みちしるべ
第250号
目次(ページ内リンク)
§「第52回守る会総会」報告 井上 芳史
§ 全視協全国委員会と社員総会の参加報告 生田 行信
§ IPSからリハビリ、社会の近づきまで 神戸アイセンターバスツアー 藤原 義朗
§ 高知県公文書館の整備に関するバリアフリー意見交換会のご意見と対応について 正岡 光雄
§ 四万十のいまむかし 第二段 水運の巻 多賀 義忠
§「川下りを体験」 時久 恵吾
【特集】「みちしるべ」第250号記念に寄せて
その1 「みちしるべ250号」おめでとう 会長 井上 芳史
その2 私に勇気をくれた人ー松田かつえさんのこと 岐阜県恵那市 大上 俊子
(初代編集長) その3 『みちしるべ』250号達成に寄せて 曽田 美紀
その4 みちしるべ250号に寄せて 川田 佳
その5 「守る会」結成に至る経過 故・片岡 忠
その6 あっという間のこの10年 有光 勲
編集後記
井上 芳史
6月17日の日曜日に第52回総会が行われました。総会開始時点での正会員は3
1名、委任は16名で総会が成立していることが宣言されました。賛助会員を含める
と総勢36名でした。ました。賛助会員を含めると総勢36名でした。
総会に先立って、学習部長の藤原講師による老人入所施設についてのミニ学習会を
行いました。高知県内にある様々な老人施設についてその入所条件など詳しい解説が
なされました。
総会で発言された要望について報告します。
1.同行援護報酬単価:4月の改正によって3時間以上の利用の場合、3時間以降の
報酬単価が下がるため、ある同行援護事業所は長時間の利用を断られました。今後、
事業所に長時間の利用を断らないように指導してください。
2.障害児者のショートステイ:ベット数が少ないため断られることがあります。高
齢の親をかかえており、どうしても障害のある子供をショートステイさせなければな
らないこともあります。もっとベット数・職員を増やしてほしい、気軽にショートス
テイができるようにしてください。
3.高齢者優良賃貸住宅入居にあたって:入居する際に身元引受人が二人必要です。
少子高齢化、単身者が増える中、身元引受人を確保することが難しい。打開策を検討
してください。
4.高知市からの文章の点字化:特に申し込み期限のあるお知らせは点字化してくだ
さい。
など切実な要望が出されました。これまでは点字ブロックや音響式信号機など街づ
くりが中心でしたが、生活や将来にかかわる問題が出されたように思います。
総会後の懇親会の参加者は29名で高知アイスを美味しくいただいたり、競り市で
楽しく競ったり、ゆったりとしたひと時を過ごすことができました。競り市の売り上
げは11800円でした。ご協力ありがとうございました。
生田 行信
6月23日(土)24日(日)に開かれた標記の会に参加してきました。全国委員会は
1日目の午後6時から9時前までと2日目の午前9時から午後2時半まで、続いて約
1時間社員総会が行われました。全国委員会は各社員(地方組織)から1名、社員総
会には各組織の会員数に応じた議決権で臨みました。本会からは私が一人で議決権2
を持って参加しました。ほとんどの社員が本会と同じような参加の仕方でしたが、東
京や神奈川など近い所は議決権数に近い代議員数で臨んでいました。2年に一度の大
会(社員総会)の中間の時期に当たる今回は、「一丸となって取り組む要求」や「大
切にする要求」の取組状況を情報交換し今後の取組を確認しました。総務局で勤務さ
れてきた二宮さんが家庭の事情で退職され、その後任の溝口悦男さんが紹介され拍手
で歓迎されました。
1日目はテーマ別社員交流が2つの内容で行われました。1つめは「行政機関等と
の交渉」に関するアンケート調査結果をもとに、不破、村上両理事の担当で情報交換
しました。回答した全ての組織が自治体交渉を持っており、その多くが街づくりや福
祉、あはき等はば広い内容で行っています。電子データでの提出や事前に回答をメー
ルでもらっている所も増えています。全ての地域で「意見交換会」等と呼んでいます
。2つめは、老人施設の種類について藤原理事の担当でレクチャーが行われました。
皆さん地元での「伝達」を求められたのですが、高知は先日の総会で藤原さんが直接
講演してくれているので助かりました。
2日目は報告題や協議題でした。特徴的な内容を報告します。
●点字民報有料読者(会員外の購読者)の誌代を全視協からの直接請求と前納制にす
ることが決まりました。多くの組織が読者から一旦集金して、係から全視協へ納入し
ていましたので、読者とのつながりが薄くなることが心配されますが、納入状況と本
部での管理がとても煩雑になっているそうで致し方ないようです。
●2年に一度の全視協大会の費用負担について明文化するための定款細則の改正があ
りました。当日までの「準備」に関わる費用は全視協、会場費等の「当日」の費用は
地元負担です。黒字決算なら次の開催地へ引きつぐ、赤字の場合は全視協が補填しま
す。次回大会開催地の福岡から準備状況の報告がありました。詳細は点民3月号をご
覧ください。
●全視協ホームページの構築と随時の更新を有償で外部委託します。今まで随時更新
が滞りがちでしたが、今後はタイムリーに情報発信し啓発につながることを期待しま
す。ときおり閲覧して内容や見やすさを確認し、意見を上げていきましょう。
●あはき法19条違憲訴訟に対する取組
仙台、東京、大阪、各地裁での裁判に多くの全視協会員が傍聴活動を行っています
。裁判も後半戦に入り判決に向けた時期に入ったことが裁判長の発言から読み取れる
ようです。裁判当初、署名活動、裁判長や新聞各社へのジャンボ葉書での訴えなど旺
盛な取組を行いました。ここにきて再度訴えを強めるため、あらためて署名とジャン
ボ要請葉書の取組が提起されました。皆さんのご協力をよろしくお願いします。
●全視協としての「移動保障の提言」案
点字民報4月増刊号で特集された内容が提言案です。4月に改正された同行援護、
その課題も踏まえ、次回の全国委員会で全視協としての採択を目指します。福島から
は、藤原理事が講師を務める福祉出前講座で学んだことを生かし、盲養護老人ホーム
入所者が同行援護を使えるようになったことが報告されました。
●全視協テーマ別集会
今回は老人ホームをテーマに、9月29日(土)30日(日)、埼玉で開催されます。
地元からは参加の呼びかけ、担当の藤原理事からは各地の様子を活発に出してほしい
旨呼びかけがありました。
●障害年金で気になる話
この会のほんの3日前の6月21日に厚労省と障全協の懇談会の席での話として田中
代表理事から報告がありました。「障害の程度が同じでも、県によって支給・不支給
の差異が見られる。今後は日本年金機構において一元的に認定業務を行う。」とのこ
とで、障害が比較的軽い人に診断書の再提出が求められる予定です。今回その対象は
全国で1010人、うち視覚障害者は24人です。今まで支給されていた人が不支給になっ
たら大変なことです。万が一の場合は、個人のこととして片付けず、守る会や全視協
、福祉に詳しい人の力を借りて最悪の事態にならないようにしましょう。
藤原 義朗
「見えなくなって、人生を諦めています」と言う人は多い。また、「閉じこもってい
る人」地域では多くあるケースです。
5月12日に、最近オープンした神戸アイセンター・ビジョンパークの見学バスツ
アーを行いました。
公益信託高知新聞・高知放送「生命(いのち)の基金」から補助をうけました。その
目的は、
1.多くの人数で見学会を行い、視覚に障害があっても可能性のあることを知る。
2.高知県内で、大宣伝をすることによりそのようなシステムのあることを知る。
最初は27人乗りのバスを予約していましたが、どんどん応募の電話が鳴り続け、大
型バスに変えました。その後も毎日のように鳴り続け、最終的には70名の方から相
談がありました。10人以上の方はキャンセル待ちになり、お受けすることができな
かったのですが、当日は、貸し切りの香北観光バスに49名、その後ろには2台の車
がついてきており、総勢54名の方の見学会になりました。
守る会会員、中途障害の方や家族、医療や介護関係、町内会や民生委員の方など多岐
にわたる方に参加していただきました。
自己紹介、ロービジョンブラインド川柳コンクール入選100選の発表などしなが
ら神戸アイセンターに向かいました。
到着して早速、コンシェルジュの方をはじめ5名の方で案内していただきました。
その中には、かつてルミエールサロンでお世話になった別府あかね生活訓練指導員も
おられました。
この施設は、IPS細胞の、臨床応用で有名な高橋政代先生を中心に、理化学研究所
での研究、神戸市民病院としての高度医療や外来診療、そしてネクストビジョンが運
営する楽しい・役立つリハビリや社会復帰への情報提供、社会に理解を広げ受け容れ
を作っていく運動をというシステムで運営されています。
医療の部分は開院早々なのにすごい患者数で、待っている間にビジョンパークの見
学をする方が多くおられます。
ビジョンパークは、
○リーディングエリア(情報に出会う場)
○リラクゼーションエリア(癒される場)
○キッチンエリア(気づきと学びの場)
○アクティブエリア(体が動き、心が躍る場)
○シミュレーションエリア(失敗に学ぶ場)
の5つがあります。
今回、見学した中で印象に残ったグッズは、
1. 夜暗い所でも見えやすい眼鏡
一定の視力や視野のある人が適応ですが、夜盲症の人には抜群です。私も『これが3
0年前にあったらな』と悔しさを感じたことでした。
2.オトングラス
眼鏡の前の文字文書を読み取り音声で読んでくれます。
3.AIスピーカー質問やリクエストに応える人工知能
「日本の人口は何人ですか?」「シューベルトの曲を聴かせてください」というと、
ちゃんと美しい音で答えてくれます。
4.声で伝えてくれる電気炊飯器やレンジ
5.フリークライミングの壁
登っていくと次のつかむ踏み石がネオンのような光と音で教えてくれます。
このようにいろいろな器具や情報提供が受けられます。
IPSや高度医療で視力が一定良くなる人もありますが、視力の伸びない人もいます
。参加者の中から、この神戸アイセンターのような砦を高知にも作っていきたいとい
う声も上がりました。
社会に視覚障害のことを知らせ、受け容れを広げていくこともセンターの機能です
。
視覚障害の新職業にもアイデア募集という企画があり、応募されたものの中には「
携帯電話会社で全盲のあんまマッサージ師を雇い、待ち時間の間に揉んであげたらい
い」の意見もありました。
また、社会に視覚障害のイメージを広げていくため、ロービジョンブラインド川柳
コンクールが行われ約2千句の応募があり100句入選しました。その中に私の応募
が2句入りましたので、最後に紹介して結びとします。
「上達の コツは点字の エロ本だ」
「付いたかな 旅行帰りの シャツに紅」
正岡 光雄
平成30年2月28日(水)14:00〜15:40、小高坂更生センター研修室において高知県
公文書館の整備に関するバリアフリー意見交換会が開かれました。
この県公文書館は一見我々にはあまり関係ないようにも思われますが、県立で障害者
に関する配慮の欠けた建築物が作られたらそこを皮切りに配慮に欠けた建物が次々と
できてくる可能性があります。それは合理的配慮のない建築物の拡大を許すことにな
りかねませんので皆様関心を持って下さい。
前号でお知らせしましたように坂本龍馬記念館のバリアフリー化の状況は大変お粗
末なものです。私たち障害者団体の者は一つ一つの公共建築に対して目を光らせなけ
ればならないと思います。お読みいただいてご意見をお寄せ下さい。
意見交換会では、大変活発な意見が各団体より寄せられております。回答も非常に
行き届いたものになっております。ただし視覚障害者にとって最も関心事である対面
読書実施については場所も方法もはっきりしておりませんので後日改めての折衝が必
要です。
以下各団体からの意見と県の回答(視力障害者に関係の深いものを抜粋しました)
[安全対策]
(ご意見)3階の男性トイレ入り口と階段が隣り合っているため、視覚障害者が誤っ
て転落する危険があるので、壁を設置するなど、構造上できる範囲で対応してほしい
。
(対応)転落の危険がないように、トイレ出入口と階段の間に70センチ程度の壁を
設置します。
3階トイレ入り口と階段の間に新たに壁を設置し、廊下からトイレ側への通路幅を1
00センチ確保したうえで壁を設置することとしました。
(ご意見) 玄関前の階段(3〜4段)は幅が広いため、中央部分に手すりを設置し
、注意喚起用床材(ゆかざい)(点状ブロック)を階段の下と上の横幅全面に設置して
ほしい 。(階段があることを知らせるための点状ブロックであるので、階段の幅全
体に敷いてほしい。)
(対応)正面玄関前の階段に手すりと、注意喚起用床材(ゆかざい)(点状ブロック)
を階段の下と上に設置します。正面玄関の階段の横幅は、下の段から上の段に向かっ
て狭くなっている形状ですので、手すりの位置や点状ブロックを設置する幅について
は、工事開始後、設置する前に現地で皆様にご確認いただきたいと考えています。
(ご意見)点字ブロックの位置やサインのコントラスト(色)など、意見を言わせて
もらって融通の付く段階で一度このような会を開いてほしい。
(対応)点字ブロックの位置やコントラストについては、工事開始後、床(ゆか)材(
ざい)やブロックなどの設置前に、現地において皆様にご確認いただきたいと考えて
います。
[トイレ]
(ご意見)呼出しボタンは多目的トイレだけでなく、各トイレに設置してほしい。
(対応)1階の多目的トイレ以外にも、各階の男女のスペースごとに1カ所ずつ呼び
出しボタンの設置をします。1階から3階までの女性用トイレと、3階の男性用トイ
レに各1カ所設ける予定の、通常の個室よりも広いスペース内と、2階の男性用トイ
レの個室内に呼び出しボタンを設置し、他の県有施設と同等の整備内容にしたいと考
えています。
[案内表示等]
(ご意見)今の図書館の玄関チャイムはそのまま残すか。
(対応)現図書館が設置している玄関の場所を知らせる誘導チャイムをそのまま活用
します。
[その他]
(ご意見)駐車場はあるか。障害のある人が必要のあるときだけでも利用できるよう
、駐車場は構えることはできないか。
(対応)敷地内の駐車場は、公園北のバス駐車場から観光客が高知城観光のため通行
することが多く、観光客との接触事故の危険を回避するため、公文書館の職員、来館
者共に設けないこととしています。しかしながら、障害のあるかたがご利用されると
きに、利便性確保の観点から何らかの工夫や対応ができないか、検討をしていきます
。
(ご意見)対面音読の部屋はあるか。原本の持ち出しは禁止とのことなので対面音読
は必要。
(対応)公文書館には対面音読室はありませんが、必要に応じて閲覧室又は、共用会
議室等を利用するなど、今後ご意見を参考にして対応方法を検討していきます。
[ソフト]
(ご意見)・紙資料だけでなく、データのほうが誰でも使いやすいので、データ化を
目指してほしい。 ・公文書館で扱う資料には、映像、音声資料はあるか。 ・音声
や映像を再生する個室はあるのか。 ・聞くのはヘッドフォン等を使ってとなるか。
・収蔵している資料は非公開のものはないか。 ・資料の複写は可能か。 ・原本
の閲覧に際して、拡大読書機はあるか。(弱視者対応) ・資料の検索システムは図
書館と連携して、音声での対応など視覚障害者がわかりやすいものとしてほしい。
(対応)公文書館の利用方法や運用に関することは、これから開館までに頂いたご意
見も参考にさせていただきながら、具体的に検討し、ご利用いただける仕組みにして
まいりたいと考えています。
多賀 義忠
以前、この紙上で四万十川が漁場として、うちの親父も川の漁師であったことを皆
さんにお伝えしたと思いますが、今回は、その四万十川がその流域に住む人たちの道
路としての役割もなしていたことをお伝えしようと思います。
川が道路の役目をするなら、川の上を移動するのは当然のことながら船であるわけ
です。この川の流域に住む人たちは、漁師ならずともたいていの家が舟を持っており
ました。さしずめ今の自家用車といったところでしょうか。それというのは、川の向
こう側に畑や田んぼを持っている人たちもけっこうおりました。もちろん、村の要所
要所に渡しがありました。あの童謡に歌われる、「村の渡しの船頭さんは、今年60
のおじいさん、年をとってもお船をこぐときは、元気いっぱい櫓(ろ)がしなる」と
いうあの渡しです。
ところが、自家用車代わりとはいっても、家の近くの車庫においてあるものではな
く、年中川に浮かせておくわけですし、免許がいるわけでもないので、他の人に乗っ
て渡られて川の向こう岸へつながれているというようなこともしばしばでした。
山仕事に行かねばと、家族そろって弁当持ちで出かけると、そこに船はありません
。そんな時は、はるか川下の渡しにいって、そこから川の向こう側に渡るということ
もありました。夏であれば泳いでいってその船をこちらの川岸にこぎ寄せ、家族を乗
せて渡るということもありました。
そして、もう一つの自家用船といえば、やはり中村の町との間でものを運ぶ手段と
して、この船がよく使われました。重量のあるもの、例えば夏はすいか、カボチャと
いった具合に村から町へ運ぶものを全部船でやりました。また、反対に町から何か重
量のあるものを買ってくるとき、例えばおばあさんが、あるいはおじいさんが、「畳
が古くなった。新しいものにしないと、葬式の時などに恥ずかしい」からとか、反対
に娘さんが嫁入りでタンスを買ったときなどにも、この船が使われました。
私の集落から中村の町までの距離が、昔二里あまりと言われましたから、およそ1
0キロぐらいでしょう。その距離をいく時は、下りでありますから、2時間足らずで
いきました。帰りは登り、つまり流れに逆らうわけですから3時間以上はかかったよ
うです。
田舎ですから、「明日は船で町へ行くそうなけん、わしも便を借りて町へいこうか
。おまえが、行くなら、わしも一緒に行こうか」といった具合に、何人かが船に乗っ
て川を下り登りするわけです。
朝7時頃に家を出れば、9時には町に着き、それから思い思いの用事をすませて2
時ごろに町を出れば5時ごろには帰ってくるわけです。
こうして、自家用車ならぬ自家用舟でのんびりとくらしたあの時代、昭和10年の
後半から20年代にかけてのくらしが懐かしく感じられます。その船には動力があり
ませんから、全部ろや竿で船を操ったものですが、それでも不自由だとも思わないの
んびりしたものでした。
それでは、この自家用舟はどれくらいの大きさかといいますと、長さが昔でいう約
2間、幅が1間ぐらいですから、けっして大きなものではなかったと思いますが、そ
れでも大人が10人は乗れましたので、今でいうところの600キロぐらいの重量は
運べたと思います。
その船を作る船大工と言われる人がいました。今、その船の作れる人が、私の知る
ところ一人生きていると思います。尾崎知事のお母さんのいとこがそこそこ作ること
ができるそうです。
それから自家用船でなく、さらに大量の荷物を運ぶ船場(せんば)というのがあり
ました。
それから、いかだ流しもありました。それらにつきましては、また次にお伝えしよう
と思います。
時久 恵吾
4月8日に元気号で高知から12名の参加、四万十市から2名の方が乗り込み14
名の方で川下りに行ってきました。天気は良かったものの冬型の気圧配置、風がなけ
ればポカポカした季節ですが、冷たい風が吹く中、窪川の道の駅では窪川豚のハンバ
ーグを30個も購入される方、芋けんぴのはねの入った大きな袋を購入される方など
楽しく交流することができました。
私は ウェザービーコンを持ち込んでの気温の変化を確かめてみたいとずいぶん前
から考えていたことでした。
その結果気温は、18.7℃、湿度は、36.7%、気圧は、1019.7 hPa、風速は、最大で4.
5メートルでした。
気になる紫外線量は、最大で0.6でした。最小値は、0.3でした。
光の強さは、最大で16570ルクスで少しまぶしいかなという程度でした。最小値は、6
500ルクスでした。
体感気温は、13.6℃でかなり寒いと感じた次第でした。
騒音は、56デシベルが最大値でそれほど騒がしいとも感じない程度でした。
私は、船の上から写真を20枚以上も写しました。動画も1本撮影させていただきまし
た。
水のひたひたという音が耳に、心地よく響いて、とても癒されました。
丁寧な説明を聞きながら連続してカメラのシャッターを切っていましたのでとても忙
しく感じました。
食事処での食材の味わいもとてもよくて、堪能させていただきました。外で飲むビー
ルは、格別に、うまい!土産もたくさん買い込みましたので手元が少し寂しくなりま
した(笑い)。
話が前後しますがライフジャケットがあんなに軽いことは、初めて知りました。た
いていライフジャケットと聞けば飛行機に乗った時に見る重たいものを想像していま
したのでこんなに軽くていいの?と思いました。
かなり科学的なデータを盛り込みましたので難しいかもしれませんがご容赦ください
。
私は、趣味で天気予報を出したりすることが好きで毎日空の写真を撮っては、報告を
しています。なので今回は、センサーを持ち込んですべてのデータを数字化したわけ
です。
本当は、空読みマスターという装置を手に入れて、本格的に、風向きや強さなどを、
数字化するつもりでした。それによって、これから先の天気予報を、リアルタイムに
、出すつもりでした。
かなり難しいことを書きましたが趣味が高じて、こんな形になりました。
今日の天気は、晴れ時々曇りで北西の風が一時的に強く吹くことが予想されていたの
で100%の確率で当たっていました。
いつもならば、雨が降って中止になるのに、本日は、晴天に恵まれて予定どおりに、
行事が行われたので思う存分に楽しむことができました。
またこのような行事があれば参加したいと思う次第です。その時も、お天気を科学し
ながら少しずつデータを交えながら話を進めていきたいと思います。
【特集】「みちしるべ」第250号記念に寄せて
会長 井上 芳史
編集委員のみなさんお疲れさまでした。1年に5回発行しているとして50年かか
ることになります。それを継続してきたことは並大抵の努力ではできないと思います
。
私が高知に来た1981年の頃は手書きでブルーコピー印刷でした。その後スモン
基金で輪転機を購入、会報に「みちしるべ」と名前がつき、今やパソコンでデーター
化されてホームページにも掲載されるようになりました。
発刊250号のこの時期に視覚障害者にとって二つの出来事があったように思いま
す。
一つ目は昨年の9月に開所した重度障害児放課後デイサービス「一歩」です。
二つ目は今年の1月に開所した視覚障害者を中心とした就労継続支援B型事業所「
てとてあさひ」です。
障害者の社会参加が進んでいる中、250号を迎え、私たちの未来の「道標」とな
る機関誌が多くの人たちに読まれることを願っています。
300号、500号を目指して編集委員の方々と一緒に取り組んで行きたいと思いま
す。みなさんご支援ご協力をお願いします。
岐阜県恵那市 大上 俊子
(初代編集長)
みちしるべ創刊250号おめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。岐阜
県という、高知から離れたところで暮らしている者にとって、このみちしるべの存在
はとても大きくて、いつも元気をもらっている私です。
「ふるさとの香りとパワーと懐かしさ、わが子のように愛しくもあり」これが私のみ
ちしるべに対する思いの全てです。ふるさとを離れて30数年、私とふるさとをつな
ぐ唯一の定期便、それがみちしるべなのです。その編集に関わっていたのは、40年
近くも前のことで、もう会員の顔ぶれもかなり変わったようですね。新しい仲間が増
え、全国に誇れる大きな運動に次々と取り組んでおられる様子がみちしるべを通して
伝わってきて、本当に頼もしい限りです。
編集長時代に成しえたこと、それはそれまで不定期発行だったものを隔月発行に定着
できたこと、そして、単に「会報」とだけ呼ばれていたこの機関誌に「みちしるべ」
と言う名前がついたことです。編集会議では内容や原稿依頼など、頭を悩ませること
も多かったのですが、会議後の雑談やティータイムはとても楽しいものでした。名前
については、皆さんに考えていただき、中でも一際光っていた「みちしるべ」に決定
。ちなみに命名者は井上芳史先生でした。僅か数年間の関わりでしかなかったのです
が、現在に至るまで1号も欠かすことなく届いた定期便は私に懐かしさとパワーも一
緒に届けてくれています。ときに懐かしいお名前に遭遇するとその時点で私の時間は
止まってしまい、学生時代にタイムスリップ、思い出がどんどん膨らみついこの間の
ことのような気がするのに、それにしても随分年を重ねてきたものだと、思わず感傷
に浸ってしまうこの頃です。それと、立派に成長を遂げたわが子の晴れ姿をいとおし
く見守る親の心境にも似た思いがあることも確かです。
私はこの機関誌に名前がついたとき、「民主運動のみちしるべになるように」との思
いを込めて、編集長としてのコメントを書きました。それが現在に至るまでも、そし
てこの先もずっと受け継がれ、発展し続けていくであろうことがとても嬉しいです。
みちしるべの素晴らしい所、それは書き手も話題も豊富なこと。言い換えればそれだ
けの活動がしっかりとできていると言うことですね。「1人の願いはみんなの願い」
、活動の原点とも言えるその取り組みをされているのが皆さんなのです。
元会員、現在は賛助会員の私、これからもできるかぎりの支援をさせていただきたい
と思っています。
さて、この記念誌に何か書いてほしいと有光先生から言われたとき、私は迷うこと
なく昨年2月1日に亡くなられた松田かつえさんのことを書こうと思いました。彼女
は私にとって勇気をくれた・とても大切な人でした。いつかどこかで感謝の気持ちを
伝えたいと思っていたので、この機会をいただけたこと、とても嬉しく思います。本
当は直接伝えることができればよかったのに、今はそのことが心残りでなりません。
松田かつえさんというよりも、百加さんと言ったほうがおわかりいただけるかも。
でも、私はやっぱりかつえさん、いえ、子供のころからそう呼んでいたように、「か
っちゃん」と呼ばせてください。
ところで、あなたはかっちゃんのことをどれだけ知っているの?と問われたら、返
す言葉もありません。なぜなら盲学校卒業後の私は、そのほとんどを県外で過ごして
いましたし、病気で苦しんでいるときにさえも、何一つ支えになってあげられなかっ
たのですから…。最後のお見送りさえもしていない私です。今日は鎮魂の思いをこめ
て、私の中のかっちゃんとの思い出をどうか書かせてください。
みなさんもご存じのように、かっちゃんは20数年来病魔と戦い続ける日々でした
。それがどんなに過酷で、辛いものであったか、言葉などではとうてい言い尽くせな
いものがあったはずです。そんな中でも、いつも物事を前向きに考え、できることは
行動に移してがんばっていた姿を、私は生涯けっして忘れることはないでしょう。「
前向きでがんばりや」それがかっちゃんなのです。「本当によくがんばったねえ。こ
れからはゆっくり休んでよ。」今は亡き彼女にわたしはそう声をかけてあげたいです
。
かっちゃんと出合ったのは、1958(昭和33)年、私が盲学校の小学部1年生
に入学したとき、そのときかっちゃんは小学3年生でした。小学部のときはれいめい
寮で同室になったこともありましたが、特に親しい仲というわけでもありませんでし
た。その当時の思い出と言えば、ほとんどの女の子たちがそうしていたように、学校
内のあちこちでクローバーが咲き誇る中に座り込んで、四葉のクローバーを探したり
、クローバーの花で首飾りを編んだりと、時間のたつのも忘れて遊んでいたものです
が、かっちゃんも私も、たいていはその中にいたような気がします。
よく話をするようになったのは、やはり高校生になってからでしょうか。一人歩き
のこと、料理のことなど、全盲女子としての共通の話題を持つ仲間同士というところ
から私達は急速に親しくなって行きました。
学生時代のかっちゃんは、とても細くてひ弱な印象でしたが、じっさいのかっちゃ
んは、あの細い体からは想像できないほどのパワーの持ち主で、内に秘めた思いの強
さには圧倒されるほどでした。また、漢方治療の勉強も熱心で、いつも前向きに躍動
感あふれる姿は、私達全盲女子のあこがれそのものだったといえます。
土曜日の午後や日曜日は、歩行訓練と称して、持ちなれない白杖片手に二人でよく
歩いたものです。電車通りを東へ西へ、道の特徴を探ったり目的地に行くまでの歩道
の段差を数えたりと、好奇心いっぱいの探検隊気分でした。
かっちゃんは結婚も早かったですね。たしか私が専攻科2年の夏でした。ぜひ来て
ほしいと言われて、今思うとお恥ずかしい話ですが、本当に身一つで披露宴に出席さ
せていただき、感動の連続だったことを覚えています。当時全盲女子の結婚といえば
、世間からもなかなか受け入れてもらえないような時代でしたので、お二人の門出に
拍手し、かなうのなら私も後に続きたいと密かに思ったものでした。
卒業後は、先にも書いたように私はそのほとんどを県外で過ごしましたので、かっ
ちゃんとは日常的なお付き合いはできなくなりましたが、新築祝いの席に呼んでいた
だいたり、帰省したときにはお宅におじゃまして、美味しい物をたくさんご馳走にな
ったり(ときにはお料理を教えてもらったことも)、夜の更けるのも忘れて積もる話
に花を咲かせたりと、楽しい思い出がいっぱいです。私が知り合いもなく、なれない
ところで大変な思いをしているのではないかと、遠い岐阜まで3回も遊びに来てくれ
たんです。そして、よく電話もくれました。そんなかっちゃんの優しさと行動力にど
れだけ救われたことでしょう。
1990年代、かっちゃんは守る会女性部の役員をしていたこともあって、全国大
会・代表者会議など、毎年のように出会っていたような気がします。私にとってはそ
うやって出会えることがとても楽しみでした。
かっちゃんの人生を変えたのは、初めての海外旅行中フランスで体調を悪くしたこ
とでしょう。フランス行きをとても楽しみにしていたのに、現地の病院に入院してる
と聞いたときは、本当にびっくりしました。言葉も通じない、なれないところでの入
院生活はさぞかし心細いだろうと、状況がわかるまでは私も気がかりでなりませんで
した。日本に帰ってこのみちしるべにも連載されましたが、フランスでの医療体験の
記事を読んで日本人の通訳の方もいて、スタッフのみなさんもとても親切だったと知
り、「ああ、よかった」と胸を撫で下ろしたものでした。あの連載のファンはきっと
多かったはずです。かっちゃんの感性の豊かさとその文章力のすばらしさに魅了され
、この先どうなるのだろうと、毎回どきどきしながら読ませてもらったものです。
以来かっちゃんは病魔とのたたかいでしたが、最初のころは体調を考えながらも、
よく外出もしていたはずです。ここ数年は入退院を繰り返していたようですが、そん
な中でも、体調の良い日などはよく電話をかけて来てくれて、けっこう長い時間話を
したものでした。今でもあのかわいらしい声が聞こえてきそうです。夕方になると、
お腹が張って苦しくなるとか、体が壊れるほどの痛みとのたたかいなど、襲ってくる
さまざまな症状の話を、本当にこともなげに話すかっちゃんは強い人。私だったらと
うてい耐えられないだろう。でも、それがどんなに苦しく辛かったことか、そう思っ
ただけで、胸の奥が痛みます。
3年前の2月、入院中のかっちゃんを見舞ったのが最後になりました。故人をしの
ぶとき、よく「志半ばで」と言う言葉を使いますが、かっちゃんもまさにその通りだ
ったはずです。いつもにぎやかで、楽しいことが好きでした。まだまだ話もしたかっ
たのに、一緒に旅行もしたかったのに…。早すぎる旅立ち、本当に無念でなりません
。あれも・これもやりたいことがいっぱい、そんなかっちゃんの声が聞こえてくるよ
うです。
かっちゃん、高知に帰ったときには会いに行くね。たくさんの思い出をありがとう
!勇気をくれてありがとう!生きる力をありがとう…!どうぞ安らかに眠ってくださ
いね。
最後に、みちしるべのますますのご発展と読者のみなさまのご活躍を心より祈念い
たします。またどこかでお会いできることを楽しみに…!
曽田 美紀
『みちしるべ』250号、おめでとうございます。
私は高知にいた頃に、『みちしるべ』の編集、印刷をしていました。2008年の暮れ
に200号を迎えた時には、点字の創案者ルイ・ブライユ生誕200周年を目前にしていた
ので、『みちしるべ』の表紙にルイ・ブライユの肖像と点字盤を描きました。
以前には『みちしるべ』の発行は年6回でしたが、今では4回しか発行されていない
ということを知り、原稿を集めること、書くことの困難さを感じました。自分から進
んで「原稿を書きたい」という人は少ないのではないでしょうか(これは愛媛県民主
視覚障害者協会の『伊予刊』の墨字版の原稿を校正していた時にしばしば感じていた
ことですが)。
今でも「守る会」からのメールを読んでいますし、有光先生から『みちしるべ』の
テキスト原稿を受け取って読んでいます。
高知市へ行く機会があれば、「守る会」の印刷所や、高知声と点字の図書館に立ち
寄ってみたいと思います。「守る会」でお世話になった方々にもお会いしたいと思い
ます。
川田 佳
みちしるべ250号発刊おめでとうございます。
私のみちしるべの思い出は、編集委員になったことです。一冊の機関誌を作るのにど
れだけの時間と労力がいることか・・・。
原稿依頼に、点訳・活字おこしに印刷。会員皆に情報やレクレーションのお知らせ
、活動状況、日程を届けます。私が一員だったときは、毎週片岡忠さん宅で会議をし
ていました。
今月は何を掲載するか、だれに依頼し、いつまで何文字にするかなどなど話され決め
ました。
原稿の集まりが遅くなると印刷もずれてきます。
活字の印刷は盲学校近くの印刷所でしていました。古い建物にインクの匂い。とても
好きでした。
印刷の途中でコピー機が動かなくなったこともありました。
表紙になりそうなのを探し切って貼っての作業をし、一冊の機関誌に仕上げます。な
にからなにまで手作りです。
私は、今大阪でみちしるべを読んでいます。何気に気が向いたときに読んでいます。
皆、元気に活動してるなぁって嬉しくなったり、レクレーションのお知らせを見ては
参加したいなぁって思ったり。
私、タブレットでカラオケ体験に参加したかったです。
みちしるべは高知を離れた仲間には高知の活動が、皆の暮らしがちょっぴり覗けます
。
そんなとき私は嬉しくなります。
みちしるべを作る大変さもあろうかと思いますが仲間と仲間を繋ぐみちしるべとなる
機関誌をこれからもず〜〜っと繋いで下さい。
仲間と仲間の会話ですね。
故・片岡 忠
* これは、2008年12月、「みちしるべ200号記念誌」に書いていただい
たものです。守る会結成の経緯がおわかりいただけると思います。
高知の「守る会」結成について、私の記憶、たまたま見つけた資料――守る会結成
当時の会報第2号(1965・昭和40年9月25日発行)などを元に書いてみたい
と思います。。
守る会「入会のご案内」によると、昭和40(1965)年「5月30日高知市盲
ろう会館に同志31名が集まり」結成されたとあり、名称は「高知県視力障害者の生
活を守る会」となっています。
結成の動機となったのは無免許問題。 昭和39年度に当時の厚生省は、「按柔師
法」を一部改正し、昭和22(1947)年当時医業類似行為(主にあん摩、指圧)
を行っていたもので、真にやむを得ない理由のため必要な届出ができず、その後営業
の資格を停止された者に対して、一定の講習を受けさせて、新たに救済する――とい
う措置を取りました。
これに基づいて全国で約3,000名の申請がありました。多い所を挙げてみます
と、大阪234名、高知233名、東京232名、北海道188名、福岡179名…
となっています。四国の他県の状況は、愛媛約10名、香川は皆無という具合で、人
口比率から見ても高知の233名というのは異常で、大量の不正な申請者が含まれて
いることは明らかでした。
では、なぜ高知県にこんなにも申請者が多かったのでしょうか?昭和32(195
7)年に、香川県に続いて高知にも晴眼あん摩師養成学校を創ろうとする動きが発生
し、県鍼灸マッサージ師会(県師会)を中心に県視力障害者協会(県視協)、盲学校
などが視覚障害者の生活権を守るため、労働組合(県総評など)の協力も得て反対運
動を展開し、この計画を潰すことに成功しました。しかしそれと引換えに県当局は、
昭和33(1958)年、既に無免許営業をしていた171名という多くの者に県独
自で(これは法的には根拠のない物ですが)仮免許証を与えたのです。この171
名に加え更に新たに養成された無免許者62名が、この救済措置に便乗して届出漏れ
者として申請したので233名となったわけですが、県師会には自ら無免許者を養成
している者もおり、また仮免許証を貰った者もかなり加入していましたので、この事
態に対して断固とした態度を取ることができませんでした。
一方高知にも全国的な流れに遅れず視覚障害者の権利を力強く主張する勢力も育っ
てきていました。昭和30(1955)年、「せめて一揃えの(点字)教科書を」と
いうスローガンを掲げて、当時の附属盲生徒会を中心に闘われた全点協運動(国の責
任で点字教科書を作ってほしい)という闘争に全国25の盲学校生徒会が結集しまし
たが、高知盲生徒会も溝渕健一氏を代表として派遣し、国会や関係議員、文部省への
請願・陳情に参加しています。昭和33(1958)年、勤務評定反対闘争では学園
の民主化を掲げ、高知盲生徒会は校長不信任を決議するなど積極的に行動しました。
更に昭和35(1960)年には全国的に安保闘争が繰り広げられ、私たちも街頭デ
モなどに参加しました。
このような状況の中、昭和37(1962)年7月、大阪、和歌山、京都など関西
の盲学校生徒会や若い卒業生を中心とした「民主的雑誌と読み物を自分たちの手で」
という活動によってついに「点字民報」呼びかけ号が発行され、同年10月、創刊号
の発行を実現しました。「点字民報」はこのような読み物を待ちかねていた視覚障害
者の間に瞬く間に拡がり、読者会が各地に生まれ、高知でも翌年(38年)秋に塩見
哲生氏を支局長として「点民支局」が誕生し、定期的に読者会が開かれるようになり
ました。
ところで、県師会は代議員会で「233名に対し厳正な審査を求める」という決定
をしたにも関わらず、幹部会がこれを裏切って「33年の171名の仮免許者をその
まま承認する」という方針を出すなど、その煮え切らない態度に多くの会員の間に不
満が高まってきました。こういう状況の中、理療科教員や若い卒業生を中心に「33
年組も含めた厳正な審査」を要求し、抜本的な無免許対策を県議会に請願しようと、
先にも書きましたように、昭和40(1965)年5月、「高知県視力障害者の生活
を守る会」が誕生したのです。守る会会員は県師会や県視協の中で積極的にその民主
化に努め、それまで会長などは数名の選考委員によって決められていたのを全員の無
記名投票にするとか、会議の資料が全盲の者にも墨字でしか配布されないという状況
を点字で配布されるようにするとか、休日を日曜日に替えさせるなど次々と新風を吹
き込みました。
なお、昭和42(1967)年、全視協が結成された直後の守る会総会で、今後守
る会をどうするかということになり、「一応新たな62名の申請者は阻止できたし、
一定の成果を挙げたので、ここで解散し新しく賛同者を募って全視協に加入するべき
だ」という意見と「私たちの要求はまだ完全には実現できていないし、新たな問題も
沢山あるので、ここで解散せず、全視協に加入して全国の仲間とともに更に闘いを進
めよう」という2つの意見が出され、結論に至ることができませんでした。そこで、
「生活を守る会」は正式に解散されたわけではありませんが、ほとんどの会員がその
まま残って新たに「高知県視力障害者の生活と権利を守る会」と改名して全視協に加
わった形となりました。
無免許問題が守る会の結成の一番の動機でしたが、現在もこの問題は根本的解決を
見るどころかますますひどくなってきています。そして、その運動の中心となるべき
県師会がその役割を果たしているとは言えないのも昔と同じです。私たち守る会の力
をより強くし、正しい方針の下に先頭に立って活動していくことがこの無免許問題の
解決にもつながるのではないでしょうか。
有光 勲
2008年12月に、「みちしるべ第200号記念誌」を発行しました。あれから
はや10年、なんと月日のたつのが早いことか!その頃、私は、高知盲学校に講師と
して勤務しておりました。その年は、ちょうど盲学校創立80周年に当たっておりま
したので、記念誌や卒業生名簿の発行、さらには、記念コンサートの出演者の依頼な
ど、最年長の私が中心となって行ってきました。その時私は、もうかなりいい年でし
た。今から思えば、大変に忙しかったのですが、気が張りつめていたせいか、特にし
んどいとは思いませんでした。
しかし、気がついてみますと、私もいつの間にか後期高齢者の仲間入りをしており
ました。そんな実感は全くないのですが、自分で自分の年に驚いております。さすが
に私も寄る年波には勝てず、最近では、心身ともに疲労感を覚えるようになりました
。
会報発行となりますと、どうしても皆さんに原稿をお寄せいただかなくてはなりま
せん。だれしも原稿など書きたくはありませんよね。それをあえてお願いするわけで
すから、私自らも筆を執るべきだと思い、あれやこれやと思いつくままに毎号エッセ
イを書いてきました。「あれは、おもしろい、いつも楽しみにしている」といってく
れる人が何人かいます。お世辞にもそのようにいってもらえると書きがいがあったと
いうものです。
みちしるべ編集長となって30年以上、惰性に流れていいかげんなものになってき
たのではと内心危惧を抱いております。もうそろそろ、どなたかにこのバトンを引き
継いでいただき、さらに300号を目指して頑張っていただければありがたく思います。
今年度最初の「みちしるべ」をお届けします。おわかりいただいたと思いますが、
今回で「みちしるべ」発刊250号になります。特集記事として、それにちなんで、
何人かの方に書いていただきました。追悼の意味もこめて、昨年亡くなられた元会長
の片岡さんの原稿を掲載しました。改めてご冥福をお祈りしたいと思います。
ところで、文字の校正というのはなかなか難しいものですね。自分では完璧だと思
っていても、だれかが見ればまたいくつか間違いが見つかります。特に点字の校正は
難しいように思います。今回の点字版は私一人がやりまして、だれにも校正してもら
っておりません。ですから、まだかなり多くの間違いがあるように思います。しかし
、意味が通じないような大きな間違いはないはずです。「ここが間違っていたよ」な
どといってもらえますと、きちんと読んでくれているんだなと、うれしくなります。
どうかよろしくお願いします。
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