時は200X年(12)
松田哲昌
今から思えば、ことの起こりは2005年
3月25日であった。その日、小泉自民・公明政府は、「国民保護法」の具体策として「国民保護の基本指針」を閣議決定した。
これは、日本が外国から侵略されたことを想定して、これらの攻撃から国民を守るという名目で、行政(各省庁)、都道府県も具体的な保護の計画を義務づけ、市町村も当宿直を強化して24時間即応体制をとらせるものだった。そして、保護のために、公共機関(NTTなどの通信、民放・NHKなどの報道機関、運輸、医療など)を総動員して、平時から訓練をやらせることが明らかとなった。
内閣官房でさえ「そんな侵略はきわめて低い確率」、とコメントする中での憲法違反の暴挙を、政府与党を中心に国会でろくな審議もせずに成立させたのだった。
その法律の真のねらいは、アメリカが起こす先制攻撃を含む侵略戦争に、日本を自動的に参戦させ、自衛隊(今は軍隊)が後顧(こうこ)の憂い(編集者注:残された者への気遣い)なく、海外へ行けることにあった。そして、数年もたたないうちにそれらの訓練が実行に移された。
ある朝、郵便受けを見ると、越知町役場のチラシが入っていた。「またゴミ出しの変更か」と思って読んでみると、「化学兵器に攻撃の場合は」との見出しで、「風下をさけ、手袋・帽子を着用し、レインコートを着て、地面に伏せるか、家の窓をしっかり閉めて・・・」などと書かれていた。ある時は、「ゲリラによる攻撃について」の見出しで、「ゲリラが水源地に毒物を混入した場合は、3日間水道を止めます。各家庭では、常に水のくみ置きを・・・」などまるで大震災並みの準備を呼びかけるものだったりもした。
学校現場では、さすがに侵略に備えるとはいえず、「震災や火事から身を守る訓練」が行われるようになってきたのだ。
高校や大学では、「ボランティア」とか、社会奉仕の名目で、女性は看護・介護、男性は土木工事への参加が半強制的に行われていた。まさに今朝の有事法制の発動の下地は、このようにして作られていったのだった。 続く
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