時は200X年(7)
松田哲昌
その時突然ピリピリッと鋭い呼子の音がした。背の高い自衛官が駆け足でやって来た。
「元の配置に付け、!」
彼の怒声が響く。
そこらに居た警官も自衛官もピョンと跳び上がると、一目散に元の国道の方へ走って行った。
「ちょっとこっちへ」
彼の自衛官が俺の肩をつかむと、道路の向こう側へ引っ張って行った。
なんだ、こいつはと思っていると、「先生ぼくですよ。村田敏雄です」
「アッ、トシオ、!」
「先生アメリカが東亜に進行しました。丸秘ですよ」
「ありがとう、わかったよ。気をつけてね」
「先生もですよ。ではまた」
俺はそ知らぬ調子で「おとなしく帰りゃーいいんだろう」と、彼をどなり付けてからにやっと笑って、何食わぬ顔でタクシーに乗り込んだ。
運転手が車を発進させながら、「お客さん、あの兵隊なんて言ったんです、?」
「おとなしく帰った方が身のためだと、俺に説教しやがった」「でもあの兵隊笑ってましたよ」
駅に引き返すと運転手に料金を払い、階段を上がって下りのホームに降りてベンチに落ち着いた。
「こんな所で村田に逢おうとは」
まだイラク戦争が始まる何年か前、一人の高校生が父親に背負われるようにして治療室に入って来たのだった。柔道をしていて頚椎を傷めて何ヶ月か病院に居たが、右手がしびれて全く動かないと言う。
それが村田敏雄だった。
そして、半年近くの治療で彼は右手の自由を取り戻したのだ。
それから村田の家と俺の親戚以上の付き合いが始まった。
よく村田の親父と釣りにも行ったし、飲みにも行った。
ハウス農家の長男の敏雄が高校を卒業間近になって、突然自衛隊に入りたいと言いだした。
長引く不況の就職難と高校の柔道部の先輩の誘いが、その理由だった。
村田の両親も農家のあとを継いでほしかったし、俺は自衛隊に彼をやりたくなかったので、家族と一緒に説得したが、敏雄はついに自衛隊に行ってしまったのだった。
「そうか、敏雄は自衛隊のえらいてになっていたのか」
俺は大きな溜め息をついて、ポケットからタバコを取り出して火を点けた。
アメリカがイラクを侵略してフセイン体制は崩壊したが、戦乱はいっこうに治まらなかった。
当時の小泉自民・公明内閣は「イラク復興支援」などと言って、いてつく寒さの早春に自衛隊をイラクに派兵したのだった。
そして、占領軍の片棒をかついで、アメリカ・イギリスなどの占領軍の指揮下で、兵員の輸送・反米の群衆の鎮圧など、およそ復興とは無縁の戦争を強いられたのだ。
それは占領が終わり、やっと国連が介入した3年間におよび、自衛官百数十人の犠牲者が出た。
しかし、イラク国内が一応平穏を保つようになっても、アメリカ・イギリス・日本の駐留は今も続いており、豊富な石油資源とその利権は,それらの国が独占してしまった。
あのイラク戦争は結局石油戦争、油戦争だった。アメリカは世界戦略の矛先をイラン・サウジなどに向けてきた。これらの国々は団結して、これに対抗し始めた。アラブ諸国は統一国家を目指した。そして、当時のアセアン諸国もアメリカの覇権を阻止するために「東アジア共和国」、つまり東亜国を樹立したのだ。
中東で手を焼いていたアメリカは、日本の基地から近い東亜から先に手を着けたのだろう。
だからこんなに騒がしいのだと、俺はタバコを踏み消しながら立ち上がった。爆音は相変わらず続いていたが、こちらのホームにも向かいの上りのホームにも誰も居なかった。その時下りの列車が入って来た。 (つづく)
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