「みちしるべ」2005年7月号より

時は200X年(13)
               松田哲昌

 2005年になって、有事法制の一部である国民保護法がにわかに具体的に動き始めた。沖縄を除く全国の都道府県の議会で保護法に基づく条例が可決されていった。高知県では、2月県議会に高知県国民保護対策本部及び高知県緊急対処事態対策本部条例と、高知県国民保護協議会条例が、県側から提案された。
 この条例は、いわゆる戦争総動員法に近いもので、憲法9条違反ではないか。撤回を求めるとの質問に知事は地震や台風であれ、侵略の被害であれ、県民を守るのは県の責任だなどと議論をすり替えてきた。
 自然災害と戦争被害は根本的に違うじゃないか。戦争は人為的なもので避けることもできる。そのためにこそ憲法があるなど反対もあったが、ついに可決されてしまった。
 この2つの条例は各々7条からなり、対策本部条例は主に県の職員による組織を規定したものである。協議会条例は警察、陸・海・空の自衛官も含んだ組織の規定で、この協議会が保護計画やその実施・指導に当たるのである。
 
あれから何年たったであろうか。条例に基づき協議会は次々に具体策を打ち出し、県民は否応なしに避難訓練やさまざまな作業に駆り出されるようになってきた。訓練や作業も初めの間は、まあ協議会がああ言うから一応やったことにしようやなどと、形ばかりのお座なりなものであったが、やがて協議会の監視と締め付けが厳しくなり、警察や自衛官の監視の下で実戦さながらになってくると、人々の気持ちの中に微妙な変化が現れてくるようになってきた。
避難訓練では体の不自由なお年寄りや障害者の避難が地域住民の責任となり、それが厄介な年寄りの多いのは大変だから、年寄りがいるから訓練がうまくいかないなどと明け透けに老人蔑視の雰囲気が蔓延するようになってきた。
さまざまな作業でも参加できない障害者に対する差別意識が人々の心に芽生え始め、それが日常生活にまで及ぶようになってきた。まるで1900年代のあの第2次世界大戦当時に100年もタイムスリップしたような状況の中で弱者が肩身の狭い思いを強いられるようになったのも、2005年の2つの条例とその前に作られた有事法制の結果に他ならない。
 日本シリーズの中継を突然中断して、テレビから各外電によりますと、「本日未明アメリカ軍は東アジア共和国に侵攻を開始した模様です。ロイターAFPその他の外電によると、この侵攻に際してアメリカ空軍は小型核爆弾を使用した可能性があると伝えています、日本政府はこの事態に対してアメリカを支持するとの閣議決定をしました。なお政府は、国民に向けて冷静沈着な対応を求める談話を発表しました。」
 村田の言ったとおりだ。今朝から何やらキナ臭いと思ってはいたが、ついに最悪の事態になってしまったのか。        続く



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