になることを望みます。
これからも身の丈に合った平均的な日本人の感覚で浜ちゃんそして守る会の皆様とお
付き合いする所存でございます。どうぞよろしくお願いいたします。 

§ 川柳、わが師、わが友


             小澤 幸泉
 「川柳とは人間である」(椙本紋太 ふぁうすと川柳社)、「川柳とは人間陶冶の
詩である」(川柳塔社)、二人の大先輩柳友の言葉に支えられ、これを糧として三十
数年が過ぎました。きっかけを与えて下さったのは、職場の同僚、樫谷桂緑さんです

当時の私は職場での人間関係で苦しめられ、生徒達からも遠ざけられ、毎朝出勤して
「寮母日誌」に印を押すだけの日々でした。心身ともに打ちのめされ落ち込む毎日が
続いていました。
 「句会(川柳)にいらっしゃいませんか」
樫谷さんのやさしい声かけに誘われて、初めて出席させていただきました。末席に小
さくなって座っている私に、話しかけて下さった嵐舟さん、朱坊さん、松風さん、竹
萌さん、菊野さん、もう故人になられました。選者の横山青果さんは、全没句を一句
ずつ拾い上げて、ていねいに心を込めてコメントをして下さいました。その時の感動
を忘れることができません。それから、誘われるままに、「高知川柳」「ふぁうすと
川柳」「さっぽろ川柳」「川柳塔」各同人に推薦され、今も続いています。その間、
地域句会(漣会、宿毛川柳会、若鮎会)や県内外の大会にも出席し、指導・交誼を深
めています。職場での状況は相変わらずでしたが、同伴者(大学の後輩)そして川柳
(柳友)に支えられ、何とか定年(そしてなお一年)まで勤め上げることができまし
た。刈谷たかしさん、中西一歩さん、横山白水さんなど数えきれない柳友たちの名前
と顔が次々と浮かんできます。
 二十年前に、大阪の柳友たちと、「あかつき川柳会」を発足させました。“暁を抱
いて闇にいる蕾 鶴彬”目的は、「鶴彬をはじめ、先覚川柳人の反戦平和と社会風刺
の精神を現代に生かす」ことであります。
 八年前から、「宅老所たんぽぽ大津」で、川柳句会(教室)を毎月二回、おこなっ
ています。出席者は十名足らずですが、毎回出席されています。全員が独り暮らし、
年齢は最高が九十六歳、そして八十代、七十代後半です。「誰とも話すことのない毎
日ですが、“句会”に出席し、思い切り食事をしながら、話せないことも言え、元気
をもらえる」と言います。そんな柳友たちに毎回、励まされています。
 昨年の一月、ふぁうすと川柳社の赤井花城主幹より、ごていねいな案内状をいただ
きました。「貴方は平成二十八年度の永年功労者(同人三十年)表彰を受けられるこ
とになりました。お祝い申し上げます。長年同人としてご活躍され、また「ふぁうと
川柳社」のため、多大なご尽力をいただき、厚くお礼申し上げます。なお、四月十日
、兵庫県民会館にて、表彰式を行いますので、是非ご出席を賜りたいと存じます」
 また、生前、永きにわたってご指導、ご厚誼いただきました斉藤大雄(札幌川柳社
主幹)さんの著書『せんりゅう養生訓、百歳力をつける(川柳で笑って泣いて脳を活
性化!百歳川柳力)健康にまつわる川柳エッセーで百歳まで生き抜く)』を、後期高
齢者の私、そして若い川柳の仲間たち(柳友)と学びあっています。
 三月には、帆傘川柳会の小笠原望会長(四万十川、赤鉄橋すぐそば、医療法人鬨の
会大野内科院長“何でも話せる診療室”)より、同人推薦決定のご通知をいただきま
した。またまた川柳(川友)たちにしっかりと取り囲まれてしまっています。
本気になって「百歳までの川柳人生設計を考える」ことにします。これは亡き斉藤大
雄さんとの無言の約束です。
 先日、小笠原登さんから贈られてきた、望さんの近著『診療所の窓辺から―いのち
を抱きしめる、四万十川のほとりにて―』一気に何回も読み返しながら、改めて望さ
んの「あたたかさ」と「ひたむきさ」に感動の涙でいっぱいです。「ひとのいのちも
自然のなかのもの」“いのちばんざい赤ちゃんも百歳も(望)“

§ 盲学校と私


        小島 真子
 退職してからあっという間に20年が過ぎた。その前、退職教員最後の6年間は、盲
学校高等部(普通科)で教えた。聾学校や養護学校の免許は持っていたものの、盲学
校の教育については、知識も経験もまったくないずぶの素人だったけれど、あまり不
安はなかった。どこの学校へ異動しても、そこには高教組の仲間やかつての同僚がい
るものだ。
 中でも、有光さんとは、各校の進路指導部長の会などでよく顔をあわせていたし、
同じ鏡川コーポの住民として、管理組合の民主化や不当な攻撃にあっている管理人さ
んを守る運動で一緒に闘った仲間でもあった。また正岡さんは、同じ旧満州からの引
揚者であり、それぞれの父親が知り合いという関係で以前から名前を知っていた。
 盲学校で一番困ったのは点字だった。50代半ばの頭にとって点字習得はとても困難
で、生徒の答案やレポートは一字一字ふりがなをつけて読んでいたし、触読などまっ
たく歯が立たなかった。
 しかし、何とかしなければならない。それまでワープロしか使ったことがなかった
けれど、パソコンを購入し、ローマ字で打ち込むと点字に変換するソフトを入れても
らって挑戦した。ある日曜日、朝から夜中まで座りっぱなしで、ようやくテスト一枚
分を仕上げた。点字が出る印刷機は学校にしかないので、次の朝はりきって学校へ出
かけたのだが、操作を間違えたのか、あっという間に消えてしまった。
 がっかりして、「もういや!一日がかりで作ったテストが消えた!」と職員室でわ
めいていたら、「何もその年でやらなくても・・・打つのは僕らぁがやっちゃる」と
理療科の先生達から声がかかり、「それじゃお願いネ」と書きなぐった原案を読み上
げては打ってもらって、それからの何年かをしのいだ。
 10代の生徒しか教えたことのなかった私にとって、理療科の生徒達との授業はおも
しろく、単なる知識の伝達だけではなく話し合いや議論を遠慮なくやった。「南京大
虐殺はでっちあげだ」と主張する人を納得させる為に、資料を集め苦労して説明した
こともあった。
 「先生、練習台になってや」「いやだよ。学校で服を脱ぐなんてまっぴら!」「僕
らあ見えんがぜ」等のやりとりを懐かしく思い出す。
 盲学校最後の年が私の退職後の方向を決めた。この年、バングラディシュから高知
盲学校に入学希望者が現れたのである。ダッカ大学の学生さんだったロイさんである
。「日本語はまったく・・・」との事で、寄宿舎などから「安全を守れない」と不安
の声もあったが、検討の末、受け入れがきまった。
 「盲学校は視覚障碍者の為にある。受け入れるのがあたりまえ」と主張していた私
は責任を感じて彼に日本語を教える役を買って出た。しかし、たった1年間、週3時間
の授業ではとうてい間にあわない。そこで、上手な日本語と下手な英語の対訳テープ
を沢山作った。
 ロイさんは頭がいいだけではなく努力家だった。ある朝、舎監で英語の先生でもあ
る福原さんが、ニヤニヤ(にこにこ?)笑いながらやって来て、「寄宿舎では小島先
生の英語が朝に晩に響き渡りゆう」と言う。「え?私の英語が!」はずかしさに顔が
真っ赤になった。それでもロイさんの日本語はぐんぐん上達し、冬休みの宿題では「
わが祖国バングラディシュ」という立派な作文を完成させた。  
 退職したら外国で暮らしてみたいとかねがね思っていたが、どうせ住むのなら日本
語を教えれば現地の人達ともっとかかわれると思い、ニュージーランドやイギリスの
高校と契約して日本語を教えてきた。そのあとは終戦時、旧満州で家族を失い、中国
人に育てられ、ようやく帰って来た、いわゆる残留孤児の人達に日本語を教えていた
が、昨年ようやく自由になり、また海外へ出かけた。
 その間に騒動が起こった。用事で訪ねてきた有光さんが私の長い不在を心配して、
あちこち問い合わせたのだ。「独居老人が死んじょったらいかん思って・・・」と彼
は言うのだが、その後、何人かに「連絡なしに家をあけたらいかん」と言われてしま
った。ともあれ、心配してくれる人がいるというのも心強いことである。有光さん、
これからもよろしく。

§ なぜ「サードプレイス すろー」なのか


             高橋 英美
 貴誌「みちしるべ」に「サードプレイス すろー」の事を紹介させていただく機会
をいただきましてありがとうございます。
 「サードプレイス すろー」は、仕事場でもない、生活の場でもない、街の中の“
あなたの場所”
誰でもが気楽に集まり、ゆったりと過ごせる、小さな小さなカフェです。
 場所は、中央公園西出入り口から、おびさんロードに出て、角から二つ目のビルの
二階です。
「誰でもが」来やすい場所を目指していると言いながら、店は二階でエレベーターも
ないので、車椅子の方は利用していただくことが出来ず申し訳ない思いです。
 次に、なぜサードプレイスかについてお話しさせていただきます。私が「サードプ
レイス」という言葉を初めて知ってのは高知市広報誌あかるいまち2010年6月号、岡
崎市長さんのコラムエッセイでした。このコラムで岡崎市長さんが「第三の場所」と
いう言葉を紹介しています。
 今から約28年前にアメリカの都市社会学者レイ・オルデンバーグが『家でも(フ
ァーストプレイス)職場や学校(セカンドプレイス)でもない一個人としてくつろぐ
ことのできる第三の居場所(サードプレイス)の必要性を提唱しています。
 私は退職前の数年間、養護学校高等部進路担当教員として仕事をしていました。そ
の中で、卒業生の卒業後の生活を見聞きし、地域の中での居場所の必要性を感じてい
ました。このコラムを読んだ時、これだと思いました。
 就労は社会とのかかわりの基礎となりえますが、就労していることだけで、当事者
が生き生きとした社会的存在となりえるわけではありません。
 自分で自分に合った楽しみを見つけられない、選択肢が少ない人。人との出会いの
機会が少なく孤独感を抱いている人。仕事場と生活の場の往復での単調な生活に物足
りなさを感じている人。話し相手や相談をしたくても、どこにいけば良いかわからず
悶々としている人など、地域の中に居場所が見つからず、生きている楽しさや、自己
存在感を見出しにくいなどの生きにくさを抱えている人たちがいます。
 このような状況の中で、離職をしたり、反社会的な行為を繰り返したり、数々のト
ラブルをおこしたりする事例も中にはあります。
 自らの生活の充実と満足につながる就労にこそ意味があり、これを実現していくこ
とが、共に生きる社会を目指す社会全体に課せられた課題ではないでしょうか。
 仕事と余暇は車の両輪だと考えています。選択肢と広がりのある余暇があること、
余暇が充実していることは、就労を支えることにつながると思います。
 「すろー」は「誰でも」気楽に行けるところにしたいと思いました。「あそこは障
害者の行くところ」というイメージを持たれる場所にはしたくありませんでした。お
互い店で居合わせた人同士が、自然にふれあう場としたいと思っています。
「すろー」で行われていることは、「土壌作り」にあたると思います。又聞きの話な
のですが、ある人が南国市のにら農家に行き、立派に育っているにらを見てその農業
者をほめると、その農業者は『にらを育てたのは私ではない。畑の土だ。良い土壌が
丈夫でおいしいにらを育てたのだ。』と言ったそうです。
 いろんな福祉制度ができても、地域社会の中に、支え育てていく「土壌」ができて
いなくては、その制度も理念も、強く根を張って育ちません。
 私たちの社会は、グループ登山をする集団に例えることができると思います。グル
ープの中には当然、体力、脚力に差があります。グループのリーダーは、全体を見つ
つ、一番弱い人に焦点を合わせて登山をリードしていきます。そうでないと遭難する
かもしれないからです。共に「人生という山道」を登る者とし、「遭難しない社会」
を目指す一員でありたいと思うし、「すろー」の場が少しでもその役に立てたらと願
っています。
 いつ沈むかわからないカチカチ山の狸のどろ船のような「サードプレイス すろー
」を、たくさんの方々が応援してくださっています。
 毎日店にスタッフとして交代で入ってくださる応援団「ふらっと」のメンバーやボ
ランティアの方々。家庭菜園で丁寧に栽培された無農薬野菜やお米、店に飾るお花、
その他色々な品物の寄付をしてくださる方々やそれを運んでくださる方。
その他表面には表れない裏方の仕事など、たくさんの方の支えがあって、すろーは成
り立っています。本当にありがたいことです。
 「社会という石垣」の中の小石である「すろー」ですが、一人ではとうてい今まで
持ちこたえることはできませんでした。私自身が支えてもらっていることを、「すろ
ー」の日々から、本当に実感しています。
 どろ船のようにいつ沈むかわからない、「サードプレイス すろー」ですが、どろ
船が沈んで土にかえる時、少しでも「ともに支えあう社会を創る土壌」の土の一部に
なることができればと願っています。

§ ちょっと一言  ー糖質制限はよし、糖質ゼロは命取り!ー


               有光 勲
 炊きたてのほかほかのご飯にちょっと塩辛いおかず、それを食べているとき、なん
ともいえない幸せな気分になりますよね。しかし、そんなことしていたのでは長生き
できない、今すぐにでもやめるべきだといいます。いやいや、そんなことをありませ
んよ。ただ、その食べ方には気をつける必要があります。決して食べ過ぎないように
することです。
 ここ10年ほど前から糖質制限食がちょっとしたブームになってきました。「糖質
ゼロの食事術」、「断糖のすすめ」、さらには「炭水化物が人類を滅ぼす」などとい
った極端な著書も出てきました。これらの著者はみな医師です。
 糖質さえとらなければ、血糖は上がらないから糖尿病は治るし、糖尿病になること
もない。メタボにもならない。糖質は人間にとって全く必要のないものだ。タンパク
質と脂質さえとっていればいい。糖質さえとらなければそれらをいくら食べてもいい
、といいます。本当でしょうか?
 糖質をとれば膵臓からインスリンが分泌される。このインスリン分泌が諸悪の根源
で、血液中の余分なぶどう糖を脂肪に変えて皮下や内臓周辺に蓄積させる。この脂肪
からはインスリンの働きを抑制するホルモンが分泌されるので、インスリンの働きが
悪くなる(インスリン抵抗性)、そうなるとますますインスリンの分泌が増える。そ
れによってまた脂肪が増える。その結果メタボにも動脈硬化にもなる。糖質さえとら
なければこのような現象は起こらないのである。というのが糖質制限論者のいってい
る理由です。
 我が国で糖質制限食が話題になり出して、まだ10年ほどしかたっていませんので
、それによって長生きしたという事例は報告されていません。それどころか「糖質抜
きダイエット」で最近亡くなられた方が二人います。
 2016年2月、ノンフィクション作家の桐山秀樹氏が仕事で宿泊していたホテル
で亡くなっているのが発見されました。心筋梗塞だったそうです。まだ62際でした

 彼は、重度の糖尿病にかかり、糖質抜きダイエットを実践するようになりました。
体重は何10キロも減るし、血糖も正常になったので、糖尿病は完治したものと思い
込んだのです。そして糖質制限食に関する数多くの著書を世に送り出しました。中に
は、ベストセラーになったものもあります。健康で長生きするためのものではなかっ
たのか? 何という皮肉な話ではありませんか。
 これに関して、牧田善二糖尿病専門医は、彼の著書の中で次のようにいっています

 糖尿病は血糖を下げたぐらいで治るようなそんな単純なものではない。血糖コント
ロールは、糖尿病治療の1、2割に過ぎない。完治は難しいのできちんと合併症の検
査を受け治療を続けなければならない。桐山氏が糖質制限食に関して私のところに取
材に来た。別れるとき、大変顔色が悪かったので、「血糖を下げるだけでなく、いろ
いろな検査を受けてくださいね」といったのだが、その願いはかなわなかった。いい
仕事をしていただけに大変残念である。心筋梗塞になると、耐えがたい痛みが起こる
のだが、彼は合併症の神経障害があったため、その痛みが起こらなかったのだろ
う。心臓の検査を受けていれば、そのようなことにはならなかったはず。糖質抜きダ
イエットで糖尿病が克服できたと思い込み、合併症などの検診を全く受けなかったと
ころに落とし穴があった。
 さらに牧田医師によると、糖尿病そのものよりも、腎障害、神経障害、血管障害な
どが怖い。さらにがんにもなりやすい。最近ではいい薬もできたし、きちんと検査や
治療を受けていれば、決して糖尿病だからといって若死にすることはないといってい
ます。
 もう一人は、同じく2016年6月に鳩山邦夫元衆議院議員がなくなられました。
まだ67才でした。詳しいことはわかりませんが、ホームページによると、彼も糖質
抜きダイエットをやっていて激やせしていたといいます。糖質抜きはある程度やせた
段階では中止しなければいけないのですが。
 糖質がそんなに体に悪いのなら、なぜ食べたくなるのでしょうか?食べたいという
ことは、体がそれを必要なものとして欲しているからです。だから糖質を全くとらな
いという主張については、私は間違っていると思います。しかし、困ったことに甘い
ものを食べ出すとなかなかブレーキがかからず、つい食べ過ぎてしまうということで
す。体に悪いのならもうそれ以上食べたくなくなってもいいはずですが、なぜでしょ
うか。それは遺伝子がそのようになっているからだそうです。人類の歴史の中で、長
い間飢餓に苦しんでいました。そこで食べ物にありついたとき、できるだけ多く食べ
て、それを効率のいい脂肪に変えて蓄えるようになったのです。そのような遺伝子は
簡単に変わることをありません。
 糖質をゼロにして、その代わりタンパク質や脂質を多く捕っていたのでは、腎臓や
肝臓に負担がかかりすぎるといいます。糖質は体にとって必要なものですから、外か
ら補充しなければ、糖新生といって肝臓で他の物質からぶどう糖を作るようになりま
す。その材料として筋肉のタンパク質が使われて、そのために動けなくなったという
人もいるようですよ。
 糖質ゼロはいけませんが、できるだけそれをひかえるようにするというのは正しい
ことだと思います。私もそのように心がけています。

編集後記


 今年度最初の「みちしるべ」をお届けします。ずっと以前には、宛名は手書きでや
っておりましたので、それは大変でした。しかし、最近では住所録はパソコンで管理
していますので、宛名書きには何の苦労もいらなくなりました。
 一方、よほど気をつけなければ、そこには思わぬ落とし穴があります。住所録に漏
れている人がいた場合、その人にはいつまでも届きません。また、正会員から賛助会
員に移られたような際、片方を消さずにそのまま登録しますと、その人には2部届く
ことになります。実際にそのようなことがありました。
 2部届いたり、他の人に送られていて自分には届いていない、というような場合は
どうかお知らせください。
 昨6月に、片岡忠さんの追悼文集をつくりましたが、「それなら、私も書きたかっ
た」という人がいると聞きました。そのような方、「みちしるべ」に掲載しますので
原稿をお寄せください。
 次号は、10月に自治体交渉報告集を発行する予定です。



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